万葉集3223番歌の「日香天之」と1807番歌の「帰香具礼」について、その語義を明らかにする。
霹靂(かむとけ)の 日香天之 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ 神南備(かむなび)の 清き御田屋(みたや)の 垣内田(かきつた)の 池の堤の 百足らず 斎槻の枝に 瑞枝(みづえ)さす 秋の赤葉(もみちば) 巻き持てる 小鈴もゆらに 手弱女(たをやめ)に 吾は有れども 引き攀(よ)ぢて 枝もとををに ふさ手折り 吾は持ちて行く 君が插頭(かざし)に
霹靂之日香天之九月乃鍾礼乃落者鴈音文未来鳴甘南備乃清三田屋乃垣津田乃池之堤之百不足五十槻枝丹水枝指秋赤葉真割持小鈴文由良尓手弱女尓吾者有友引攀而峯文十遠仁捄手折吾者持而徃公之頭刺荷(万3223)
万3223歌の2句目、「日香天之」には定訓を得ていない。「はたたく空の」(新編大系本、224頁)、「光れる空の」(中西1981.、180頁)、「ひかをる空の」(澤瀉1964.、10頁)、「日(ひ)香(かを)る空の」(伊藤2009.、242頁)、「曇れる空の」(大系本、335頁)、「ひかく空の」(竹生・西2009.、128頁)などと試みられている。筆者は、「霹靂」という語について「霹靂之」とあるとき、「霹靂(かむとけ)の」と訓むことは適当ではないと考える。時代別国語大辞典に、「カムトケは、落雷であり、雷によって木や岩の裂けることを意味し、単なる雷鳴とは意味も異なっていよう。」(223頁)とある。その点は、日本書紀の用例においても確かめられる。
則ち当時(とき)に、雷電霹靂(かむとき)して、其の磐(いは)を蹴(ふ)み裂(さ)きて、水を通さしむ。(神功前紀仲哀九年四月)
是の秋に、藤原内大臣の家に霹礰(かむとけ)せり。(天智紀八年八月)
己亥に、新宮の西庁(にしのまつりごとどの)の柱に霹靂(かむとき)す。(天武紀七年四月)
紀の古訓を参考にすれば、万3223歌の1句目「霹靂之」は、カムトキシと訓まれるべきである(注1)。シは動詞ス(為)の連用形である。落雷し、の意味である。落雷して今どのような状況であるかというと、「日香天之九月乃鍾礼乃落」なのである。青天の霹靂があり、にわかに掻き曇り、九月の時雨が降っている。したがって、「日香天之」の「日」はお日さまのことであると考えるのが順当である。そこで、「はたたく空の」や「曇れる空の」といった見解が出されている。その場合、「天」を空とすることには賛同できない。「日」は空にあるわけではない。ソラ(空)は、「「あめ」と「つち」との中間の、空漠としたところをいう。」(注2)のである。「天」はアメと訓まれなければならない(注3)。アメという語が天(あめ)をも雨(あめ)をも表わすからその方がわかりやすい。同根の語と考えられている。アメつながりで時雨の話に移っていっている。時雨という語については、「シは風の意。……グレが「暮(く)れ」の意。複合して、風が吹いて空が暗くなりさっと降ってくるにわか雨。」(注4)と解されている。言葉の成り立ちとしてどうかはさておくとしても、音声言語の印象として当を得ている。雨の原因を雲の積み重なりに求めているのではなく、暗くなって風が吹いてきてさっと降るところに着目している。日の光が急に失われるニュアンスを含んでいると言える。
うらさぶる 情(こころ)さまねし ひさかたの 天(あめ)の時雨(しぐれ)の 流らふ見れば(万82)
王(おほきみ)は 神にし座(ま)せば 雲隠(がく)る 雷山(いかづちやま)に 宮敷き座(いま)す(万235或本)
万235或本歌の「雲隠る」は枕詞で、雲の上にある雷の意でかかっているとされている。雷は日と同様に、ソラにではなくアメにあると考えられていたと推測される。
万3223歌の最初に持ってきている霹靂も、まさに青天の霹靂であったらしく、唐突に歌い出されている。ドーンと落雷してびっくりして上を向いてみると、お日さまがようよう雲に隠れ始めて天が雨に変わっていっている。
そのように解釈すると、「香」という字は、カグルという語に当てられていると考えられる。カグルという語は、一例のみ確認されている。
勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままのをとめ)を詠める歌一首并せて短歌
