古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

八代女王の献歌(万626)について

2024年07月30日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 万葉集巻四の相聞の部立に八代女王やしろのおほきみの献歌がある。
 八代女王については情報が限られている。万葉集にこの一首、続日本紀に位階についての記述が二か所あるだけである(注1)

  八代女王やしろのおほきみの、天皇すめらみことたてまつる歌一首〔八代女王獻天皇歌一首〕
 君により ことしげきを 故郷ふるさとの 明日香あすかの川に みそぎしに行く〈一尾に云はく、龍田たつた越え 三津みつ浜辺はまべに 禊ぎしに行く〉〔君尓因言之繁乎古郷之明日香乃河尓潔身為尓去〈一尾云龍田超三津之濱邊尓潔身四二由久〉〕(万626)
 二月戊午、天皇、でうに臨みたまふ。従四位下栗林王に従四位上を授く。無位三使王・八釣王にならびに従五位下。従四位上橘宿禰佐為に正四位下。従五位上藤原朝臣豊成に正五位上。正六位上多治比真人家主、外従五位下佐伯宿禰浄麻呂・阿倍朝臣豊継・下道朝臣真備に並に従五位下。正六位上三使連人麻呂に外従五位下。四品水主内親王・長谷部内親王・多紀内親王に並に三品を授く。夫人无位藤原朝臣の二人〈名をけり。〉に並に正三位。正五位下県犬養宿禰広刀自・无位橘宿禰古那可智に並に従三位。従四位上多伎女王に正四位下。従四位下檜前王に従四位上。无位矢代王やしろのおほきみに正五位上。従五位下住吉王に従五位上。无位忍海王に従五位下。従四位下大神朝臣豊嶋に従四位上。従五位上河上忌寸妙観・大宅朝臣諸姉に並に正五位下。従五位下曾禰連五十日虫・大春日朝臣家主に並に従五位上。无位藤原朝臣吉日に従五位下。正六位上大田部君若子・従六位上黄文連許志・従七位上丈部直刀自・正七位上朝倉君時・従七位下尾張宿禰小倉・正八位下小槻山君広虫・无位盧郡君に並に外従五位下。(続紀・天平九年(737)二月)
 十二月丙午、坂東の騎兵・鎮兵・役夫と夷俘等を徴しおこして、桃生城・小勝柵を造らしむ。五道倶に入りて並に功役に就く。従四位下矢代女王やしろのおほきみ位記ゐきこほつ。先帝せんていかうせられてこころざしあらたむるをもちてなり。(続紀・天平宝字二年(758)十二月)

 新大系本続日本紀に、「以先帝而改志也。」とは、「かつて聖武の寵愛をうけながら、その後志を変え、他の男性と関係をもった、の意か。」(295頁)という。
 この歌の解釈については、大きく二つの潮流がある。一つは、天皇の寵愛を受けた八代女王が、周囲からの噂が嫉妬や中傷の域にまで達してやりきれないので禊ぎに行こうと歌ったものとする考えであり(注2)、もう一つは、互いの親密な間柄のもとで、甘えかかったり恋心に苦しむ思いを託したとする考えである(注3)。後者の考えでは、続紀の「毀従四位下矢代女王位記」の記事は歌とは無関係であるとしている。
 近年、影山2017.が、後者の立場から展開した見解を提出している。その際、献呈歌でありながら異伝を伴うことへの不審を語っている。相聞贈答に異伝を伴うことはそもそも不自然で、ましてや天皇への献歌において歌詞が彫琢しきれていないというのはおかしいという。
 筆者はそうは考えない。異伝は「一尾云」の形で示されている。「尾」などと記す類例は「尾句」といった例はあるものの他に見られない。ここで、「一尾云」として五句目までをすべて記し、「一尾云、龍田超三津之濱邊尓潔身四二由久」と書いてある。変えているのは三・四句目だけだから、「一云、龍田超三津之濱邊尓」と書くだけでよいのに念を入れて書いている。このことは、その部分が「」であるとの意識のなせるわざであろう。上代語の「」は、鳥や魚の尻から伸びた先の毛や鰭のこと、また、山の裾のことを表していた。すなわち、三句目以降は尾鰭であって、本体はその前の「君によりことしげきを」で尽きている。そこまで言えれば歌の主旨は十分放たれていることを伝えている。
 「ことしげき」とはどのようなことか。「こと」=「こと」である(はずである)から、人が言うことが事実であるということになる。その場合、それを現代語でいう「噂」の意であると思って逐語的に訳すと誤謬が生じる。

