古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

「さみなし」(記23・紀20)の意について

2021年10月12日 | 古事記・日本書紀・万葉集
「黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き さみなしにあはれ」

 景行記、ヤマトタケルによる出雲掌握の段に、木刀を作っておいて相手を騙し殺す話が載る。同じテーマは、崇神紀に出雲の豪族間の内紛の話としてある。そして、ともにほとんど同じ歌謡をもって歌いおさめる形をとっている。
 本稿では、その歌謡の「さみなし」の意について確認する。はじめに該当する記紀所載の説話について掲載する。

 即ち出雲国に入り坐(ま)しき。其の出雲建(いづもたける)を殺さむと欲ひて、到りて即ち友(うるはしみ)と結ぶ。故、窃(ひそ)かに赤檮(いちひ)を以て詐(いつは)りの刀(たち)を作り、御佩(みはかし)と為(し)て、共に肥河(ひのかは)に沐(ゆかはあみ)す。爾くして倭建命、河より先づ上(あが)り、出雲建が解き置ける横刀(たち)を取り佩(は)きて詔(のたま)はく、「刀(たち)を易(か)へむと為(おも)ふ」とのたまふ。故、後に出雲建、河より上りて、倭建命の詐りの刀を佩く。是(ここ)に、倭建命、誂(あとら)へて云はく、「いざ刀を合せむ」といふ。爾くして、各(おのもおのも)其の刀を抜かむとせし時、出雲建、詐りの刀を抜くこと得ず。即ち、倭建命、其の刀を抜きて、出雲建を打ち殺す。爾くして、御歌(みうた)に曰く、
 やつめさす 出雲建が 佩ける大刀(たち) 黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き さみなしにあはれ(記23)
 故、如此(かく)撥(はら)ひ治(をさ)めて、参ゐ上(のぼ)りて、覆奏(かへりごとまを)しき。(景行記)
 六十年の秋七月の丙申の朔にして己酉に、群臣(まへつきみたち)に詔(みことのり)して曰(のたま)はく、「武日照命(たけひなてるのみこと)一に云はく、武夷鳥(たけひなとり)といふ。又云はく、天夷鳥(あめひなとり)といふ。の、天(あめ)より将(も)ち来(きた)れる神宝(かむだから)を、出雲大神(いづものおほみかみ)の宮に蔵(をさ)む。是を見(みま)欲し」とのたまふ。則ち矢田部造(やたべのみやつこ)の遠祖(とほつおや)武諸隅(たけもろすみ)一書(あるふみ)に云はく、一名(またのな)は大母隅(おほもろすみ)といふ。を遣(つかは)して献らしむ。是の時に当りて、出雲臣の遠祖、出雲振根(いづものふるね)、神宝(かむたから)を主(つかさど)れり。是に筑紫国に往(まか)りて遇(まうあ)はず。其の弟(いろど)飯入根(いひいりね)、則ち皇命(おほみこと)を被(うけたまは)りて、神宝を以て、弟、甘美韓日狭(うましからひさ)と子、鸕濡渟(うかづくぬ)とに付(さづ)けて貢(たてまつ)り上(あ)ぐ。既にして出雲振根、筑紫より還(かへ)り来(まう)きて、神宝を朝廷(みかど)に献りつといふことを聞きて、其の弟、飯入根を責めて曰く、「数日(しばし)待たむ。何を恐(かしこ)みか、輙(たやす)く神宝を許しし」といふ。是を以て、既に年月(としつき)を経(ふ)れども、猶恨忿(うらみふつくむこと)を懐(うだ)きて、弟を殺さむといふ志(こころ)有り。仍りて弟を欺きて曰く、「頃者(このごろ)、止屋(やむや)の淵に多(さは)に菨(も)生(お)ひたり。願はくは共に行きて見欲し」といふ。則ち兄(いろね)に随ひて往けり。是より先に、兄窃(ひそか)に木刀(こだち)を作れり。形(かたち)真刀(まさひ)に似る。当時(ときに)自ら佩けり。弟真刀を佩けり。共に淵の頭(ほとり)に到りて、兄の、弟に謂(かた)りて曰く、「淵の水、清冷(いさぎよ)し。願はくは共に游沐(かはあ)みせむと欲ふ」といふ。弟、兄の言(こと)に従ひて、各佩かせる刀を解(ぬ)きて、淵の辺(はた)に置き、水中(みづのなか)に沐(かはあ)む。乃ち兄先に陸(くが)に上(あが)りて、弟の真刀を取りて自ら佩く。後に弟、驚きて兄の木刀を取る。共に相擊つ。弟、木刀を抜くこと得ず。兄、弟の飯入根を擊ちて殺しつ。故、時人(ときのひと)、歌(うたよみ)して曰く、
  やくもたつ 出雲梟師(いづもたける)が 佩ける大刀(たち) 黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き さみなしにあはれ(紀20)
 是に、甘美韓日狭・鸕濡渟、朝廷に参向(まう)でて、曲(つばびらか)に其の状(かたち)を奏す。則ち吉備津彦(きびつひこ)と武渟河別(たけぬなかはわけ)とを遣して、出雲振根を誅(ころ)す。故、出雲臣等、是の事に畏りて、大神(おほみかみ)を祭らずして間(しまし)有り。時に、丹波(たには)の氷上(ひかみ)の人、名は氷香戸辺(ひかとべ)、皇太子(ひつぎのみこ)活目尊(いくめのみこと)に啓(まを)して曰(まを)さく、「己(やつかれ)が子、小児(わかご)有(はべ)り。而(しかう)して自然(おのづから)に言(まを)さく、
 玉菨鎮石(たまものしづし)。出雲人(いづもひと)の祭(いのりまつ)る、真種(またね)の甘美鏡(うましかがみ)。押し羽振(はふ)る、甘美御神(うましみかみ)、底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし)。山河(やまがは)の水泳(みくく)る御魂(みたま)。静挂(しづか)なる甘美御神、底宝御宝主。菨、此には毛(も)と云ふ。
是は小児の言に似(の)らず。若しくは託(つ)きて言ふもの有らむ」とまをす。是に、皇太子、天皇に奏したまふ。則ち勅(みことのり)して祭(いはひまつ)らしめたまふ。(崇神紀六十年七月)

