皇極紀四年六月条によると、乙巳の変の三韓の調の儀式に参内する際、蘇我入鹿は腰に佩かせる剣をはずしている。
中臣鎌子連、蘇我入鹿臣の、為人(ひととなり)疑ひ多くして、昼夜剣持けることを知りて、俳優(わざをき)に教へて、方便(たばか)りて解(ぬ)かしむ。入鹿臣、咲而解剣。
通説では、「ワラヒて剣を解く」とある。三浦佑之「ゑらく神々」『神話と歴史叙述』(若草書房、1998年)に、「入鹿は『俳優』のワザ(方便[(たばか)]り)に寄り憑かれて剣を外すことになったのだから、『ゑらきて』と訓んだ方がいいかもしれない。少なくとも一方的で侮蔑的なワラヒではないし、相手を吸引してしまう力を内在するのが『俳優』のワザであったということは明らかだ」(254頁)とある。
そして、柳田国男「笑の本願」『定本柳田国男集 第七巻』(筑摩書房、1962年)を引きながら、古代文献に「咲」と書かれる語の訓読に、一般に、ヱム(ヱマフ)とワラフの二語があるとする。ヱムとは、対称に寄り憑かれて満ち足りた喜びが顔面に溢れ出るさまをいい、そのヱミを受け取った側も相手に吸引され両者は一体化し親和することになる。ヱムの継続形がヱマフ、その名詞形のヱマヒは満ち足りた笑顔をいう。「咲」(神代紀第十段一書第一一云、雄略紀二年十月条、万1257・1738・1807・2627・2762、2900、4160、常陸風土記香島郡条)、「咲比」(万478)、「咲儛」(万718)、「咲容」(万1627)、「咲状」(万2642)「恵美」(記3、万4116)、「恵麻比」(万804一云・4011)、「恵末比」(万4114)、「恵麻須」(万3535)などである。他方、ワラフは声を伴い、あざけりやからかい、さげすみの気持ちを含んでおり、悪い結果や不快の感を与えるものである。「咲」(允恭記、清寧記、神武即位前紀戊午年九月条、武烈紀七年二月条、敏達紀十四年八月条、斉明紀五年是歳条、天智紀三年十月条、播磨風土記神前郡条)、「蚩」(継体紀元年正月条)、「嗤」(舒明紀九年三月条、万3821題詞・3840題詞・3841題詞・3842題詞)、「嗤咲」(万3844題詞・3821左注・3853題詞)、「戯嗤」(万3846題詞)、「嘲咲」(記9)、「哂」(神武即位前紀戊午年十月条)などである。両者の区別は、ヱム(ヱマフ)が、内側に潜んでいる充足した生命力や喜びを外部に放出する所作で、発する側と受け取る側の両者が親和的な状態にあるものをいい、ワラフが、相手を見下したりさげすんだりするもので、笑う者と笑われる者とが対立的な関係に置かれていくことにあるという。蜂矢真郷『古代語の謎を解く』(大阪大学出版会、2010年)でも、ワラフとヱムとの意味の相違は、動作の大小、声を挙げるか否か、口を開くか開かないか、他動詞か自動詞か、といった尺度では釈然とせず、「ワラフ[笑]は外発的な力による動作であり、ヱム[笑]は内発的な力による動作である」(142頁)とする。それは、カワク(乾)とヒル(干)の関係に相似するといっている。
三浦先生は、ヱム(ヱマフ)・ワラフに類する概念として、ヱラクが存するという。ユラク(揺)が擬態語ユラ(ユラユラ)から派生した動詞であるように、ヱラクは擬態語ヱラ(ヱラヱラ)から派生した動詞で、物自体に潜む〈たま(魂)〉が自ら発動する状態を示すことばであるとする。ヱは、ヱム同様、今日の笑顔、ほほえみのヱ、古語にあるヱクボ(靨)、ヱグシ(笑酒)のヱである。蜂矢先生も、ワラフとともにとらえられる語としてワル(割)をあげ、ヱラクはヱムとともにとらえられる語としている。続紀の称徳天皇の宣命に、ヱラキ(「恵良伎」)(天平神護元(765)年十一月二十三日条(詔38)、神護景雲三(769)年十一月二十八日条(詔46))とある。ヱラクは、天皇から下賜された酒に酔って心が高揚した状態をいうとする。陽気に酔っぱらって、顔をやわらげ赤らめ、声をあげて笑うことである。語幹のヱラは、大伴家持の「詔に応へむが為に儲けて作れる歌」にヱラヱラ(「恵良々々」(万4266))と見え、楽しそうに、にこにこと笑い興じての意味である。重祚前の孝謙天皇の天平勝宝四(752)年の作である。