 人言ひとごとの〔人言之〕 よこしを聞きて 玉桙たまほこの 道にも逢はじと 言へりし吾妹わぎも(万2871)

 この例では、「人言ひとごと」がどのような性質のものか述べられている。「よこし」な「人言ひとごと」、誹謗中傷である。逆に言えば、ただ「人言ひとごと」としかない場合、人がいろいろと言っていることそのことを指している。それがどのような評価を得たものなのかいまだ判断していない、あるいは判断できないものである。ましてや「こと」(「人言ひとごと」)が「しげし」なとき、数多く言われているから、讃頌しているのか、中傷しているのか、いろいろだから決めつけられない。人々の話題にのぼっているということ、ただそのことを指すのが「こと」(「人言ひとごと」)である。慣用表現になっていて、「ことしげき」、「ことしげけく」、「ことしげく」、「ことしげき」、「人言ひとごとしげし」、「人言ひとごとしげく」、「人言ひとごとしげく」、「人言ひとごとしげき」、「人言ひとごとしげみ」などと使われている。「しげし」は草木が繁茂することを指す言葉である。草がわんさか生えてくること、それは何か特定の栽培品種を一律に生えさせた様子ではなく、多種多様な草がそれぞれに丈を伸ばし、蔓を絡ませ、根をはびこらせて繁茂するさまを指している。雑多な生長が見られるのだが、統一的な条件がある。一定の気温になっていることと一定の雨量が得られていることである。遅霜で枯れたり、大雨で水浸しになったり表土が流されてはならない。そのようなときにしか使えない「しげし」という言葉を「こと」(「人言ひとごと」)に当てはめて使っている。すなわち、「人言ひとごとしげし」などと使う場合、その「こと」(「人言ひとごと」)とは、歌を歌う人が男女関係ができた当事者となっていて、そのことについて周りからキャーキャー言われていることを表している。あの人とあの子とができてるんだって、ヒューヒュー、といった噂である。国家転覆を謀っているという噂、汚職贈収賄の噂、大麻等薬物使用の噂などは含まれない。それら犯罪にまつわるような噂は、雑草が繁るように種々にあれこれ向きを違えて立つことはなく、また、誰もが関心を持つことも当事者が属している世間全体に広まるものでもない。
 すなわち、「しげし」となる「こと」(「人言ひとごと」)とは、誰かさんと誰かさんが麦畑、チュッチュチュッチュしている、ということ以上のものではない。当人たちが「こと」(「人言ひとごと」)を煙たいと思うのは、いきなり写真週刊誌に報じられて世間から注目され、面食らうからである。
 念のために万葉集に使われている「こと」(「人言ひとごと」等を含む)に「しげし」(「しげみ」等を含む)が絡んで使われる例を確認しておこう。40例ある。