 記紀の歌謡部分を再掲する。

 やつめさす 出雲建(いずもたける)が 佩ける大刀(たち) 黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き さみなしにあはれ(記23)
 やくもたつ 出雲梟師(いづもたける)が 佩ける大刀(たち) 黒葛(つづら)多(さは)纏(ま)き さみなしにあはれ(紀20)(注1)

2つの説

 これらの歌にある「さみなし」の語義について、(1)「さ身無し」、刀身が無い意とする説、(2)「錆(さみ)無し」、錆びていない意とする説がある。(1)は本居宣長・古事記伝に、「佐味那志爾阿波礼サミナシニアハレは、真身無サミナしに嗚呼アハレなり、と云例多し、タチの身なり、【木以て偽り造れる刀なる故に、身は無きなり、……」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920821/116~117、漢字の旧字体は改めた。)、(2)は橘守部・稜威言別に、「さすがに出雲 ルと呼ばるゝ者の、ハキたる大刀ほどありて、葛蔓多纏ツヾラサハマキ堅固製カタクツクれるのみならず、身にサビひと処居ずして、可怜鋭利刀アハレトキタチなるかもとなり。」(国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069688/63、漢字の旧字体は改めた。)以来続いている(注2)
 今日、(2)説はあまり主張されていない(注3)が、小野2019.に再評価が行われている。山口1985.のm・bの子音交替の検討から、サビ(錆)の古形はサミ(ミは乙類)であるかとする説(注4)、矢嶋2011.の古事記における非‐主要仮名「味」は主要仮名「微」とは異なる意味を示そうとした表記と考えられ、用字上、「佐味那志爾阿波礼」は「さ身無しにあはれ」ではなく「さみ無しにあはれ」が支持されるという説を持ち出している(注5)
 矢嶋2011.は、「散文本文には「以赤檮、作詐刀」(中130)とあり、「赤檮いちひ」でできた「詐刀」であれ刀身は現に存在するのである。……出雲建を嘲笑する歌であるが、ここは鉄製・・の太刀ではない「詐刀」であるため、立派な「都豆良(黒葛)」も「佐皮(多)」 に「麻(纏)」いているし、その上「さみもなくて、すばらしいなあ」と皮肉な揶揄を浴びせているのである。」(133頁)としている。一方、小野2019.は、「「出雲建の佩刀は黒葛を沢山巻いて立派であり、錆も無い」とし、出雲建の佩刀を「あはれ」と讃嘆する歌であった」(67頁)とする。
 「あはれ」の意について大きな違いが生じている。いずれにせよ、「あはれ」の対象を「出雲建が 佩ける大刀」としている。
 「なしに」という形は、一般的な助詞「に」への接続の仕方とは異なるものである。連体形でうける「なくに」という例も見られるなか、「なしに」と終止形がうけている。連語になっていて、~がない状態に、~がないように、~がなくて、の意である。万葉集の例で「なしに」は、結句に添付される例が多く、余韻を与えるのに効果的である。後ろに語が続く例も見られるが、結句例に似てそこで節が切れる場合も多い。