さらに三浦先生は、やはり柳田国男を引きながら、ヱラクと烏滸(をこ)者との関係に触れている。「俳優(わざをき)」とも呼ばれる烏滸なる神に天鈿女命(天宇受売命)(あめのうずめのみこと)がおり、天石窟戸神話では、天照大神が石窟に籠ったのを引き出している。そのワザは、風変わりな装束を身にまとい、桶を逆さにして踊り台とし、神憑りして服を脱いでいくストリップであった。おかげで、高天原は地が震え、八百万の神は笑い声をあげた。不思議に思った天照大神は「云何(いかに)ぞ天鈿女命、かく◎(口偏に虐の旧字)楽(ゑらく)や」(神代紀第七段本文)と言っている。同じ個所の記の記述の、「八百万神、共咲」、天照大御神の発言の、「『天宇受女は楽為、亦、八百万神、諸咲』」、それに答える天宇受売の、「『汝命に益して貴き神坐す故に、歓喜咲楽』」について、「共咲」はトモニヱラク、「楽為」はアソビヲシ、「諸咲」はモロモロヱラク、「歓喜咲楽」はヨロコビヱラキアソブと訓むべきとする。ヱラクことと遊ぶこととの間には、深い関係がある。
〈笑い〉についての定義は実は難しい。その諸相としては、口を大きく開けて喜びの声をたてたり、おかしがって声をたてること、ばかにしてわらう、嘲笑すること、にこにこしたり、ほほえむことがあげられる。天石窟戸神話では、はからずも「楽」を「遊び」と採っている。R・カイヨワ、多田道太郎・塚崎幹夫訳『遊びと人間』(講談社(講談社文庫)、1990年)に、聖─俗─遊の分析枠組みの図式がある。〈遊び〉は、〈聖〉や〈俗〉とも独立した次元にあって、〈聖〉とともに〈俗〉に対立しつつ、〈聖〉に比べて自由で、非生産的で、仮構の上で成り立っている。〈聖〉や〈俗〉が真面目なものとすれば、〈遊び〉とは不真面目なものと捉えることができる。民俗学にいうハレ─ケ─ケガレ説では、祭を、ケ(気)が枯れた状態のケガレ(褻枯れ、穢れ)を祓って、再び日常に気を充満させるためのメカニズムと考える。生活のなかでの時間サイクルに合わさり、秩序の更新を意味する。一方、聖─俗─遊の図式では、〈遊び〉が秩序の革新を含む変動論のパラダイムとなっている。〈遊び〉の能力とは、正しい真理とされていることを疑って、虚仮(こけ)にする相対化の能力であり、代替可能な意味づけ、現実をとらえる枠組や世界観の脱・再構築を作り出す創造の能力でもある。「俳優(わざをき)」のワザとは〈遊び〉なのである。
ヱラクが〈遊び〉によって引き起こされるものとすると、目の前の現実がそれまでとは違った意味づけによって転調した結果、自ずと起こるものと考えることができる。酒や娯楽、芝居の演出の力を借りながら、秩序の縛りから解かれたり、恐怖を伴う緊張感からの放たれたりする際の、緩みを伴った笑いこそがヱラクである。なかでも、俳優のワザによる〈遊び〉によれば、秩序の変革を内包する笑いということになる。宣命のヱラキは、称徳天皇の豊明節会(とよのあかりせちえ)におけるもので、天皇の、今宵は無礼講で構わぬ、苦しゅうないぞ、とのお言葉である。雄略紀二年十月条の、天皇の怒りを解くことができた場面の「歓喜盈懐」は、皇太后は緊張感から解き放たれて自然と喜びが満ちてきているから、大系本日本書紀のヱラギマス(岩波文庫ワイド版(三)、30頁)はふさわしい。
天孫降臨の際に、衢に立ち塞がる猨田彦神(さるたひこのかみ)に対して、天鈿女命が例によって服を脱ぎ、「咲噱向きて立つ」(神代紀第九段一書第一)とある。俳優たるべき天鈿女が笑っている。天鈿女命の笑いによって猨田彦神は屈服したとは考えにくい。猨田彦神はお迎えに待っていたと答えており、話がかみ合っていない。むしろ、猨田彦神を笑わせることに失敗している。天鈿女命は神憑りしないまま、ただ笑うふりをしたに過ぎない。下手な演技で、俳優のワザが発揮できていない。したがって、通説のアザワラヒテがふさわしい。
