古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集における洗濯の歌について

2019年12月17日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 万葉集で洗濯のあらいを言い表した歌に、次のようなものがある(注1)。全解の訳を添えて示す。

つるばみの 解きあらぎぬの あやしくも こと欲しき このゆふへかも〔橡解濯衣之恠殊欲服此暮可聞〕(万1314)
 橡染めの解いて洗いざらしにした衣が、不思議にもことさらに着たく思われるこの夕べであることよ。(3-127頁)
B橡の きぬ解き洗ひ 真土山まつちやま もとつ人には なほかずけり〔橡之衣解洗又打山古人尒者猶不如家利〕(万3009)
 橡染めの衣を解いて洗ってまた打つ真土山─本つ人である古女房には、どの女もやはり及ばないことだった。(5-92頁)
C夕されば 秋風寒し 吾妹子わぎもこが 解き洗ひごろも 行きて早着む〔由布佐礼婆安伎可是左牟思和伎母故我等伎安良比其呂母由伎弖波也伎牟〕(万3666)
 夕べになると秋風が寒い。わが妻が解いて洗いざらした着物を、帰って早く着たい。(6-61頁)
あらぎぬ 取替河とりかひがはの 河淀かはよどの 淀まむ心 思ひ兼ねつも〔浣衣取替河之河余杼能不通牟心思兼都母〕(万3019)
 洗った着物に取り替える取替川の川淀のように、淀んで中絶えするような心など、とても思いかねたことだ。(5-96頁)

 A・B・Cの3例で、洗濯方法として解き洗いをしていたことがわかる。和装では、衣服を仕立てる時、平面的に布地を縫い合わせる。その縫いをいったんほどいて布地にしておいて洗う。それが「解き洗ひ」である。古くは、足踏み洗いが主流であったことが絵画資料から見て取れる(注2)。そして、洗い張りなどの手段できれいに皺もない状態に仕上げた布地を再び縫い合わせて衣服としていた。手間暇の掛かることである。簡易的に、ほどかないでそのまま洗って物干竿に袖を通して干すことも行われていた(注3)。大切な衣類になればなるほど、丁重に縫いを解いて洗い、張板や伸子を使って干してから再び縫っていたものと考えられる。手縫いの針仕事の手間は大変ではあるが、バシャバシャと洗っていちばんダメージを受けるのは縫い合わせた部分である。縫い糸は切れやすくて縫い直しになることもあるし、布地の縫い目部分は弱っているからそこからほつれ、裂けてしまう危険性も高い(注4)。縫いの手間よりも、織りの手間の方がはるかに大きい。仕立てるために一日で縫い合わせることはできても、生地を作る機織りは、一日で数㎝程度しか進まないこともある。
左:不動利益縁起絵巻(14世紀)の洗濯風景(東京国立博物館研究情報アーカイブズhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0000013とhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/E0000014を接合してトリミング)、右:袖を竿に通して干す(扇面古写経(12世紀)、四天王寺蔵、企画第2回展 再発見!コロタイプ印刷展http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kusanone/collotype.htmをトリミング)
 A・Bの歌は、「つるばみ」で染めた黒色の「衣」の洗濯に関して、ビフォー、アフターのいずれを良しとするかの審美を歌い込めている。洗濯すると多少の色落ちがあった。そこに判断が分かれを見ている。Aの歌では、確かに「橡」の素敵な色としては残念なことになっているが、これはこれで微妙な良い色合いに見えると感じている。それは、時間が「ゆふへ」であることにも関係させているのかもしれない。薄明りのもとでは、黒が薄れた色も興趣を誘うと言っているのである。対して、Bの歌は、洗う前の色がやはり素晴らしいものであると言っている。それを、マツチヤマという言葉であやなして歌っている。洗ってまた打つ「又打」から「又打山」を表象し、マツチ─モトツの音の語呂で続けている。それは、一つ山を越えるようなことであり、山越えは苦労であるし、越えれば景色は一変する。目に映る色合いが変わることを示している。両歌とも、それを恋する異性のことに準えながら歌っている。いづれの場合も「つるばみ」を良しとしている。

 くれなゐは 移ろふものそ 橡の 馴れにしきぬに なほかめやも(万 4109)
 橡の あはせころも 裏にせば われひめやも 君が来まさぬ(万2965)
 橡の 一重のころも 裏もなく 有るらむゆゑ 恋ひ渡るかも(万2968)