 慰むる 心はなしに 雲隠(がく)り 鳴き行く鳥の 哭(ね)のみし泣かゆ(万898)
 …… 立ちあざり 我れ乞(こ)ひ祈(の)めど 須臾(しましく)も 吉けくはなしに 漸漸(やくやく)に 容貌(かたち)つくほり ……(万904)
 千鳥鳴く み吉野川の 川音(かはと)なす 止(や)む時なしに 思ほゆる君(万915)
 朝霜の 消(け)ぬべくのみや 時無しに 思ひ渡らむ 息の緒にして(万3045)
 志太(しだ)の浦を 朝漕ぐ船は 由(よし)なしに 漕ぐらめかもよ 由こさるらめ(万3430)
 …… 為(せ)むすべの たどきを知らに 隠(こも)り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに ……(万3969)
 …… いや懐しく 相見れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐしもなしに 愛(は)しけやし 我が奥妻(おくづま) ……(万3978)
 しなてる 片岡山に 飯(いひ)に飢(ゑ)て 臥(こや)せる その旅人(たひと)あはれ 親なしに 汝(なれ)成りけめや さす竹の 君はやなき 飯に飢て 臥せる その旅人あはれ(紀104)

 万3978番歌の例では、「めぐしもなしに」はすぐ下の「愛しけやし」にかかる。紀104歌謡も、「親なしに」はすぐ下の「汝成りけめや」にかかる。
 一方、紀104歌謡の「あはれ」はその直前の「その旅人」を直接受けている。何が「あはれ」かと言えば、「その旅人」が「あはれ」なのである。
 すると、「さみなしにあはれ」とあれば、何が「あはれ」かと言えば、「さみなしに」が「あはれ」なのである。「佩ける大刀 黒葛多纏き」とは無関係に成り立っている。「黒葛多纏き」と連用形中止法でつながっている。連用形中止法は、A(「黒葛多纏き」)という叙述が連用形中止法で途切れ、B(「さみなしにあはれ」)という叙述へとつづいている。確かに、Bという叙述にある助動詞などがAにも及ぶ場合もある。可能性として、「黒葛多纏き(ナルハあはれ)、さみなしにあはれ」であることもないではない。だが、ここではかなり型崩れしており、この例でAとBとを並立に考えることは難しい。この場合、AとBとが並び立ちにくいということではなく、並び立たない不自然さが強調されるべくして連用形中止法で結びつけていると捉えられるべきものである。逆接の一例と考えられる(注6)
 記23・紀20歌謡で、「……なしにあはれ」とあれば、……がない状況に対して「あはれ」と指し示している。「あはれ」はともに感動詞であるアとハレの複合語である。~がないのは、ああ、という意が原義である。岩波古語辞典に、「はじめは、事柄を傍から見て讃嘆・喜びの気持ちを表わす際に発する声。それが相手や事態に対する自分の愛情・愛惜の気持を表わすようになり、……」と語釈され、「①讃嘆・喜びの気持を表わす声。……②賞美の気持を表わす声。……③愛情・愛惜の気持を表わす声。……」(45頁)といった例をあげている。多様な感情表現に用いられるとは言っても、要するに、「あはれ」は声の発露である。「あはれ」の多義性に目を奪われてどういう意味かを詮議する前に、「……なしにあはれ」は、~がない状態は、ああ、と声をもって受けている。「あはれ」に対象を求めて「出雲建が 佩ける大刀」がそれに当たるとするのは見当外れである。