雄略紀六年三月条では、蚕(こ)と子(こ)の取り違えの話が載る。天皇は後宮の女たちに養蚕をさせ、全国に奨励しようと計画した。そこで、少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)に命令して、国内の蚕を集めさせた。ところが、蜾蠃は誤って乳幼児を集めて奉った。「天皇、大咲、嬰児(わかご)を蜾蠃に賜ひて曰はく、『汝、自ら養へ』と」と言っている。この「大咲」は、ヲコ者の蜾蠃によって引き起こされたもので、大系本のオホキニミヱラギタマヒテがふさわしい。三浦先生の「ここのスガルは侮辱される存在としてあるのだから、大いに笑われなくてはいけないのである」(253頁)というのは当たらないであろう。洒落が通じていない。天皇は蜾蠃のことを軽蔑しているのではなく、天皇はなぞなぞが自ずと解けて嬉しく思い、子供はお前が養育せよと言っている。そこから「少子部連」という姓(かばね)が与えられたと記されている。養蚕の殖産事業はもはやどうでもいい。名の蜾蠃とは似我蜂(ジガバチ)である。ほかの虫の幼虫を捕えてきて巣の地中に埋めて自分の子にしてしまうという逸話が伝わっていた。法言・学行に、「螟蠣(めいれい)の子、殪(し)して蜾蠃(から)に逢ふ。之を祝して曰く、『我に類(に)よ、我に類よ』と。久しくして則ち之に肖(に)る」とある。我に似よ、すなわち、ジガと鳴いているというのである。名のとおりの働きを蜾蠃はしていた。天皇はそれに気がついて、つい笑ってしまったのである。
現代語にヱラクが失われた状況をソシュール流に推測すると、ワラフがヱラクの概念領域を占領したということではないか。古代語においては、嘲笑することをワラフという。俳優、今日でいえば道化師的なお笑いタレントの漫才やコントの芸を見て、同じ言葉で表したとは考えにくい。人をばかにして笑うのはワラフで、ばかばかしく思えて自然と笑えてくるのはヱラクであろう。対象に対して自己が屹立するのと溶解するのとの違いである。ヱラクということばが確かに存在したという事実にかんがみれば、両者は別の概念として峻別されていたと考えるべきであろう。
蜂矢、前掲書にも、「ヱラクは、『時代別国語大辞典上代編』に『笑い興じて楽しむ。満悦する。』とあり、ヱラヱラニは、同じく『楽しそうに。にこにこと笑い興じて。ヱラヱラは笑い楽しむさまを表わす擬声語で、(略)ヱラクのヱラクのヱラに同じ。』とあって、これらのヱもヱム〔笑〕のヱではないかと考えられる。『笑い興じて』『にこにこと笑い興じて』『笑い楽しむ』とある『笑い』は、『ほほえみ』とあってほしいところである」(144頁)とされている。精緻な議論である。
さて、皇極紀四年六月条には、鎌足が入鹿の用心深い性格を知っていたので、俳優を使って、方便(たばか)って剣をはずさせることに成功したとあった。「咲」はヱラキテと訓むのが良い。俳優のワザが光っており、入鹿は緊張を緩めてニコニコっとして自ら剣を解く。そのことが乙巳の変、大化改新という大きな社会の変革に結びついている。〈遊び〉が変革を生むことを通奏低音として示しており、歴史叙述において、ヱラキテの訓が深い文学性を伴うことがわかる。俳優は、「入鹿臣」に比して身分が低く、取るに足らない人間で、あざける価値がないという言い方は適切ではない。笑いのツボとは、その人の内部にある。そこをくすぐる術を持っているから、お笑い芸人という職業が存在する。俳優の所作により、入鹿のこわばっていた人格の殻は溶解してしまったのである。それがすなわち、皇極朝の支配体制の溶解を示している。したがって、三浦先生のように、「『ゑらきて』と訓んだ方がいいかもしれない」(254頁)どころではなく、そう訓まねばならない個所であろう。そうでないと、言葉の上で、大化改新のクーデターは失敗ということになる。
