古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集巻十六「半甘」の歌

2024年08月20日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 万葉集巻十六「有由縁并雑歌」には諧謔の歌が多く、そのほとんどは明解を得ていない。次の「戯嗤僧歌」、「法師報歌」の問答も誤解されたままである。

  たはむれにほふしわらふ歌一首〔戯嗤僧歌一首〕
 法師ほふしらが ひげ(注1)剃杭そりくひ 馬つなぎ いたくな引きそ ほふしはにかむ〔法師等之鬢乃剃杭馬繋痛勿引曽僧半甘〕(万3846)
  法師ほふしの報ふる歌一首〔法師報歌一首〕
 檀越だにをちや しかもな言ひそ 里長さとをさが 課役えつきはたらば いましもはにかむ〔檀越也然勿言弖戸等我課伇徴者汝毛半甘〕(万3847)

 二句とも最後の「半甘」の訓みが難解とされてきた。昨今の通釈書では、万3846番歌の結句「僧半甘」を「ほふしかむ」ととるのが一般的で(注2)、「ほふし含羞はにかむ」意とするのは、武田1957.(280~282頁)、稲岡2015.(124頁)程度である。ここは、「含羞はにかむ」と訓むのが正しい。その意味するところを以下に述べる。
 ハニカムは、「𪙁 亦作摣抯二形、則加反、捉也。波尓加牟はにかむ、又伊女久いめく」、「齵 五溝反、齒重生也。波尓加无はにかむ、又久不くふ、又加无かむ」、「𪘮 五佳反、齒不齊皃。波尓加牟はにかむ、又久不くふ」、「齱 側鳩反、齵也、齒偏也。波尓加牟はにかむ、又久不くふ」、「𪗶 士佳反、平、𪘲也、齒不正也。波尓加牟はにかむ、又伊女久いめく」(以上、新撰字鏡)、「眥 如上、又云、波尓加美はにかみ、又云、伊支□美」(霊異記・上・二興福寺本訓注)とあり、霊異記の用例(「の犬の子、家室いへのとじに向ふごとに、期尅いのごにらはにか嘷吠ゆ。」)を参考にして、歯をむき出して怒る意として捉えられてきた(注3)
 しかし、ヤマトコトバのハニカムは、もともとはにむことで、土を口に入れて噛めば、何だこれは? と口をひんまげる動きになるところを指しているものと考えられる。すなわち、両目をひん剥いたり歯を剥き出しにして怒る意ではなく、顔を少し横に向かせ傾け、口角が片方だけ上がるようなさまをいう。何を! と勢い込んでみたものの、虚を突かれていることに気づいて半笑いを浮かべるような恰好のことである。ちょっと恥ずかしいところがあり、現在使う含羞はにかむに通じている。また、苦笑いのことも指すだろう。っっったく〜! といった顔面神経痛的な偏った顔つきになる。それが題詞の「嗤」に表されている。新撰字鏡に、「嗤 亦、蚩に作る。充之・子之二反、戯也。阿佐介留あざける、又曽志留そしる、又和良不わらふ」とある。「戯嗤僧歌」とは、「戯」れに「檀越」が「僧」を笑いものにしたということであるが、虚仮にしているのではない。特定の僧侶について嘲笑ったのではなく、話(咄・噺・譚)に作り上げている。ふだんなら尊敬されるはずの「僧(法師)」に対し、機知あふれる言葉でからかう歌を作り、一本取られたと思わせたということである。それに対して「法師」の方も「檀越」に対してやり返し「報」いている。「僧(法師)」も「檀越」も一般名称である。
 万3847番歌は、四句目原文の「弖戸等我」が難訓箇所であるが、訓めなくてもわかりやすい。檀越よ、そうは言うなよ、里長(?)が租税を無理矢理徴収しにかかったら、お前だって苦笑いするしかないだろう、という意味である。
 「檀越」は寺や僧尼に財物を施す信者、施主である。法師に寄進できるぐらいだったら税金をきちんと納めろと、徴税官に細かな取り立てにかかられたら、参ったなと思って笑うしかないだろうというのである。税務署に変な口実を与えてしまったわけで、口角が片方だけ上がることになる。これが「報歌」である。
 ならばもとの歌、万3846番歌も、同様の頓知をもって歌は構成されていると考えられる。法師らの鬢の剃り残しに馬を繋いでひどく引っぱるな、法師は苦笑いを浮かべる、という意味である(注4)
 「ほふ」は、のりの師のことである。ノリ(法、典)は仏法だけでなく法律や規準のことも言い、ノル(宣、告)という動詞に由来する。ノは乙類で、同音にノル(乗)がある。「法師」はノリの師なのだから身ぎれいにしていなければならないだろう。戒律としても定められている。ひげの剃り後から生え出してきている無精ひげを放置したままでいいはずはない。清潔さを保てないなら、ノリ(乗)の師となるように乗り物の馬をつないでしまえ。ひどくは引っ張らなくていい、ゆるく引っ張ればいい。それがユルシ(緩、許)というものだ、と戯れている。法には適用という側面があることをきちんと伝えている。ノリの師である法師は苦笑いするしかないだろうというわけである。
 「馬繋」と馬が出てくるのは法師がノリの師であるゆえである。「半甘」をハニカム(含羞)と訓むのは苦笑いのさまを表すためである。檀越と法師との間で軽妙なやり取りが行われていたから万葉集に収められている。
 万3847番歌の四句目原文、「弖戸等我」は「里長さとをさが」と訓まれている。それで正しい。この部分を難訓に記している理由は、実際に里長がこの歌を知ったなら、檀越から徴収しに掛かるだろうからである。法師と檀越とは持ちつ持たれつの関係にある。ちょっとからかわれたぐらいで反論を口外していては、自らの実入りがなくなって困る。おそらく、当初「五十戸我」と書いたのを改めたものと思われる。行政上、五十戸を一まとまりにしてさとという支配単位にした。そこに一人の徴税官を配置し、里長と呼んだ。五十はヤマトコトバでイである。現代では馬の鳴く声はヒヒーンと聞きなしているが、上代ではイとしていた。「嘶」字で表されることのあるイナク、イバユのイである。歌に馬が出てきていたのは、それをヒントにしたものかも知れないし、馬が嘶く時には左右どちらかに頸を曲げ傾けて鳴いている。形の上ではハニカム(含羞)のと同じ姿態である。その五十という数は、五と十から成っている。五と十から成っているのにヤマトコトバでは一音である。つまり、五であり十である何かがヤマトコトバで存在しているということである。それは身近にある。手の指である。片手で五、両手で十になる。そこで「五十」を「手」と書き、さらにそのテという音に合わせて「弖」と改めた。
 この書き改めの肝は、五と十とが同等に存在するものを探すことにあった。このヒトシ(等)という語は、一の意のヒトに由来していると考えられる。ヒが甲類、トは乙類である。同音にヒト(人)がある。「弖戸」=「手戸」=「五十戸」であり、「五十戸」に等しい人とはそこに一人だけいる徴税官、「五十戸長」=「里長」ということになる。鹿持雅澄・万葉集古義に「弖(氐)」は「五十」の誤字(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1883823/1/234)、井上通泰・万葉集新考に「等」は「長」の誤字(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1882760/1/123)であるとする説は結果的には正しいことになるが、実際には「戯書」の類に当たる。問答の最初の題詞、「戯嗤僧歌一首」にある「戯」の義はここにも顕れていると言えるのかも知れない(注5)。手の込んだ「有由縁」話(咄・噺・譚)が詠われている。