鶏が鳴く 東(あづま)の国に 古(いにしへ)に 有りける事と 今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てこな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(あをくび)着け 直(ひた)さ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻きは梳(けづ)らず 履(くつ)をだに 着(は)かず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める 斎児(いはひご)も 妹に及(し)かめや 望月の 満(た)れる面(おも)わに 花の如(ごと) 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫の 火に入るが如 水門(みなと)入りに 船漕ぐ如く 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生(い)けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音(と)の 騒く湊(みなと)の 奥津城(おくつき)に 妹が臥(こや)せる 遠き代に 有りける事を 昨日(きのふ)しも 見けむが如(ごと)も 思ほゆるかも
詠勝鹿真間娘子歌一首并短歌
鶏鳴吾妻乃国尓古昔尓有家留事登至今不絶言来勝壮鹿乃真間乃手児奈我麻衣尓青衿著直佐麻乎裳者織服而髪谷母掻者不梳履乎谷着雖行錦綾之中丹裹有斎児毛妹尓将及哉望月之満有面輪二如花咲而立有者夏虫乃入火之如水門入尓船己具如久帰香具礼人乃言時幾時毛不生物呼何為跡歟身乎田名知而浪音乃驟湊之奥津城尓妹之臥勢流遠代尓有家類事乎昨日霜将見我其登毛所念可聞(万1807)
この万1807番歌の「帰香具礼」は「行きかぐれ」と訓まれ、カグルは未詳ながらも下二段活用の動詞で、この例ばかりに「「夏虫の火に入る」「湊入りに船こぐ」の二つの比喩が、一つの中心に向かって四方から集まってくる意を表わしているので、寄り集まるの意の方が[求婚する意よりも]妥当ではあるまいか。」(注5)とする説が有力になっている。しかし、語として孤立しており説得力はない。筆者は、自動詞「隠(かく)る」(下二段活用)の濁音化したものと考える。すなわち、「夏虫の火に入る」「湊入りに船こぐ」とき、そこらじゅうにいた夏虫や船の姿が一斉にかくれて見えなくなることを言っていると捉えるのである。
「人の言ふ(人乃言)」は、人が言い寄ることと解されているが誤りである。人が噂して言いふらすこと、なかには尾ひれがついて誹謗中傷の内容に至るかもしれないことを指している。
百(もも)に千(ち)に 人は言ふとも 月草の うつろふ心 我れ持ためやも(万3059)
周囲の同性の友だちからやっかみを受け、噂が立って距離を置かれ、付き合ってくれなくなってひとりぼっちになり、精神的に参ってしまった。それで自死に至っている。まわりの女性にとってみれば、真間の手児名がために、世の中から男性がいなくなったことが大問題で、「帰香具礼」は、街でお尻を追っかけてくれていた男が、全員「帰隠」してしまったということになろう。
この部分、「行きかぐれ 人の言ふ時」のカグレは、下二段活用の連用形である。いわゆる連用形中止法になっている。「……行きかぐれ」で叙述をいったん切り、下の「人の言ふ時……」へと続けている。「行きかぐれ」の主語は真間にいる適齢期男性たち、そして、「言ふ」の主語である「人」はそれ以外の大多数、下世話な話の好きな人たちということになる。
このように、カグルという語を隠れるという意であると定めれば、万3223番歌の「霹靂之日香天之九月乃鍾礼乃落……」は、「霹靂(かむとけ)し 日(ひ)隠(かぐ)る天(あめ)の 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば ……」と訓むことができる。ここで、「隠(かぐ)る」は自動詞で、四段活用の連体形と考えられる。
…… 青山に 日が隠(かく)らば ぬばたまの 夜(よ)は出でなむ ……(記3)
突然落雷が起こり、日がにわかに隠れるような天の変化がある、そんな九月の時雨が降ると、……、という歌い出しである。なぜ九月(ながつき)かと言えば、万82歌に、「天(あめ)の時雨(しぐれ)の 流らふ見れば」とあったように、時雨=シ(風)+グレ(暮)なのだから、風に流れる雨を言っていて、そのナガラフ、ナガルに音の通じるナガツキが選ばれているのである。この長歌の主旨は、「(秋の赤葉)ヲ吾は持ちて行く」ばかりであり、反歌にも示されている。
反歌
独りのみ 見れば恋しみ 神名火(かむなび)の 山の黄葉(もみちば) 手折(たを)りけり君(万3224)