中臣鎌子連、蘇我入鹿臣の、為人(ひととなり)疑ひ多くして、昼夜剣持けることを知りて、俳優(わざをき)に教へて、方便(たばか)りて解(ぬ)かしむ。入鹿臣、咲而解剣。
通説では、「ワラヒて剣を解く」とある。三浦佑之「ゑらく神々」『神話と歴史叙述』(若草書房、1998年)に、「入鹿は『俳優』のワザ(方便[(たばか)]り)に寄り憑かれて剣を外すことになったのだから、『ゑらきて』と訓んだ方がいいかもしれない。少なくとも一方的で侮蔑的なワラヒではないし、相手を吸引してしまう力を内在するのが『俳優』のワザであったということは明らかだ」(254頁)とある。
そして、柳田国男「笑の本願」『定本柳田国男集 第七巻』(筑摩書房、1962年)を引きながら、古代文献に「咲」と書かれる語の訓読に、一般に、ヱム(ヱマフ)とワラフの二語があるとする。ヱムとは、対称に寄り憑かれて満ち足りた喜びが顔面に溢れ出るさまをいい、そのヱミを受け取った側も相手に吸引され両者は一体化し親和することになる。ヱムの継続形がヱマフ、その名詞形のヱマヒは満ち足りた笑顔をいう。「咲」(神代紀第十段一書第一一云、雄略紀二年十月条、万1257・1738・1807・2627・2762、2900、4160、常陸風土記香島郡条)、「咲比」(万478)、「咲儛」(万718)、「咲容」(万1627)、「咲状」(万2642)「恵美」(記3、万4116)、「恵麻比」(万804一云・4011)、「恵末比」(万4114)、「恵麻須」(万3535)などである。他方、ワラフは声を伴い、あざけりやからかい、さげすみの気持ちを含んでおり、悪い結果や不快の感を与えるものである。「咲」(允恭記、清寧記、神武即位前紀戊午年九月条、武烈紀七年二月条、敏達紀十四年八月条、斉明紀五年是歳条、天智紀三年十月条、播磨風土記神前郡条)、「蚩」(継体紀元年正月条)、「嗤」(舒明紀九年三月条、万3821題詞・3840題詞・3841題詞・3842題詞)、「嗤咲」(万3844題詞・3821左注・3853題詞)、「戯嗤」(万3846題詞)、「嘲咲」(記9)、「哂」(神武即位前紀戊午年十月条)などである。両者の区別は、ヱム(ヱマフ)が、内側に潜んでいる充足した生命力や喜びを外部に放出する所作で、発する側と受け取る側の両者が親和的な状態にあるものをいい、ワラフが、相手を見下したりさげすんだりするもので、笑う者と笑われる者とが対立的な関係に置かれていくことにあるという。蜂矢真郷『古代語の謎を解く』(大阪大学出版会、2010年)でも、ワラフとヱムとの意味の相違は、動作の大小、声を挙げるか否か、口を開くか開かないか、他動詞か自動詞か、といった尺度では釈然とせず、「ワラフ[笑]は外発的な力による動作であり、ヱム[笑]は内発的な力による動作である」(142頁)とする。それは、カワク(乾)とヒル(干)の関係に相似するといっている。
三浦先生は、ヱム(ヱマフ)・ワラフに類する概念として、ヱラクが存するという。ユラク(揺)が擬態語ユラ(ユラユラ)から派生した動詞であるように、ヱラクは擬態語ヱラ(ヱラヱラ)から派生した動詞で、物自体に潜む〈たま(魂)〉が自ら発動する状態を示すことばであるとする。ヱは、ヱム同様、今日の笑顔、ほほえみのヱ、古語にあるヱクボ(靨)、ヱグシ(笑酒)のヱである。蜂矢先生も、ワラフとともにとらえられる語としてワル(割)をあげ、ヱラクはヱムとともにとらえられる語としている。続紀の称徳天皇の宣命に、ヱラキ(「恵良伎」)(天平神護元(765)年十一月二十三日条(詔38)、神護景雲三(769)年十一月二十八日条(詔46))とある。ヱラクは、天皇から下賜された酒に酔って心が高揚した状態をいうとする。陽気に酔っぱらって、顔をやわらげ赤らめ、声をあげて笑うことである。語幹のヱラは、大伴家持の「詔に応へむが為に儲けて作れる歌」にヱラヱラ(「恵良々々」(万4266))と見え、楽しそうに、にこにこと笑い興じての意味である。重祚前の孝謙天皇の天平勝宝四(752)年の作である。