(注)
(注1)原文に「鬢」とあるからビンと音読みすべきという説が見られる。ホフシ、ダニヲチと字音語があるのだからという。後藤1980.参照。万3835番歌の「鬢」については、梅谷2013.参照。「……麻呂と鉄折かなをりと、鬢髪ひげかみりて沙門ほふしらむとまをす。」(持統紀三年正月)と見え、「鬢」をヒゲと訓むことに疑義を見出し得ない。ヤマトコトバのヒゲを書き表すのに「鬢」字を用いたのであり、その逆ではなく、そうしたからといって咎められる筋合いのものでもない。頭部に生える人毛は、ヤマトの言語体系ではカミとヒゲであった。丸山1981.参照。
(注2)往年は、「ほふしなからかむ」と訓み、引っ張ったら僧侶が半分になってしまうという意に解されていた。
(注3)したがって、武田氏や稲岡氏はハニカムに「含羞」字を当ててはいない。稲岡2015.の訳は次のとおりである。

 坊さんの鬢のそりあとが、のびて杭のようになった所に馬をつないで、ひどく引っぱるなよ。坊さんが歯をむきだして怒るだろうから。(万3846)
 檀越さん。そんなことをおっしゃるな。里長が課役を強制したら、お前さんだって歯をむき出して怒るはずだ。(万3847)(124頁)

(注4)助詞ニが省かれることの少なさを検討したうえで、ウマツナギを薬草の狼牙のこととする説が工藤1977.に見られ、池原2013.も追認する。「ひげ」から「馬繋」への連想が飛躍、誇張が過ぎると思われていた経緯があり、このようなおもしろ味に欠ける解釈に陥っている。
(注5)万葉集の書記法の一つ、「戯書」という名が上代にあったわけではない。ただ、「戯」なのだから書き方も「戯」にしようと考えたとしても不都合なところはない。

(引用・参考文献)
飯泉2013. 飯泉健司「大山を削る─平城京の天皇・僧と民の文学─」『日本文学』第62巻第5号、2013年5月。J-STAGE https://doi.org/10.20620/nihonbungaku.62.5_20
池原2013. 池原陽斉「『萬葉集』巻十六・三八四六番歌の訓読と解釈─「馬繋」と「半甘」を中心に─」『上代文学』第110号、2013年4月。上代文学会ホームページhttps://jodaibungakukai.org/data/110-06.pdf)(「「戯嗤僧歌」の訓読と解釈─「馬繋」と「半甘」を中心に─」『萬葉集訓読の資料と方法』笠間書院、2016年。)
稲岡1976. 稲岡耕二「万葉集における単語の交用表記」『萬葉表記論』塙書房、昭和51年。(「万葉集における単語の交用表記について」『国語学』第70集、昭和42年9月。国立国語研究所・雑誌『国語学』全文データベースhttps://bibdb.ninjal.ac.jp/SJL/view.php?h_id=0700190450)
稲岡2015. 稲岡耕二『和歌文学大系4 萬葉集(四)」』明治書院、平成27年。
梅谷2013. 梅谷記子「萬葉集巻十六・三八三五番歌の解釈─遊仙窟との比較を通して─」『上代文学』第111号、2013年11月。上代文学会ホームページhttps://jodaibungakukai.org/data/111-03.pdf
尾山2006. 尾山慎「萬葉集における二合仮名について」『萬葉語文研究』第2号、2006年。
工藤1977. 工藤力男「上代における格助詞ニの潜在と省略」『国語国文』第46巻第5号(513号)、昭和52年5月。(『日本語史の諸相 工藤力男論考選』汲古書院、1999年。)
後藤1980. 後藤利雄「鬢と髭と檀越と─万葉巻十六の歌三首について─」『国語と国文学』第57巻第8号、昭和55年8月。
武田1957. 武田祐吉『増訂 萬葉集全註釈 十一』角川書店、昭和32年。
丸山1981. 丸山圭三郎『ソシュールの思想』岩波書店、1981年。

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