したがって、万3223番の長歌に表わしたいこととは、作者である女性の心理的な切迫感である。だからこそ、急に起こった落雷、青天の「霹靂」で歌い起していてよくわかるのである(注6)。
以上、上代語のカグルについて考えた。
(注)
(注1)万葉集に「霹靂」はカムトケと訓む慣習にあるので、それが正しいのかもしれないが、ここでは紀の使用法にしたがい、カムトキスという動詞として考えている。
(注2)白川1995.441頁。
(注3)日神は天照大神(あまてらすおほみかみ)と呼ばれている。
(注4)古典基礎語辞典584頁、この項、依田瑞穂。
(注5)時代別国語大辞典182頁。
(注6)中西1981.に、「神南備の赤葉を插頭にする神事歌謡か。」(180頁)、伊藤2009.に、「春をほめる前歌[万3222]に対し、神なび山の秋のもみじをほめる。」(242頁)とあるが、神事歌謡や季節称賛というだけで、「霹靂」で始まる歌が作られることなど、筆者には到底想像がつかない。
(引用・参考文献)
澤瀉1964. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十三』中央公論社、1964年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
新大系本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系 萬葉集三』岩波書店、2002年。
大系本 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系 萬葉集三』岩波書店、1960年。
竹生政資・西晃央「万葉集3223番歌の「日香天之」の解釈について」『佐賀大学文化教脊学部研究論文集』第14巻第1号、2009年8月(file:///C:/Users/Owner/Downloads/%E8%91%89%E9%9B%863223%E7%95%AA%E6%AD%8C%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%97%A5%E9%A6%99%E5%A4%A9%E4%B9%8Bj%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf)。
中西1981. 中西進『万葉集 全訳注原文付(三)』講談社(講談社文庫)、1981年。
霹靂(かむとけ)の 日香天之 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ 神南備(かむなび)の 清き御田屋(みたや)の 垣内田(かきつた)の 池の堤の 百足らず 斎槻の枝に 瑞枝(みづえ)さす 秋の赤葉(もみちば) 巻き持てる 小鈴もゆらに 手弱女(たをやめ)に 吾は有れども 引き攀(よ)ぢて 枝もとををに ふさ手折り 吾は持ちて行く 君が插頭(かざし)に
霹靂之日香天之九月乃鍾礼乃落者鴈音文未来鳴甘南備乃清三田屋乃垣津田乃池之堤之百不足五十槻枝丹水枝指秋赤葉真割持小鈴文由良尓手弱女尓吾者有友引攀而峯文十遠仁捄手折吾者持而徃公之頭刺荷(万3223)
万3223歌の2句目、「日香天之」には定訓を得ていない。「はたたく空の」(新編大系本、224頁)、「光れる空の」(中西1981.、180頁)、「ひかをる空の」(澤瀉1964.、10頁)、「日(ひ)香(かを)る空の」(伊藤2009.、242頁)、「曇れる空の」(大系本、335頁)、「ひかく空の」(竹生・西2009.、128頁)などと試みられている。筆者は、「霹靂」という語について「霹靂之」とあるとき、「霹靂(かむとけ)の」と訓むことは適当ではないと考える。時代別国語大辞典に、「カムトケは、落雷であり、雷によって木や岩の裂けることを意味し、単なる雷鳴とは意味も異なっていよう。」(223頁)とある。その点は、日本書紀の用例においても確かめられる。
則ち当時(とき)に、雷電霹靂(かむとき)して、其の磐(いは)を蹴(ふ)み裂(さ)きて、水を通さしむ。(神功前紀仲哀九年四月)
是の秋に、藤原内大臣の家に霹礰(かむとけ)せり。(天智紀八年八月)
己亥に、新宮の西庁(にしのまつりごとどの)の柱に霹靂(かむとき)す。(天武紀七年四月)