さらに三浦先生は、やはり柳田国男を引きながら、ヱラクと烏滸(をこ)者との関係に触れている。「俳優(わざをき)」とも呼ばれる烏滸なる神に天鈿女命(天宇受売命)(あめのうずめのみこと)がおり、天石窟戸神話では、天照大神が石窟に籠ったのを引き出している。そのワザは、風変わりな装束を身にまとい、桶を逆さにして踊り台とし、神憑りして服を脱いでいくストリップであった。おかげで、高天原は地が震え、八百万の神は笑い声をあげた。不思議に思った天照大神は「云何(いかに)ぞ天鈿女命、かく◎(口偏に虐の旧字)楽(ゑらく)や」(神代紀第七段本文)と言っている。同じ個所の記の記述の、「八百万神、共咲」、天照大御神の発言の、「『天宇受女は楽為、亦、八百万神、諸咲』」、それに答える天宇受売の、「『汝命に益して貴き神坐す故に、歓喜咲楽』」について、「共咲」はトモニヱラク、「楽為」はアソビヲシ、「諸咲」はモロモロヱラク、「歓喜咲楽」はヨロコビヱラキアソブと訓むべきとする。ヱラクことと遊ぶこととの間には、深い関係がある。
〈笑い〉についての定義は実は難しい。その諸相としては、口を大きく開けて喜びの声をたてたり、おかしがって声をたてること、ばかにしてわらう、嘲笑すること、にこにこしたり、ほほえむことがあげられる。天石窟戸神話では、はからずも「楽」を「遊び」と採っている。R・カイヨワ、多田道太郎・塚崎幹夫訳『遊びと人間』(講談社(講談社文庫)、1990年)に、聖─俗─遊の分析枠組みの図式がある。〈遊び〉は、〈聖〉や〈俗〉とも独立した次元にあって、〈聖〉とともに〈俗〉に対立しつつ、〈聖〉に比べて自由で、非生産的で、仮構の上で成り立っている。〈聖〉や〈俗〉が真面目なものとすれば、〈遊び〉とは不真面目なものと捉えることができる。民俗学にいうハレ─ケ─ケガレ説では、祭を、ケ(気)が枯れた状態のケガレ(褻枯れ、穢れ)を祓って、再び日常に気を充満させるためのメカニズムと考える。生活のなかでの時間サイクルに合わさり、秩序の更新を意味する。一方、聖─俗─遊の図式では、〈遊び〉が秩序の革新を含む変動論のパラダイムとなっている。〈遊び〉の能力とは、正しい真理とされていることを疑って、虚仮(こけ)にする相対化の能力であり、代替可能な意味づけ、現実をとらえる枠組や世界観の脱・再構築を作り出す創造の能力でもある。「俳優(わざをき)」のワザとは〈遊び〉なのである。
ヱラクが〈遊び〉によって引き起こされるものとすると、目の前の現実がそれまでとは違った意味づけによって転調した結果、自ずと起こるものと考えることができる。酒や娯楽、芝居の演出の力を借りながら、秩序の縛りから解かれたり、恐怖を伴う緊張感からの放たれたりする際の、緩みを伴った笑いこそがヱラクである。なかでも、俳優のワザによる〈遊び〉によれば、秩序の変革を内包する笑いということになる。宣命のヱラキは、称徳天皇の豊明節会(とよのあかりせちえ)におけるもので、天皇の、今宵は無礼講で構わぬ、苦しゅうないぞ、とのお言葉である。雄略紀二年十月条の、天皇の怒りを解くことができた場面の「歓喜盈懐」は、皇太后は緊張感から解き放たれて自然と喜びが満ちてきているから、大系本日本書紀のヱラギマス(岩波文庫ワイド版(三)、30頁)はふさわしい。
天孫降臨の際に、衢に立ち塞がる猨田彦神(さるたひこのかみ)に対して、天鈿女命が例によって服を脱ぎ、「咲噱向きて立つ」(神代紀第九段一書第一)とある。俳優たるべき天鈿女が笑っている。天鈿女命の笑いによって猨田彦神は屈服したとは考えにくい。猨田彦神はお迎えに待っていたと答えており、話がかみ合っていない。むしろ、猨田彦神を笑わせることに失敗している。天鈿女命は神憑りしないまま、ただ笑うふりをしたに過ぎない。下手な演技で、俳優のワザが発揮できていない。したがって、通説のアザワラヒテがふさわしい。
