次の一首は、万葉集巻十一、「正述心緒」の歌の一首である。
あしひきの 山桜戸を 開け置きて 吾が待つ君を 誰か留むる〔足日木能山桜戸乎開置而吾待君乎誰留流〕(万2617)
三句目「開置而」には、アケオキテ以外にヒラキオキテと訓む可能性も指摘されている。現代語で、開けっ放しにしておくというのと、開いたままにしておくというのとの違いである。ニュアンスの違いは語の本義のうちに理解される。アクは「開」のほか「明」とも字が当てられる。ヨアケ(夜明け)とはいうが、ヨヒラキ(夜開き)とは言わない。明るくなるからアケである。戸を開けておくと薄暗い部屋の中にまで日の光が差し込んでくる。開いたままにしておいたとしても明るくはなるが、そのことを言うのにふさわしい言い方は、アケである。
歌の作者は、さかんに戸を open にしておいて、いつでも welcome であることを示している。にもかかわらず、他の誰かが引き留めてか恋しい彼は訪れないと嘆いている。もちろん、戸を open にしていても、本人が不在では仕方がない。在宅であることがわかるように open にしているのである。
その場合、この戸は、門の戸ではなく、家屋の戸であるほうが似つかわしい。土塀や生垣に囲われた家の門の戸を開けておいて中の様子が窺い知れるとする間接的な表現ではなく、相手に強くアピールするためのもの言いであったと考えられるからである。実際にそうであったかではなく、そのつもりで開けておいているのですよ、と相手に歌を贈ることをしている。「歌」というコミュニケーション手法ならではのことである。家屋の戸が開いていれば、昼間は日の光が差して姿が確認できるし、夜間には火の光が外に出て影が動くのがわかる。ほら、私は在宅しています、来てください、と訴えている。
そういうことを言いたいのだとすれば(注1)、中が丸見えであることを含んだ言い方、アケオキテがふさわしいと判断される。そしてまた、「山桜戸」なるものの実態も理解される。
万葉集中にある他の「山桜」二例は、「山桜花」の例である。桜の花、また、花びらの数の多さを特徴として見ている。第一例は日数の多さに譬え、第二例はたくさんあるのに反して一目さえ見ていないことを歌っている(注2)。
あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも(万1425、山部赤人)
あしひきの 山桜花 一目だに 君とし見てば 吾恋ひめやも(万3970、大伴家持)
株立ちになるヤマザクラ
「山桜戸」についても、それは数の多さを示すための言い方であると悟ることができる。なぜなら、ヤマザクラは株立ちして生えることがあるからである。「戸」の素材が桜から取った板であるかどうか(注3)というよりも、家にあるたくさんの「戸」、四方八方についている「戸」を開けて待っていて、どの方向から見ても在宅であることがわかるようにしていることを言っている。そのように言いたいから「山桜戸」なる言葉を創作して使っている。歌のなかでの言葉づかいが巧みな、手の込んだ修辞をほどこした歌ということになる。
これまでの鑑賞に、「待つ愛人の来ないのを、恨む心持である」(土屋1977.166頁)、「来ぬ男を遠廻しに恨む、女の歌」(古典集成本萬葉集239頁)、「男を待つ閨怨の歌」(新大系本萬葉集67頁)、「板戸を開けてまんじりともせず待つ妻の心にふと湧く不安」(阿蘇2010.374頁)、「嫉妬とはいへ、柔らかみのあるものとなっている」(窪田1966.146頁)とあるような捉え方は、みな中途半端なものである。歌の聞きどころは待っている女の感情にあるのではなく、ヤマトコトバの選択にある。武田1956.に、「アシヒキノ山桜戸のような美しい語を使つたのが特色である。」(63頁)とあるのはどこまで意を理解しているか不明ながら適評である。
(注)
(注1)それ以外に何を言いたいというのだろう。