紀の古訓を参考にすれば、万3223歌の1句目「霹靂之」は、カムトキシと訓まれるべきである(注1)。シは動詞ス(為)の連用形である。落雷し、の意味である。落雷して今どのような状況であるかというと、「日香天之九月乃鍾礼乃落」なのである。青天の霹靂があり、にわかに掻き曇り、九月の時雨が降っている。したがって、「日香天之」の「日」はお日さまのことであると考えるのが順当である。そこで、「はたたく空の」や「曇れる空の」といった見解が出されている。その場合、「天」を空とすることには賛同できない。「日」は空にあるわけではない。ソラ(空)は、「「あめ」と「つち」との中間の、空漠としたところをいう。」(注2)のである。「天」はアメと訓まれなければならない(注3)。アメという語が天(あめ)をも雨(あめ)をも表わすからその方がわかりやすい。同根の語と考えられている。アメつながりで時雨の話に移っていっている。時雨という語については、「シは風の意。……グレが「暮(く)れ」の意。複合して、風が吹いて空が暗くなりさっと降ってくるにわか雨。」(注4)と解されている。言葉の成り立ちとしてどうかはさておくとしても、音声言語の印象として当を得ている。雨の原因を雲の積み重なりに求めているのではなく、暗くなって風が吹いてきてさっと降るところに着目している。日の光が急に失われるニュアンスを含んでいると言える。
うらさぶる 情(こころ)さまねし ひさかたの 天(あめ)の時雨(しぐれ)の 流らふ見れば(万82)
王(おほきみ)は 神にし座(ま)せば 雲隠(がく)る 雷山(いかづちやま)に 宮敷き座(いま)す(万235或本)
万235或本歌の「雲隠る」は枕詞で、雲の上にある雷の意でかかっているとされている。雷は日と同様に、ソラにではなくアメにあると考えられていたと推測される。
万3223歌の最初に持ってきている霹靂も、まさに青天の霹靂であったらしく、唐突に歌い出されている。ドーンと落雷してびっくりして上を向いてみると、お日さまがようよう雲に隠れ始めて天が雨に変わっていっている。
そのように解釈すると、「香」という字は、カグルという語に当てられていると考えられる。カグルという語は、一例のみ確認されている。
勝鹿(かつしか)の真間娘子(ままのをとめ)を詠める歌一首并せて短歌
鶏が鳴く 東(あづま)の国に 古(いにしへ)に 有りける事と 今までに 絶えず言ひ来る 勝鹿(かつしか)の 真間(まま)の手児名(てこな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿(あをくび)着け 直(ひた)さ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻きは梳(けづ)らず 履(くつ)をだに 着(は)かず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める 斎児(いはひご)も 妹に及(し)かめや 望月の 満(た)れる面(おも)わに 花の如(ごと) 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫の 火に入るが如 水門(みなと)入りに 船漕ぐ如く 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生(い)けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音(と)の 騒く湊(みなと)の 奥津城(おくつき)に 妹が臥(こや)せる 遠き代に 有りける事を 昨日(きのふ)しも 見けむが如(ごと)も 思ほゆるかも
詠勝鹿真間娘子歌一首并短歌
鶏鳴吾妻乃国尓古昔尓有家留事登至今不絶言来勝壮鹿乃真間乃手児奈我麻衣尓青衿著直佐麻乎裳者織服而髪谷母掻者不梳履乎谷着雖行錦綾之中丹裹有斎児毛妹尓将及哉望月之満有面輪二如花咲而立有者夏虫乃入火之如水門入尓船己具如久帰香具礼人乃言時幾時毛不生物呼何為跡歟身乎田名知而浪音乃驟湊之奥津城尓妹之臥勢流遠代尓有家類事乎昨日霜将見我其登毛所念可聞(万1807)
この万1807番歌の「帰香具礼」は「行きかぐれ」と訓まれ、カグルは未詳ながらも下二段活用の動詞で、この例ばかりに「「夏虫の火に入る」「湊入りに船こぐ」の二つの比喩が、一つの中心に向かって四方から集まってくる意を表わしているので、寄り集まるの意の方が[求婚する意よりも]妥当ではあるまいか。」(注5)とする説が有力になっている。しかし、語として孤立しており説得力はない。筆者は、自動詞「隠(かく)る」(下二段活用)の濁音化したものと考える。すなわち、「夏虫の火に入る」「湊入りに船こぐ」とき、そこらじゅうにいた夏虫や船の姿が一斉にかくれて見えなくなることを言っていると捉えるのである。
「人の言ふ(人乃言)」は、人が言い寄ることと解されているが誤りである。人が噂して言いふらすこと、なかには尾ひれがついて誹謗中傷の内容に至るかもしれないことを指している。