 万 4109・2965番歌の2例にあるように、橡で染めた衣は馴れ親しんだものと捉えている。ツルバミという言葉の音から、「つるぶ」関係性を惹起させるからである。「あはせ」とは体を合わせたこと、万2968番歌の「一重」とは未だ合わせていないことを言っている。駄洒落に過ぎないのではなく、駄洒落で得心が行くものとなっている。使われている言葉について、音声言語と考えるよりも無文字言語と捉えたほうが正しい。文字言語時代の口頭言語と無文字時代のそれとでは、思考の方法に違いがある。
 Cの歌は、道行く男が愛する妻のもとへ早く帰りたいという気持ちを、「解き洗ひ衣」を早く着たいという言い方で歌っている。ここで「解き洗ひごろも」とあって「解き洗ひぎぬ」とない。「ころも」は、下衣を含めて体いったいをおおうものを言う。すなわち、男は家に帰って女と一体に包まれる。歌っているのは「夕」である。家に帰ったら「夜」である。合体したいという気持ちを歌っている。素朴な歌いっぷりは素直なエロティシズムにあふれている。
 以上のA・B・Cの3例は、歌の言葉として、その洗濯が解き洗いであったと明記されている。問題はDの歌である。解き洗いという言葉がない。代わりに、「取替」という言葉が入っている。
 この歌の面白さは、その「取替」にある。縫いの手間を惜しんで洗ったところ、縫っていたところから生地が裂けてしまい、下前身頃ならば下前身頃を取り替えなければならなくなったことを言い含んでいる。「取替河とりかひがは」は「鳥飼川」の語呂合わせである。衣を洗ってその一部を取り替えて修繕することを表し、後半の恋情を導くための序としてうまい比喩表現となっている。
 きぬを取り替えるとは、洗濯に出して控えの衣類を着ることや、衣替えの時期に当たって別の衣類に取り替えること、自動車を修理に出して代車を借りるようなクリーニング屋のサービスとしてあるかもしれない衣類レンタルではない。また、衣服をすべてまるまる新調することを言うのでもない。一部を取って別の物に替えるから「取替」である。物が溢れている現代とは異なり、古代にはどんなに裕福な人であっても、古くなって汚れたからそれは捨てて新しいものにすることを「取替」とは言わなかったであろう。そのような言い方は感覚の鈍麻であり、人々に受け入れられる表現ではないから、歌が伝えられることもない。もし仮に使ったとしたら、その人はリンチやテロに見舞われたに相違ない。そもそも採寸して新しく仕立てられた衣について、「あらぎぬ」とわざわざ「浣(洗)」という意を示す必要はない。
 現代の注釈書にその点を十分に考慮したものは見られない。したがって解釈は定まっていない。万3019番歌の訳をいくつか挙げてみる。

 洗った着物に取り替える取替川の川淀のように、淀んで中絶えするような心など、とても思いかねたことだ。(全解5-96頁(上掲))
 (洗ひ衣)取替川の川淀の、淀み途絶える気持はとても持つことはできない。(新大系三-169頁)
 あなたのところへ通わずにいる気持を、じっとこらえていることは、とうていできない。(大系三-291頁)
 洗つた着物を取替へるといふ取替河の河淀のやうに、淀みとだえる心を持つ事は出來ないよ。(注釈12-146頁)
 着ていた衣を洗った衣と取り替える、その取替ではないが、取替川の川淀のように淀む気持ちにはなれないよ。(全歌講義6-757頁)
 洗い衣を取替える取替川の川淀のように、ためらう心を持つことができないなあ。(全訳注原文付3-137頁)
 洗った着物に取り替えるという名の、取替川とりかいがわの川淀のように、淀んで通わなくなるような気持を、心に持つようなことは到底できません。(全注12-307頁)
 (洗い衣) 取替川とりかいがわの 川淀かわよどのように 途絶える気などは いっこうにない(新全集3-333頁)
 洗いざらしの着物に取り替えるという取替川の淀みのように、おいでの足の淀みそうなあなたの心を思うと、その苦しさに耐えきれません。(古典集成3-350頁)
 洗った衣に取り替えるという名の取替川の河淀のように、淀みとだえるような気持ちをわたしが持つことはとうてい考えられない。(和歌文学大系3-305頁)
 洗いたての着物に取り替えるという取替川の川淀のように、淀みとだえるような心、そんな心を持つことにはとても堪えられない。(釋注6-616頁)

