神代紀第九段一書第一に、サルタヒコの形容として「口尻明耀」とある。この「口尻」は古訓に、クチワキ(書陵部本)、クチカクレ(□チカクレ(圓威本))と見える。また、欄外に「尻 御読不可読之」とある本も散見される。
大系本は「口尻明り耀れり。」と訓み、「口と尻の意。口のわきの意か。」(133頁)、新編全集本は「口・尻、明耀れり。」と訓み、「口と尻が赤いのは猿の表象か。」(130頁)、新釈全訳本は寛文版本を採って「口尻明耀。」とし、「古訓アカリは明るくなると赤くなるの両方の意を持つ。口と尻が赤く輝くのはサルタヒコの名の「猿」の意による。」(215頁)と注している。
中村1993.に、「口尻の用例を見ないが、口わきならば「口角」であろうし、口の切れ目が輝くなど、一般の理解を絶する。……常識的にも『集解』『通釈』の説に従うべきであろう。口尻─上から下まで、遍身が光り輝くことの形容であれば、古事記の表現にも合する。このように、一見奇怪奇抜な表現に見える箇所はまず、「合理性」・「常識」に基いた文意の検討が必要ではないか。」(82頁)としている。
新編全集本や新釈全訳本の解説は、サルの特徴として顔と尻が赤いことを言っているようであるが、書いてあるのは「口尻」である。口の尻、すなわち、口のわきの部分が「明耀」となるようなことがないかといえば、猿頬が膨らんでいる時のことを言っていると理解されよう。年老いて脱毛症となったり、皮膚炎に罹っていればそのように見えるであろう。
「ありえない大きさに膨らんだホホ袋」(高崎山スタッフブログ様、https://www.takasakiyama.jp/blog/index8175.html?p=2180)
サルタヒコがどのような姿をしていたかを形容する際、多くのサルの特徴をそのまま映そうとしたのでは特別感がなくなる。おやっ、あんな奴もいるんだ、風格があるねぇ、と驚嘆をもって受け止められた姿を表すからこそサルタヒコノオホカミ(猨田彦大神)と呼ばれるものに似つかわしくなるだろう。書陵部本古訓に従い、「口尻」と訓むのが正しいと結論づけられる。
(注)その他、次のようにも解されている。
「口尻明耀トハ、猿ノコトク赤シ、此時ニ、衣類不足ニシテ、千早ノ如ク、肩ニノミ物ヲ著、尻ヲ出ス躰也、」(保科正之・日本書紀蒙訓抄412頁)
「口尻ト云ハ、全体明耀ナルヲ伝ヘタル者也。」(荷田春満・師伝神代巻聞記185頁)
「按ニ口尻ハ明耀、口尻猶シ二前後ノ一。言二威儀明耀ヲ一。」(河村秀根・書紀集解、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1157899/1/65)
「口尻は面尻と云事にて。……面と後へとを云て。遍身光明の耀くよしを。知らせたる文なるへし。記に見えたる如く。上は高天原をてらし。下は葦原中国まて。光る神に坐せは。其光の口尻よりも。明輝き出たることゝ所見たり。」(飯田武郷・日本書紀通釈、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1920806/1/102)
「口尻 口の切れ目が輝いてゐる。」(古典全書本142頁)
「記述者は全身を真赤に包んだ天狗(あるいは赤鬼)の姿を眼前に描いていたかもしれない。」(柴田1975.91頁)
「……口尻が明るく輝くことの意味が分からない。つぎに眼が赩然。赩は火の燃えるような赤い色である。赩然は光り輝くさま。明耀と赩然とは似ている。……口も尻も眼も赤く輝く。ここで記は、この神のことを居二天之八衢一而、上光二高天原一、下光二葦原中国一之神としたのである。これを要するに、この神は太陽の燃えるように輝く神、太陽神なのである。」(山田1997.177頁)
「しかし「わき」というのは「かたわら」の意味である。それよりも、これはむしろ目尻の場合と同じく、「はし」の意であろう。口の両端ということである。これによって古代にクチジリという言葉のあったことが推定される。目尻も古い用例がないようではあるが、古代から用いられていた表現であろう。」(角林1999.410頁)
(引用・参考文献)
角林1999. 角林文雄『『日本書紀』神代巻全注釈』塙書房、1999年。
荷田春満・師伝神代巻聞記 『新編荷田春満全集 第二巻 日本書紀・祝詞』おうふう、平成16年。
古典全書本 武田祐吉校註『日本古典全書「日本書紀」一』朝日新聞社、昭和23年。
柴田1975. 柴田実「猿田彦考」横田健一編『日本書紀研究 第八冊』塙書房、昭和50年。
新釈全訳本 神野志隆光・金沢英之・福田武史・三上喜孝訳・校注『新釈全訳日本書紀 上巻』講談社、2021年。
新編全集本 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注・訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』小学館、1994年。
大系本 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年。
中村1993. 中村宗彦「『日本書紀』訓釈十題」『山邊道』第37巻、1993年3月。天理大学学術情報リポジトリhttps://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3066/