百(もも)に千(ち)に 人は言ふとも 月草の うつろふ心 我れ持ためやも(万3059)
周囲の同性の友だちからやっかみを受け、噂が立って距離を置かれ、付き合ってくれなくなってひとりぼっちになり、精神的に参ってしまった。それで自死に至っている。まわりの女性にとってみれば、真間の手児名がために、世の中から男性がいなくなったことが大問題で、「帰香具礼」は、街でお尻を追っかけてくれていた男が、全員「帰隠」してしまったということになろう。
この部分、「行きかぐれ 人の言ふ時」のカグレは、下二段活用の連用形である。いわゆる連用形中止法になっている。「……行きかぐれ」で叙述をいったん切り、下の「人の言ふ時……」へと続けている。「行きかぐれ」の主語は真間にいる適齢期男性たち、そして、「言ふ」の主語である「人」はそれ以外の大多数、下世話な話の好きな人たちということになる。
このように、カグルという語を隠れるという意であると定めれば、万3223番歌の「霹靂之日香天之九月乃鍾礼乃落……」は、「霹靂(かむとけ)し 日(ひ)隠(かぐ)る天(あめ)の 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の降れば ……」と訓むことができる。ここで、「隠(かぐ)る」は自動詞で、四段活用の連体形と考えられる。
…… 青山に 日が隠(かく)らば ぬばたまの 夜(よ)は出でなむ ……(記3)
突然落雷が起こり、日がにわかに隠れるような天の変化がある、そんな九月の時雨が降ると、……、という歌い出しである。なぜ九月(ながつき)かと言えば、万82歌に、「天(あめ)の時雨(しぐれ)の 流らふ見れば」とあったように、時雨=シ(風)+グレ(暮)なのだから、風に流れる雨を言っていて、そのナガラフ、ナガルに音の通じるナガツキが選ばれているのである。この長歌の主旨は、「(秋の赤葉)ヲ吾は持ちて行く」ばかりであり、反歌にも示されている。
反歌
独りのみ 見れば恋しみ 神名火(かむなび)の 山の黄葉(もみちば) 手折(たを)りけり君(万3224)
したがって、万3223番の長歌に表わしたいこととは、作者である女性の心理的な切迫感である。だからこそ、急に起こった落雷、青天の「霹靂」で歌い起していてよくわかるのである(注6)。
以上、上代語のカグルについて考えた。
(注)
(注1)万葉集に「霹靂」はカムトケと訓む慣習にあるので、それが正しいのかもしれないが、ここでは紀の使用法にしたがい、カムトキスという動詞として考えている。
(注2)白川1995.441頁。
(注3)日神は天照大神(あまてらすおほみかみ)と呼ばれている。
(注4)古典基礎語辞典584頁、この項、依田瑞穂。
(注5)時代別国語大辞典182頁。
(注6)中西1981.に、「神南備の赤葉を插頭にする神事歌謡か。」(180頁)、伊藤2009.に、「春をほめる前歌[万3222]に対し、神なび山の秋のもみじをほめる。」(242頁)とあるが、神事歌謡や季節称賛というだけで、「霹靂」で始まる歌が作られることなど、筆者には到底想像がつかない。
(引用・参考文献)
澤瀉1964. 澤瀉久孝『萬葉集注釈 巻第十三』中央公論社、1964年。
古典基礎語辞典 大野晋編『古典基礎語辞典』角川学芸出版、2011年。
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
新大系本 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系 萬葉集三』岩波書店、2002年。
大系本 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系 萬葉集三』岩波書店、1960年。
竹生政資・西晃央「万葉集3223番歌の「日香天之」の解釈について」『佐賀大学文化教脊学部研究論文集』第14巻第1号、2009年8月(file:///C:/Users/Owner/Downloads/%E8%91%89%E9%9B%863223%E7%95%AA%E6%AD%8C%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%97%A5%E9%A6%99%E5%A4%A9%E4%B9%8Bj%E3%81%AE%E8%A7%A3%E9%87%88%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6.pdf)。
中西1981. 中西進『万葉集 全訳注原文付(三)』講談社(講談社文庫)、1981年。