 心には 忘るる日無く おもへども 人のことこそ しげき君にあれ〔人之事社繁君尓阿礼〕(万647)
 はむ夜は 何時いつもあらむを 何すとか そのよひ逢ひて ことしげきも〔事之繁裳〕(万730)
 ことしげき〔事繁〕 里に住まずは 今朝けさ鳴きし かりたぐひて 行かましものを(万1515)
 いはそそく 岸の浦廻うらみに 寄する波 来寄きよらばか ことしげけむ〔言之将繁〕(万1388)
 黄葉もみちばに 置く白露の 色葉いろはにも 出でじと念へば ことしげけく〔事之繁家口〕(万2307)
 しましくも 見ねばほしき 吾妹子わぎもこを に来れば ことしげけく〔事繁〕(万2397)
 近江あふみの海 沖つ島山 おくまけて 吾がふ妹が ことしげけく〔事繁〕(万2439)
 人言ひとごとの しげりて〔人事之繁間守而〕 逢ふともや なほ吾がうへに ことしげけむ〔事之将繁〕(万2561)
 摺衣すりころも りといめに見つ うつつには いづれの人の ことしげけむ〔言可将繁〕(万2621)
 淡海あふみの海 沖つ島山 奥まへて 我がふ妹が ことしげけく〔言繁苦〕(万2728)
 ただに逢はず あるはうべなり いめにだに 何しか人の ことしげけむ〔事繁〕 (万2848)
 波のむた 靡く玉藻の 片思かたもひに 吾がふ人の ことしげけく〔言乃繁家口〕(万3078)
 年きはる 世までと定め たのみたる 君によりてし ことしげけく〔事繁〕(万2398)
 ことしげみ〔事繁〕 君は来まさず 霍公鳥ほととぎす なれだに鳴け 朝戸あさと開かむ(万1499)
 旅にすら ひも解くものを ことしげみ〔事繁三〕 丸寝まろねがする 長きこの夜を(万2305)
 人言ひとごとを しげ言痛こちたみ〔人事乎繁美許知痛美〕 おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る(万116)
 人言ひとごとの しげきこのころ〔人言之繁比日〕 玉ならば 手に巻き持ちて 恋ひずあらましを(万436)
 人言ひとごとを しげ言痛こちたみ〔他辞乎繁言痛〕 逢はずありき 心あるごと な思ひ背子せこ(万538)
 吾が背子し げむと言はば 人言ひとごとは しげくありとも〔人事者繁有登毛〕 でて逢はましを(万539)
 現世このよには 人言ひとごとしげし〔人事繁〕 む世にも 逢はむ吾が背子 今ならずとも(万541)
 初花はつはなの 散るべきものを 人言ひとごとの しげきによりて〔人事乃繁尓因而〕 よどむころかも(万630)
 あらかじめ 人言ひとごとしげし〔人事繁〕 かくしあらば しゑや吾が背子 奥もいかにあらめ(万659)
 人言ひとごとを しげみか君が〔人事繁哉君之〕 二鞘ふたさやの 家をへだてて 恋ひつつまさむ(万685)
 人言ひとごとは 夏野なつのの草の しげくとも〔人言者夏野乃草之繁友〕 いもわれとし たづさはりば(万1983)
 人言ひとごとを しげみと君に〔人事茂君〕 玉梓たまづさの 使つかひらず 忘ると思ふな(万2586)
 人言ひとごとの しげると〔人事茂間守跡〕 逢はずあらば 終<rtつひ>にや子らが おも忘れなむ(万2591)
 人言ひとごとを しげみと君を〔人事乎繁跡君乎〕 うづら鳴く 人の古家ふるへに 語らひてりつ(万2799)
 人言ひとごとの しげき時には〔人言繁時〕 吾妹子わぎもこし ころもにありせば 下に着ましを(万2852)
 逢はなくも しと思へば いやしに 人言ひとごとしげく〔人言繁〕 聞こえ来るかも(万2872)
 人言ひとごとを しげ言痛こちたみ〔人言乎繁三言痛三〕 我妹子わぎもこに にし月より いまだ逢はぬかも(万2895)
 ただ今日けふも 君には逢はめど 人言ひとごとを しげみ逢はずて〔人言乎繁不相而〕 恋ひ渡るかも(万2923)
 人言ひとごとを しげ言痛こちたみ〔人言乎繁三毛人髪三〕 我が兄子せこを 目には見れども 逢ふよしもなし(万2938)
 人言ひとごとを しげみと妹に〔人言繁跡妹〕 逢はずして こころのうちに 恋ふるこのころ(万2944)
 ねもころに 思ふ吾妹わぎもを 人言ひとごとの しげきによりて〔人言之繁尓因而〕 よどむころかも(万3109)
 人言ひとごとの しげくしあらば〔人言之繁思有者〕 君も吾も 絶えむと言ひて 逢ひしものかも(万3110)
 人言ひとごとの しげきによりて〔比登其登乃之氣吉尓余里弖〕 まをごもの 同じ枕は はまかじやも(万3464)
 潮船しほぶねの 置かればかなし さ寝つれば 人言ひとごとしげし〔比登其等思氣志〕 かもむ(万3556)
 うら若み 花咲き難き 梅をゑて 人のことしげみ〔人之事重三〕 おもひそがする(万788)
 きはまりて われも逢はむと 思へども 人のことこそ しげき君にあれ〔人之言社繁君尓有〕(万3114)
  五年正月四日に、治部少輔石上朝臣宅嗣の家にして宴せる歌三首
 ことしげみ〔辞繁〕 あひ問はなくに 梅の花 雪にしをれて うつろはむかも(万4282)
  右一首、主人石上朝臣宅嗣