ツヅラについて

 「黒葛多纏き」は、ツヅラの蔓を使って大刀の握り手である、柄(把)の部分に巻きつけ、手が滑らないための細工を言っている。言葉としてのツヅラは、籠編みなどに綴ることで実用とするツヅラの蔓のことを指す。人は、自然界の物を実用に供したとき分節化し、そのとき、物は名を獲得して植物名としてのツヅラが現れる。すなわち、ツヅラという植物名は、蔓性植物の総称と捉えられる。ここに、「つづら多纏き」という言葉は、ツヅラの蔓をたくさん巻き巻きにしていることを言いつつ、自然界において、蔓性植物が何かに絡まり巻きついていることを彷彿とさせるのである。人が道具を見つめる視線はその逆方向をたどると理解しやすい。
柄巻師(人倫訓蒙図彙、国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2592444/4をトリミング)
 植物が木やフェンスなどに絡まりついていたら、それはとても繁茂していることになる。それほどまでに巻きついていたら、すなわち、「つづら多纏き」状態になっているとするならば、花をつけ、実を結ばないことはないであろう。しかし、実を結ぶことはなかった。赤檮(いちひ)の一刀彫で柄の滑り止め用のツヅラ纏きが模造されているからである。よって、「さ実なし」ことについて「あはれ」と言っていて正しいのである。自然界での描写と人工物の描写がダブっているから、表現として聞く人の心に安定をもたらしている。
 このツヅラが現在の植物名の何に当たるかを確かめれば、さらにわかることがある。万葉集にツヅラは2例見られる。

 駿河の海 磯辺(おしへ)に生ふる 浜つづら 汝(いまし)を頼み 母に違(たが)ひぬ(万3359)
 上野(かみつけの) 安蘇(あそ)山つづら 野を広み 延(は)ひにしものを 何(あぜ)か絶えせむ(万3434)

 木下2010.は、万3359番歌の「浜つづら」はアオツヅラフジかハマツヅラフジのいずれかであるとしている。一方、万3434番歌の「山つづら」は、「木によじ登るオオツヅラフジ、草原にも生えるが匍匐して広がるようには生えないアオツヅラフジではしっくりこない……[ので、]平たい地形でも匍匐して旺盛に生え、また大きな木によじ登って上にも伸びる柔軟な生態をもつ」(384頁)マメ科のクズがふさわしいとしている。綴る材料になる蔓植物のことを「つづら」と呼ぶばかりだからそのとおりであろう。
 記23(紀20)の「つづら」もクズのことを指すとみるとふさわしく感じられる。表現としての適格性が見て取れるからである。第一に、クズは固く巻いてよじ登る性質がある。刀の柄に巻くことが自然界に起きていてなるほどと思わせる。大刀のような刀剣類は、斬るものとしての機能もさることながら、その形状から殴り倒すこと、薙ぎ払うことも重視されていた。大刀が古く直刀であったのは、棍棒から出発したものであることを教えてくれる。すなわち、棍棒になりそうな木の幹にクズが巻きついていることを思わせてくれるのである。掴み握るのに滑らなくしてくれている。そして第二に、クズはマメ科であり、実をつけるとき莢(さや)に成る点である。刀身が鞘(さや)に納められるべきものとしてあることをうまく言い当てている(注7)
左:木に巻きつきよじ登るクズ(開花期)、右:果実は莢果(Pollinator様、ウィキペディアhttps://ja.wikipedia.org/wiki/クズ)
 ここに、「さみなし」は「さ身なし」でなければならない理由が確かめられる。「つづら多巻き」となるクズが、「さ実なし」とは莢に実が入っていないということで、刀にたとえれば鞘に刀身がないことに対応し、それで「さ身なし」と表現して言葉として自己定義的に適切な言い方になっている。うわべばかりの模造品を拵えたのである。鍔付きの刀に見えるのであるが、「出雲建、不詐刀。」(景行記)、「弟不木刀。」(崇神紀)と書いてある。鞘から刃を抜くことができなかったのである。まがい物だとは想像だにないから、柄を握りしめて鞘を抜こうとして一生懸命になっている間に、「即、倭建命、抜其刀而、打-殺出雲建。」(景行記)、「兄擊弟飯入根而殺之。」(崇神紀)ということになっている。「あはれ」と感動詞をもって表現することがふさわしい。嘲笑や讃嘆、同情といった意味づけ以前に、あれっ、と声が漏れ出るところをうまく言い当てている(注8)
 「さみなし」を「錆(さみ)なし」とする解釈は賢しらごとであった。(1)と(2)説の折衷案として、木で偽物を造っているのだから、真の意味での刀身、「真身(さみ)」は無く、それは本来あるべき鉄部分が無くて「錆(さみ)」も無い。すなわち、「佐味那志」とは、「さ身無し」と「錆(さみ)無し」とを掛けてあるとすることも矢嶋2011.小野2019.などからは敷衍されよう。とはいえ、実践の場において想定できない。当時の直刀形式の大刀は、打ち倒しつつ斬るように作られたもので、仮に木刀としてしっかり作られているのなら、それをもって抵抗するのに十分である。鉄器相手に打ち負かすこともあり得るわけである。そういうことにならなかったのは、騙されたことに気づかずに抜こう抜こうとこだわっていたことによる。咄嗟に偽物だと気づいたら、相手とディスタンスをとることも、木刀で立ち向かうこともできたはずである。「あはれ」なのはその点である。「つづら多巻き」なのに「さみ(身)なし」であることに思考がついていけていないことである。刃(は)の状態の問題ではなく身(み)の不在を言い続けている(注9)
 見た目でわからないように彫り造り、相手を騙して殺している。その場合の「さみなしにあはれ」という表現の的確性は、植物のツヅラ(クズ)のことを知っていれば言葉の上で治験ある知見として納得できる水準に達しているわけであった。