(注2)日本における桜鑑賞の文化史は、花を選びながらサトザクラを作っていたわけではないため上代に遡ることはできない。万葉集では、名がサクラということが優先されて、名に負う存在として「咲く」、そして、「散る」という言葉を導くために活用されている。樹種としてのサクラは今日いうところのヤマザクラが主であったろう。株立ちする傾向があれば、花は数多く咲いていると見立てることにつなげることができる。「木の暗茂に」(万257・260)、「木の晩ごもり」(万1047)を導いているところからも株立ちの特徴を捉えていることは窺い知ることができる。株立ちが好まれたと思われるのは、多くの桜皮が採れ、曲げ物の綴じ皮などに多用されたし、炭に焼くにも適度な太さの材が得られるからである。実用をもって言葉が選ばれている。花見が観光と密接につながっていることからわかるように、桜の花を愛でる対象として捉えるようになったのは人類史においてごく最近のことである。
ヤマザクラ樹皮
(注3)土屋1977.に、「ヤマサクラドは、或はヤマカニハドで、桜皮を以て、蝶番風に綴ぢ付けた戸であるかも知れない。」(166~167頁、漢字の旧字体は改めた)と穿った見方もある。この説の弱点は、蝶番の素材にヤマザクラの樹皮を使っていることをことさらに歌に歌う理由が見られないところである。
(引用・参考文献)
影山2023. 影山尚之「山桜戸を開けて待つ」『武庫川国文』第94号、令和5年3月。
武田1956. 武田祐吉『増訂 萬葉集全註釈 九』角川書店、昭和31年。
古典集成本萬葉集 青木生子・井手至・伊藤博・清水克彦・橋本四郎校注『新潮日本古典集成 萬葉集 三』新潮社、1976年。
新大系本萬葉集 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系 萬葉集 三』岩波書店、2002年。
阿蘇2010. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第六巻』笠間書院、2010年。
窪田1966. 窪田空穂『窪田空穂全集 第17巻 万葉集評釈Ⅴ』角川書店、昭和41年。
土屋1977. 土屋文明『万葉集私注 第六巻 新訂版』筑摩書房、昭和52年。
あしひきの 山桜戸を 開け置きて 吾が待つ君を 誰か留むる〔足日木能山桜戸乎開置而吾待君乎誰留流〕(万2617)
三句目「開置而」には、アケオキテ以外にヒラキオキテと訓む可能性も指摘されている。現代語で、開けっ放しにしておくというのと、開いたままにしておくというのとの違いである。ニュアンスの違いは語の本義のうちに理解される。アクは「開」のほか「明」とも字が当てられる。ヨアケ(夜明け)とはいうが、ヨヒラキ(夜開き)とは言わない。明るくなるからアケである。戸を開けておくと薄暗い部屋の中にまで日の光が差し込んでくる。開いたままにしておいたとしても明るくはなるが、そのことを言うのにふさわしい言い方は、アケである。
歌の作者は、さかんに戸を open にしておいて、いつでも welcome であることを示している。にもかかわらず、他の誰かが引き留めてか恋しい彼は訪れないと嘆いている。もちろん、戸を open にしていても、本人が不在では仕方がない。在宅であることがわかるように open にしているのである。
その場合、この戸は、門の戸ではなく、家屋の戸であるほうが似つかわしい。土塀や生垣に囲われた家の門の戸を開けておいて中の様子が窺い知れるとする間接的な表現ではなく、相手に強くアピールするためのもの言いであったと考えられるからである。実際にそうであったかではなく、そのつもりで開けておいているのですよ、と相手に歌を贈ることをしている。「歌」というコミュニケーション手法ならではのことである。家屋の戸が開いていれば、昼間は日の光が差して姿が確認できるし、夜間には火の光が外に出て影が動くのがわかる。ほら、私は在宅しています、来てください、と訴えている。
そういうことを言いたいのだとすれば(注1)、中が丸見えであることを含んだ言い方、アケオキテがふさわしいと判断される。そしてまた、「山桜戸」なるものの実態も理解される。