 これらの例にある「こと」、「人言ひとごと」は、男女の間に関係ができたことに関する噂である。最後の万4282番歌のみ、梅の花に言葉をかけることのようなものとして用いられているが、これは、恋愛関係にある男女の間についての周囲の噂のことを、あたかも梅を恋人であるかのように擬して利用したもので、宴の席での戯歌である。興味深いことに、「こと」(「人言ひとごと」等を含む)と「しげし」(「しげみ」等を含む)とが絡んで慣用句的に使われた例はほぼ巻十二までであり、その後は巻十四の万3464番歌、そして巻十九の万4282番歌に見られるのみである。歌の表現として飽きられたからなのか、鄙の歌を採集する時には人口が少なくて噂で持ちきりになるようなことがなかったからか、社会変化のために恋愛事情が変わって行ったからか、「人言ひとごと」が「他人事ひとごと」になったといった意識の変化があったからか、定かではない。
 「しげし」を伴わなくても、「こと」(「人言ひとごと」)だけで男女の誰かと誰かが付き合っている、どこまで行ったか、といった噂のこととして捉えられる例も見られる。

 垣穂かきほなす 人言ひとごと聞きて〔人辞聞而〕 吾が背子が こころたゆたひ 逢はぬこのころ(万713)
 恋ひ死なむ そこも同じそ 何せむに 人目ひとめ他言ひとごと 言痛こちたがせむ〔人目他言辞痛吾将為〕(万748)
 人言ひとごとは〔人事〕 しましそ吾妹わぎも 綱手つなて引く 海ゆまさりて 深くしそおもふ(万2438)
 人言ひとごとの〔人言之〕 よこしを聞きて 玉桙たまほこの 道にも逢はじと 言へりし吾妹(万2871)
 人言ひとごとは まこと言痛こちたく〔他言者真言痛〕 なりぬとも そこにさはらむ われにあらなくに(万2886)
 まかなしみ ればこと さなへば 心のろに 乗りてかなしも(万3466)

 以上のように、「ことしげき」とは男女の間に関係ができたと周囲の人が噂を立てて騒ぐことであり、その噂のなかに好意や悪意があるかどうかとは無関係で、評価は中立的である。
 八代女王の歌にある「ことしげきを」についても、天皇と八代女王との間に男女関係ができたという噂であって、そこにやっかみや嫉妬などがあるかどうかについては述べていない。
 では、なぜ八代女王は噂が立っていることを嫌がって、あるいは、汚らわしく思って、禊ぎに行くと言っているのか。
 簡単なことである。
 男女関係ができているというのは、両性の合意により成っているのが基本である。ところが、歌のなかで八代女王は「君により」と言っている。聖武天皇一人が言い寄ってきているために噂が立っていると言っている。これだけを聞けばわかることである。八代女王のほうに天皇への気持ちはない。
 八代女王が聖武天皇から寵愛を受けていたのは確かであろう。彼女がどういう思いであったか時系列で追うことはできないが、二人はできていると人の噂になっているのを嫌だと思ったから、万626番歌のような歌を声に出して言い放った。一・二句目だけで、ああ、そういうことか、と周知に至る内容である。
 筆者の推測にすぎないが、絶対的な権力を握っている天皇からお召しがあれば、初めのうちは疑うことなく参内して相手になっていたことだろう。その時、別段、恋愛感情を意識するようなことはなかった。ところが、天皇からはたびたび御召しがあるようになった。寵愛を受けているということである。周りから嫉妬の目で見られたか、中傷されたり、陰口をたたかれていたか、それはわからないし、その点を八代女王は問題にしていない。問題はそこにはない。例えば彼女自身に他に意中の男性がいたとしたら、ただ天皇の寵愛を受けているという噂が立つことだけでも嫌なことである。そうでなくても若い女性が、中年おやじのパワハラ的なセクハラに対して、キモイ、けがらわしい、と思うことはあって当然なことである。天皇からの誘いを今後一切断る方法として、啖呵をきった歌を献上した。それが万626番歌である。歌とは大きな声をあげて「こと」を伝えることだから、周囲にバレバレになって事は解決するのである。

 君により ことしげきを 故郷ふるさとの 明日香あすかの川に みそぎしに行く(万626)
 聖武天皇、あなたによってまるで愛し合っているかのような噂が立っています。私は自分の身が穢れたように感じています。明日香の川に禊ぎをしに行きます。