(注)
(注1)第一句目の枕詞とされる「やつめさす」、「やくもさす」については、拙稿「「八雲立つ 出雲八重垣」について」参照。
(注2)ほかに、契沖・厚顔抄に、紀20歌謡の「佐微那辞珥阿波礼」につき、「無鋤𪫧怜ナリ。鋤ハ剣ナリ。下ノ推古天皇ノ御歌云、勾礼能摩差比、私記云、良剣之名也。今按、摩差比ハ真鋤ナリ。」(国文学資料館・新日本古典籍総合データベースhttps://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100259948/viewer/30、漢字の旧字体を改め、句読点を付した。)とある。(1)(2)と同じく唱えられていたが、サヒ(鋤)のヒが甲類でサミナシのミが乙類であることから音転は考えにくく、今日顧みられていない。
 また、野津1987.に、「狭身成しにあはれ」ととり、幅の狭い刀身を成している、見事だ、とする説が見られる。
(注3)ごく最近でも新校古事記は採っている。
(注4)山口1985.は、「鉎 私生反、平、鏉也、加祢乃佐美(かねのさみ)也」(新撰字鏡)、「鉄精 〈陶景注に云はく、雑練者也といふ。〉一名に鉄漿〈出兼名苑に出づ。〉、和名は加奈久曽(かなくそ)、一名に加祢乃佐比(かねのさび)」(本草和名)とあるのを引いて、記23歌謡の「佐味」について、「倭建命が出雲建に木刀を渡して詐いたという話の筋からすれば、「さ身」と解するのが穏当であろうが、歌全体の調子から言えば、本来はこの話と関係なく、出雲建の大刀を讃美する歌だったのではないかと思われる。さすれば、元来は「錆」の意だったのではなかろうか。」(178頁)としている。
(注5)矢嶋2011.は、「非‐主要仮名は時として主要仮名が表す意味領域とは異なる意味を担う場合があることを考えれば、ここの「味」も主要の「微」とは異なる意味を負う可能性は高い。」(132頁)としている。ミ乙類は記で主要仮名「微」字が16例、非‐主要仮名「味」字はここの1例にとどまる。ミ(身・実・子)の意味でを使う「微」字の例が3例あり、それらの声点は上声であり、サビ(錆)のビの声点が平声のため、ミ(乙類)平声を表すために「味」字が用いられたと推測されるから「錆(さみ)無しにあはれ」の意であろうとしている。
 小野2019.は、問題点も認めながら論じている。「「佩ける大刀」が現在形であることから、従来は歌がうたわれた「現在」において出雲建が佩いている詐刀がそれに当たるとされてきた。出雲建が本来持っていた大刀をいう歌だと解すると、この「佩ける」が「佩きし」の形でない点が問題とされる。……この箇所について、行動としての大刀の所有を示す言葉ではなく、大刀の所属を示す言葉であると解したい。即ち、出雲建の佩刀である大刀という意味である。」(74頁)とし、「当該歌は出雲の勇士の所有である大刀を讃美し、出雲国を称揚する役割をもつ……。そのような歌が倭建命によって歌われることの意義は、讃美されるに値する出雲の力を倭建命が手に入れ、その力をもって東征に赴くことを語るところにある」(72頁)と、大和王権による国土掌握を語るとする“大きな”物語を想定している。記自体に、そのような“大きな”物語が明示されているわけではない。出雲の力を倭建命が手に入れて東征に力となったかと言えば、そのようなことは記されていない。それどころか倭建命は、姨(おば)の倭比売命(やまとひめのみこと)に泣きついている。「天皇既所-以思吾死乎何。……猶所看吾既死焉、患泣罷時、……」などとある。倭比売命は、草那芸剣と火打石入りの御嚢を渡している。
 “大きな”物語から話がプロットとして展開されていると考えにくいのは、話が無文字時代における口頭言語によるお話だからでもある。話しているのを聞いたらすぐに消えてなくなる。遡って聞き返すことはしない。聞いたその場で納得して理解していくのに、抽象性を伴う“大きな”物語が後ろに控えていると想定することはできない。はじめて聞く人にもおもしろがられて聞かれ、覚えられて次へ伝えられていくことこそ、口承の話の命である。それぞれの話に因果関係がある場合には、「故(かれ)」という語をもって接続され、それはそれでなるほどと納得されて理解されるものであって、その結果として次の人へ伝わっていく。暗黙のもとに“大きな”物語が控えていると考えることは、文字を手に入れた人のすることである。