万葉集中にある他の「山桜」二例は、「山桜花」の例である。桜の花、また、花びらの数の多さを特徴として見ている。第一例は日数の多さに譬え、第二例はたくさんあるのに反して一目さえ見ていないことを歌っている(注2)。
あしひきの 山桜花 日並べて かく咲きたらば いと恋ひめやも(万1425、山部赤人)
あしひきの 山桜花 一目だに 君とし見てば 吾恋ひめやも(万3970、大伴家持)
株立ちになるヤマザクラ
「山桜戸」についても、それは数の多さを示すための言い方であると悟ることができる。なぜなら、ヤマザクラは株立ちして生えることがあるからである。「戸」の素材が桜から取った板であるかどうか(注3)というよりも、家にあるたくさんの「戸」、四方八方についている「戸」を開けて待っていて、どの方向から見ても在宅であることがわかるようにしていることを言っている。そのように言いたいから「山桜戸」なる言葉を創作して使っている。歌のなかでの言葉づかいが巧みな、手の込んだ修辞をほどこした歌ということになる。
これまでの鑑賞に、「待つ愛人の来ないのを、恨む心持である」(土屋1977.166頁)、「来ぬ男を遠廻しに恨む、女の歌」(古典集成本萬葉集239頁)、「男を待つ閨怨の歌」(新大系本萬葉集67頁)、「板戸を開けてまんじりともせず待つ妻の心にふと湧く不安」(阿蘇2010.374頁)、「嫉妬とはいへ、柔らかみのあるものとなっている」(窪田1966.146頁)とあるような捉え方は、みな中途半端なものである。歌の聞きどころは待っている女の感情にあるのではなく、ヤマトコトバの選択にある。武田1956.に、「アシヒキノ山桜戸のような美しい語を使つたのが特色である。」(63頁)とあるのはどこまで意を理解しているか不明ながら適評である。
(注)
(注1)それ以外に何を言いたいというのだろう。
(注2)日本における桜鑑賞の文化史は、花を選びながらサトザクラを作っていたわけではないため上代に遡ることはできない。万葉集では、名がサクラということが優先されて、名に負う存在として「咲く」、そして、「散る」という言葉を導くために活用されている。樹種としてのサクラは今日いうところのヤマザクラが主であったろう。株立ちする傾向があれば、花は数多く咲いていると見立てることにつなげることができる。「木の暗茂に」(万257・260)、「木の晩ごもり」(万1047)を導いているところからも株立ちの特徴を捉えていることは窺い知ることができる。株立ちが好まれたと思われるのは、多くの桜皮が採れ、曲げ物の綴じ皮などに多用されたし、炭に焼くにも適度な太さの材が得られるからである。実用をもって言葉が選ばれている。花見が観光と密接につながっていることからわかるように、桜の花を愛でる対象として捉えるようになったのは人類史においてごく最近のことである。
ヤマザクラ樹皮
(注3)土屋1977.に、「ヤマサクラドは、或はヤマカニハドで、桜皮を以て、蝶番風に綴ぢ付けた戸であるかも知れない。」(166~167頁、漢字の旧字体は改めた)と穿った見方もある。この説の弱点は、蝶番の素材にヤマザクラの樹皮を使っていることをことさらに歌に歌う理由が見られないところである。
(引用・参考文献)
影山2023. 影山尚之「山桜戸を開けて待つ」『武庫川国文』第94号、令和5年3月。
武田1956. 武田祐吉『増訂 萬葉集全註釈 九』角川書店、昭和31年。
古典集成本萬葉集 青木生子・井手至・伊藤博・清水克彦・橋本四郎校注『新潮日本古典集成 萬葉集 三』新潮社、1976年。
新大系本萬葉集 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系 萬葉集 三』岩波書店、2002年。
阿蘇2010. 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義 第六巻』笠間書院、2010年。
窪田1966. 窪田空穂『窪田空穂全集 第17巻 万葉集評釈Ⅴ』角川書店、昭和41年。
土屋1977. 土屋文明『万葉集私注 第六巻 新訂版』筑摩書房、昭和52年。