雄略紀六年三月条では、蚕(こ)と子(こ)の取り違えの話が載る。天皇は後宮の女たちに養蚕をさせ、全国に奨励しようと計画した。そこで、少子部蜾蠃(ちいさこべのすがる)に命令して、国内の蚕を集めさせた。ところが、蜾蠃は誤って乳幼児を集めて奉った。「天皇、大咲、嬰児(わかご)を蜾蠃に賜ひて曰はく、『汝、自ら養へ』と」と言っている。この「大咲」は、ヲコ者の蜾蠃によって引き起こされたもので、大系本のオホキニミヱラギタマヒテがふさわしい。三浦先生の「ここのスガルは侮辱される存在としてあるのだから、大いに笑われなくてはいけないのである」(253頁)というのは当たらないであろう。洒落が通じていない。天皇は蜾蠃のことを軽蔑しているのではなく、天皇はなぞなぞが自ずと解けて嬉しく思い、子供はお前が養育せよと言っている。そこから「少子部連」という姓(かばね)が与えられたと記されている。養蚕の殖産事業はもはやどうでもいい。名の蜾蠃とは似我蜂(ジガバチ)である。ほかの虫の幼虫を捕えてきて巣の地中に埋めて自分の子にしてしまうという逸話が伝わっていた。法言・学行に、「螟蠣(めいれい)の子、殪(し)して蜾蠃(から)に逢ふ。之を祝して曰く、『我に類(に)よ、我に類よ』と。久しくして則ち之に肖(に)る」とある。我に似よ、すなわち、ジガと鳴いているというのである。名のとおりの働きを蜾蠃はしていた。天皇はそれに気がついて、つい笑ってしまったのである。
現代語にヱラクが失われた状況をソシュール流に推測すると、ワラフがヱラクの概念領域を占領したということではないか。古代語においては、嘲笑することをワラフという。俳優、今日でいえば道化師的なお笑いタレントの漫才やコントの芸を見て、同じ言葉で表したとは考えにくい。人をばかにして笑うのはワラフで、ばかばかしく思えて自然と笑えてくるのはヱラクであろう。対象に対して自己が屹立するのと溶解するのとの違いである。ヱラクということばが確かに存在したという事実にかんがみれば、両者は別の概念として峻別されていたと考えるべきであろう。
蜂矢、前掲書にも、「ヱラクは、『時代別国語大辞典上代編』に『笑い興じて楽しむ。満悦する。』とあり、ヱラヱラニは、同じく『楽しそうに。にこにこと笑い興じて。ヱラヱラは笑い楽しむさまを表わす擬声語で、(略)ヱラクのヱラクのヱラに同じ。』とあって、これらのヱもヱム〔笑〕のヱではないかと考えられる。『笑い興じて』『にこにこと笑い興じて』『笑い楽しむ』とある『笑い』は、『ほほえみ』とあってほしいところである」(144頁)とされている。精緻な議論である。
さて、皇極紀四年六月条には、鎌足が入鹿の用心深い性格を知っていたので、俳優を使って、方便(たばか)って剣をはずさせることに成功したとあった。「咲」はヱラキテと訓むのが良い。俳優のワザが光っており、入鹿は緊張を緩めてニコニコっとして自ら剣を解く。そのことが乙巳の変、大化改新という大きな社会の変革に結びついている。〈遊び〉が変革を生むことを通奏低音として示しており、歴史叙述において、ヱラキテの訓が深い文学性を伴うことがわかる。俳優は、「入鹿臣」に比して身分が低く、取るに足らない人間で、あざける価値がないという言い方は適切ではない。笑いのツボとは、その人の内部にある。そこをくすぐる術を持っているから、お笑い芸人という職業が存在する。俳優の所作により、入鹿のこわばっていた人格の殻は溶解してしまったのである。それがすなわち、皇極朝の支配体制の溶解を示している。したがって、三浦先生のように、「『ゑらきて』と訓んだ方がいいかもしれない」(254頁)どころではなく、そう訓まねばならない個所であろう。そうでないと、言葉の上で、大化改新のクーデターは失敗ということになる。