(注6)西宮1971.は、連用形中止法での逆接の他の用例として、「神風の 伊勢の海の 生石(おひし)に 這ひ廻(もとほ)ろふ 細螺(しただみ) い這ひ廻り 撃ちてし止まむ」(記13)、「…… たしみ竹 たしには率(ゐ)寝(ね)ず 後も組み寝む」(記90)、「…… 王子(みこ)の柴垣 八節(やふ)結(じま)り 結(しま)り廻(もとほ)し 切れむ柴垣 焼けむ柴垣」(記109)をあげている。
(注7)岩波古語辞典に、「さや【鞘・莢】」(574頁)と、何の疑問もなく同一項にしている。人工物の鞘をサヤというのは、自然物の莢をサヤというのと同等だと認識されたに違いないということである。刀身の身をミというのが、植物の実をミというのに対照して的確である。
(注8)「あはれ」という語の感動詞的性格を筆者は強く意識し、「さ身なし」点について「あはれ」と声に出して適当であることを言っていると考えている。「あはれ」は、あっ、ああ、あれれ、あちゃ、うわっ、ひゃあ、といった声を表すことを出発点とした感動詞であろう。あれれ、抜けないということを当人が「あはれ」と発し、打ち殺した側からみて「あはれ」なことと感じ、第三者の「時人」も「あはれ」とコメントを加えるに値することと思っている。「さみなしにあはれ」と一続き一句である所以である。しかし、これまでの議論では、感情要素として意を定めようとする傾向が強かった。「さみ」を「錆」と同じく解しても、「あはれ」に揶揄、讃嘆と別の意を汲んでいた。
 西宮1996.は、記紀での話の構成の違いから、「あはれ」の意の違いを見極めようとしている。「書紀編者は「時人」の口を借りて、事件批判をし、飯入根に〈同情〉させることによつて、大和朝廷に出雲の神宝を貢上させたことの正当性を訴へ、延いては出雲振根を誅殺することの理由を提示させるさせてゐるわけである。つまり、書紀の編者が飯入根を大和朝廷側に立たせることによつて、その死を「あはれ」と〈同情〉の評価を与えてゐるのである。従つて、「謀殺」自体が〈同情〉の評価を導いてゐるのではない。これと全く同じ道理で説明できるのが、……大和朝廷の英雄倭建命が、智略を以て各地の巨魁を僵し、そして出雲建という賊の首領を謀殺することによる倭建命の快哉が「あはれ」であつて、「時人」流の評価とすれば、〈嘲笑〉(「呵呵大笑」の意)に当たるのである。かくして、これも「謀殺」自体が〈嘲笑〉なのではない。……古事記の撰者は「時人の歌」といふ様式を一切用ゐなかつたやうに、倭建命の勝利の歌の作者は倭建命でなくてはならなかつた」(7頁)とある。
 日本書紀の「時人」という語の使用法については、なお検討の余地があるものの、松田2017.の指摘するとおり、「その記事の総括として時人の歌を載せる」(268頁)機能を果たしていると言えよう。話を締めくくるために世間の認識を示しているもので、体制側に立った評価を下すために「時人」を登場させているとは考えにくい。読み方によっては騙された飯入根の失態について〈嘲笑〉するものであったと解することも可能でさえある。「時人」に歌われ広められて、ということであったとさ、とまとめる形をとっていると考える。「飯入根(いひいりね)が 佩ける大刀」とはなっていないのだから、価値的評価を下しているとは考えられない。
(注9)そもそも、「さみなし」を「錆無し」と解して立派な大刀であることの形容とするのは疑問である。ステンレスは近代に生まれたものといったことはさておき、錆がないように研いでおかれていることについて、それがすばらしいと讃えられるなどナンセンスである。武具として携行する大刀においてばかりか、金属利器として使いたい斧、釿、鑿、鋤、鍬、小刀、包丁、鏃、針など、錆びていては使い物にならない。
 矢嶋2011.の指摘する非‐主要仮名「味」の使用、記にこの1例である点に関しては、鞘のなかの身と、莢のなかの実の意の多重性のための用法と位置づけられよう。マメ科植物は、莢になる実を食するために早くから栽培されていた。大豆や小豆、大角豆(ささげ)などである。食べることは「味」(あぢ)に直結する。クズの実はふつう食べないが、肥大化した根は葛粉にして食用とする。なお、甘味(あまみ)、旨味(うまみ)などと今日通用している接尾語のミは、上代に甲類であり別語であり、味わいについて使われている例も上代にない。