 若い八代女王にとって冗談ではないのである。どうして天皇の遊び女にならなければならないのか。無位だったのがなぜか年頃になったら位を授けてくれていたけれど、そういう魂胆だったのね、けがらわしい。私は嫌、さようなら。それが言いたくて歌を歌っている。後は付け足し、尾鰭である。実際に明日香や三津へ出掛けていって禊ぎをしたかどうかなどどうでもいいことである。要するに、権力を笠に着て忍従させられ弄ばれる関係から逃れたく、振りほどいて、断ち切ってしまいたいのである。だから、フルを被る「故郷ふるさとの」と歌い、タツを被る「龍田たつた越え」と歌っている。
 次の例では白波の立つ、と龍田山のタツとを掛けている。

 わたの底 おき白波しらなみ 龍田山たつたやま 何時いつか越えなむ いもがあたり見む(万83)

 音を地口的に遊ぶために言葉を用いることは万葉集の常態であった。地名を導き出すために序詞を設けているばかりでなく、その反対の、言葉を訴えたいために地名を設定することも行われた。すなわち、万626番歌では、禊ぎの場所としてどこへ出掛けるかは問題ではなく、どういう音(言葉)が歌の主旨にかなうかによって詠まれている。その部分は「尾」鰭である。相聞贈歌に異伝を持つことは異例であったとしても、訴えたいことをきちんと伝えるため異例なことをしてわざわざ交換可能な「尾」鰭をつけて歌っている(注4)。禊ぎの場所は別のところでも一向にかまわない。関係をキルを言いたければ、「霧が峰 垂水たるみふちに 禊ぎしに行く」なども候補であろう。
 以上、八代女王の献歌について検討した。古代の言葉づかいは端的で、必要十分な最小限を記録することで事の真相を表明することとなっている。だからこそ三十一文字(音)で済む。現代的な感覚で解釈しようとしても本質理解には至らないことがよくわかる例である。

(注)
(注1)影山2017.は、「作歌事情の詳細を伝えない詠への接近は宿命的に動揺する」としつつ、「天平宝字二年の記事と当該歌との短絡が不当であることは確認しておくべき」であるとする。「短絡」はいけないが、確かに論証されるのであれば両者は関係する事項として認めざるを得ない。なぜなら、ほかに事跡のない人物の情報が、よりによって歌に一首、事立てた記事に一か所あれば、その人はそのことでのみ記録されていると考えられるからである。記録する側にモチベーションが働いている。同様の例に、麻続王をみのおほきみの例がある。天武紀四年四月条に流罪になったとする記事が載る。万23・24番歌の左注に紀を引用しているように、関係づけて考えることに不自然なところはない。
(注2)阿蘇2006.に、「「君により」とあるので、女王の恋情のせいではなく、天皇の寵愛のせいで人々に嫉まれ中傷され辛い立場にあることを訴えようとしたものであろう。……聖武天皇の寵愛がかなり目立ち、周囲の反発をかうほどであったことを示している。」(633~634頁)とある。
(注3)伊藤1996.に、「神祭りか何かで明日香へ旅することがあった時、恋の噂を払うために行くとことさら大げさにうたうことで、日頃、恋心に苦しんでいるという思いを託したものか。「献歌」には作品を奉ずるという傾向がある。これも恋を主題にしたもので、こんな歌ができましたという次第で献じたものであろう。」(545頁)とある。
(注4)影山2017.に、「ごくふつうに考えて相聞贈答に異伝を伴うこと自体がまず不自然であり、加えてそれが天皇への献歌であるとしたときに抱かれる不審感は小さくない。献呈に際して詠作者がどれほど心を砕いてことばを紡ぎ、表現を練り、より高い純度の完成形を目指そうとしたか、が容易に想像できるからだ。」(61頁)とあって、迷宮入りしている。「常識的に見て寵愛を受けることは歓迎すべき状態であり、それを迷惑と嫌悪したり、ましてや穢れとして忌避したりする慣習は、ふつうは成立するはずがない。」(66頁)ともいう。歌が心情を表していけないとでもいうのであろうか。基本的姿勢としていただけない。

(引用文献)
阿蘇2006. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第2巻』笠間書院、2006年。
伊藤1996. 伊藤博『萬葉集釈注 二』集英社、1996年。
影山2017. 影山尚之『歌のおこない─萬葉集と古代の韻文─』和泉書院、2017年。(「八代女王の禊ぎ」『武庫川国文』第78号、2014年11月。武庫川女子大学リポジトリhttps://doi.org/10.14993/00000579)
新大系本続日本紀 青木和夫・稲岡耕二・笹山晴生・白藤禮幸校注『続日本紀 三』岩波書店、1992年。

※本稿は、2023年8月稿の誤りを2024年7月に正し、大幅に改稿したものである。

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