山田1997. 山田宗睦『日本書紀史注 巻第二』風人社、1997年。
保科正之・日本書紀蒙訓抄 『続神道大系論説編 保科正之(二)』神道大系編纂会、平成14年。
大系本は「口尻明り耀れり。」と訓み、「口と尻の意。口のわきの意か。」(133頁)、新編全集本は「口・尻、明耀れり。」と訓み、「口と尻が赤いのは猿の表象か。」(130頁)、新釈全訳本は寛文版本を採って「口尻明耀。」とし、「古訓アカリは明るくなると赤くなるの両方の意を持つ。口と尻が赤く輝くのはサルタヒコの名の「猿」の意による。」(215頁)と注している。
中村1993.に、「口尻の用例を見ないが、口わきならば「口角」であろうし、口の切れ目が輝くなど、一般の理解を絶する。……常識的にも『集解』『通釈』の説に従うべきであろう。口尻─上から下まで、遍身が光り輝くことの形容であれば、古事記の表現にも合する。このように、一見奇怪奇抜な表現に見える箇所はまず、「合理性」・「常識」に基いた文意の検討が必要ではないか。」(82頁)としている。
新編全集本や新釈全訳本の解説は、サルの特徴として顔と尻が赤いことを言っているようであるが、書いてあるのは「口尻」である。口の尻、すなわち、口のわきの部分が「明耀」となるようなことがないかといえば、猿頬が膨らんでいる時のことを言っていると理解されよう。年老いて脱毛症となったり、皮膚炎に罹っていればそのように見えるであろう。
「ありえない大きさに膨らんだホホ袋」(高崎山スタッフブログ様、https://www.takasakiyama.jp/blog/index8175.html?p=2180)
サルタヒコがどのような姿をしていたかを形容する際、多くのサルの特徴をそのまま映そうとしたのでは特別感がなくなる。おやっ、あんな奴もいるんだ、風格があるねぇ、と驚嘆をもって受け止められた姿を表すからこそサルタヒコノオホカミ(猨田彦大神)と呼ばれるものに似つかわしくなるだろう。書陵部本古訓に従い、「口尻」と訓むのが正しいと結論づけられる。
(注)その他、次のようにも解されている。
「口尻明耀トハ、猿ノコトク赤シ、此時ニ、衣類不足ニシテ、千早ノ如ク、肩ニノミ物ヲ著、尻ヲ出ス躰也、」(保科正之・日本書紀蒙訓抄412頁)
「口尻ト云ハ、全体明耀ナルヲ伝ヘタル者也。」(荷田春満・師伝神代巻聞記185頁)
「按ニ口尻ハ明耀、口尻猶シ二前後ノ一。言二威儀明耀ヲ一。」(河村秀根・書紀集解、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1157899/1/65)
「口尻は面尻と云事にて。……面と後へとを云て。遍身光明の耀くよしを。知らせたる文なるへし。記に見えたる如く。上は高天原をてらし。下は葦原中国まて。光る神に坐せは。其光の口尻よりも。明輝き出たることゝ所見たり。」(飯田武郷・日本書紀通釈、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1920806/1/102)
「口尻 口の切れ目が輝いてゐる。」(古典全書本142頁)
「記述者は全身を真赤に包んだ天狗(あるいは赤鬼)の姿を眼前に描いていたかもしれない。」(柴田1975.91頁)
「……口尻が明るく輝くことの意味が分からない。つぎに眼が赩然。赩は火の燃えるような赤い色である。赩然は光り輝くさま。明耀と赩然とは似ている。……口も尻も眼も赤く輝く。ここで記は、この神のことを居二天之八衢一而、上光二高天原一、下光二葦原中国一之神としたのである。これを要するに、この神は太陽の燃えるように輝く神、太陽神なのである。」(山田1997.177頁)
「しかし「わき」というのは「かたわら」の意味である。それよりも、これはむしろ目尻の場合と同じく、「はし」の意であろう。口の両端ということである。これによって古代にクチジリという言葉のあったことが推定される。目尻も古い用例がないようではあるが、古代から用いられていた表現であろう。」(角林1999.410頁)
(引用・参考文献)
角林1999. 角林文雄『『日本書紀』神代巻全注釈』塙書房、1999年。
荷田春満・師伝神代巻聞記 『新編荷田春満全集 第二巻 日本書紀・祝詞』おうふう、平成16年。
古典全書本 武田祐吉校註『日本古典全書「日本書紀」一』朝日新聞社、昭和23年。
柴田1975. 柴田実「猿田彦考」横田健一編『日本書紀研究 第八冊』塙書房、昭和50年。
新釈全訳本 神野志隆光・金沢英之・福田武史・三上喜孝訳・校注『新釈全訳日本書紀 上巻』講談社、2021年。
新編全集本 小島憲之・直木孝次郎・西宮一民・蔵中進・毛利正守校注・訳『新編日本古典文学全集2 日本書紀①』小学館、1994年。
大系本 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店(ワイド版岩波文庫)、2003年。
中村1993. 中村宗彦「『日本書紀』訓釈十題」『山邊道』第37巻、1993年3月。天理大学学術情報リポジトリhttps://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3066/
山田1997. 山田宗睦『日本書紀史注 巻第二』風人社、1997年。
保科正之・日本書紀蒙訓抄 『続神道大系論説編 保科正之(二)』神道大系編纂会、平成14年。