(引用・参考文献)
岩波古語辞典 大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』岩波書店、1974年。
小野2019. 小野諒巳『倭建命物語論─古事記の抒情表現─』花鳥社、2019年。
木下2010. 木下武司『万葉植物文化誌』八坂書房、2010年。
新校古事記 沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉『新校古事記』おうふう、2015年。
西宮1971. 西宮一民「古事記私解─歌謡の部─」『皇学館論叢』第4巻第5号、1971年10月。
西宮1996. 西宮一民「日本書紀の「時人の歌」の解釈」『皇学館大学紀要』第35号、平成8年12月。
谷口2008. 大久間喜一郎・居駒永幸編『日本書紀[歌]全注釈』笠間書院、平成20年。「崇神紀④出雲振根と飯入根(20)」の項、谷口雅博執筆。
野津1987. 野津將史「「出雲健が佩ける大刀」小論」『三田国文』第7号、昭和62年6月。慶応義塾大学学術情報リポジトリAN00296083-19870600-0001
松田2017. 松田信彦『『日本書紀』編纂の研究』おうふう、2017年。
矢嶋2011. 矢嶋泉『古事記の文字世界』吉川弘文館、2011年。
矢嶋1991. 矢嶋泉「『古事記』の音仮名複用をめぐって─〈非主用仮名〉を中心に─」『青山学院大学文学部紀要』第32号、1991年1月。
山口1985. 山口佳紀『古代日本語文法の成立の研究』有精堂出版、1985年。

(English Summary)
There is a phrase "samï nasi ni afare" in the poems of Kojiki and Nihon Shoki. The "samï" is thought to be a blade or rust. In this paper, we will find that the phrase "Tudura safa maki"(the kudzu is twined well around the hilt of a sword) in the poem is a good expression, as if the kudzu twines around a living tree. Then, it says that the sword is in the scabbard for it, just like the seedpod of kudzu. It can be proved that the ancient Japanese, Yamato Kotoba, is accurately estimated and made in the oral language of the non-literal era, because of the one word "saya"(scabbard, seedpod).

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