 「淀む」という語は、流れる水の滞ることと、物事が進まず滞ることを表す(注5)。「思ひ兼ねつも」とあって、二つを兼ねていることが述べられており、両方掛かっていなければならない。その結果、「思」う可能性も閉ざされていることが「ねつも[デキヌ]」という真意である。白川1995.に、「かぬ〔兼(〓(兼の旧字体))〕・該・予(豫) 下二段。二つのことをあわせる。将来のことを合せて考え、期待することから、あらかじめの意となる。」(239頁)とある。
 気持ちが逸ってしまい、ほどかないままで洗ったら縫い目がほつれたりそこから裂けたりして、かえって時間がかかっていることをいい、それを恋心へとなぞらえて歌っている。恋を成就させようと焦ってアクションを起こしたところ、今までは気さくに応じてもらっていたのが、分け隔てをされるようになってしまった。どこかを新しくしなければならない。さてどこをどう新しくしたらいいのだろうか。そんな恋の袋小路状態を袋小路的に詠んだものである。全部新しくする場合は、恋の相手をチェンジすることに比喩される。

 あらぎぬ 取替河とりかひがはの 河淀かはよどの 淀まむ心 思ひ兼ねつも〔浣衣取替河之河余杼能不通牟心思兼都母〕(万3019)
 洗濯をするとき、特に縫いを解かないままに洗うと、洗った着物の一部を取り替えなければならないことが起こってかえって手間がかかり、その衣はすぐには着られなくなるように、その取替川というのには川に淀むところがあって、淀んで進まないようにためらう気持ちでいる、どう対処したらいいのかわからず、といって忘れることなど到底できない。あるいはこういうことになるかもしれないと当初から予想としてはあったのだけれども、好き過ぎて自分の方から逆プロポーズしてしまった挙句、まったく困ったことになっている。失敗しないためには、洗濯の場合なら最初にきちんと解いてから洗えば良くて、それは恋にも当てはまっていて、順序をひとつひとつ踏んでいかないとこういう羽目になる。わかっていたのにね。

 洗濯の手際を知っていればわかりやすい歌である。洗濯には時としてうまく行かない事態が生ずるものであり、それを恋がうまく行かないことの比喩として序にしていると理解される(注6)。口承で歌われた歌として、その場でなるほどと納得できる。すなわち、歌自体に響き返る自己言及的な歌となっている。うまい譬えをするなあと、洗濯にいそしむ人には通じる。よって庶民ないし下働きの女性の歌である可能性が高い(注7)
 現行の注釈書にこのような解釈に及んだものはない。第一に、洗濯の実態をかんがみていない。第二に、「淀まむ」、「兼ねつも」という語の行き詰まり感についての語感に思い至っていない。無文字時代の口頭語であるヤマトコトバには、言葉が当該の言葉に跳ね返って説明しようとするところがある。歌は、その時その場で歌われて、聞かれては消えていく一瞬の出来事であった。言葉は簡潔にして完結していなければ意を通ずることはない。したがって、記紀万葉の無文字言語の口頭語を筆写したと思われる場合には、一語一語確かめてみること、ヤマトコトバ自体を研究の土台に据えてみることが肝要である。ウィトゲンシュタインの言葉へのアプローチを横に見据えながら熟考し続けなければならない。われらが言語は豊かである。無文字時代の言語ゲームの粋を、文化遺産として持っているのだから。

(注)
(注1)洗濯一般についての歌には、次のような例も関連してあげられることがある。織りあげた布を晒したり、ちょっと雨に打たれた着物を乾かすだけのことをいっている場合も含まれているようである。万28番歌については訓みに問題があると考えるがここでは措いておく。

 春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山(万28)
 …… おしてる 難波の国に あらたまの 年経るまでに 白たへの 衣も干さず ……(万443)
 筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも かなしきろが にの干さるかも(万3351)
 照る月を 闇に見なして 泣く涙 衣濡らしつ 干す人なしに(万690)
 朝霧に 濡れにしころも 干さずして ひとりか君が 山道やまぢ越ゆらむ(万1666)
 あぶり干す 人もあれやも 濡れぎぬを 家にはらな 旅のしるしに(万1688)
 あぶり干す 人もあれやも 家人いへひとの 春雨すらを 間使まつかひにする(万1698)
 三川みつかはの 淵瀬ふちせも落ちず 小網さでさすに 衣手ころもで濡れぬ 干すはなしに(万1717)
 秋田刈る 旅のいほりに しぐれ降り 我が袖濡れぬ 干す人なしに(万2235)
 沫雪あはゆきは 今日けふはな降りそ 白たへの 袖まき干さむ 人もあらなくに(万2321)
 ぬばたまの 妹が干すべく あらなくに 我が衣手を 濡れていかにせむ(万3712)

(注2)洗濯に関して文献資料は乏しい。限られた絵画資料からその様子を窺うことしかできない。例えば、倉田実「絵巻で見る平安時代の暮らし 第78回『西行物語絵巻』徳川美術館本「嵯峨野の民家」を読み解く ─『更級日記』に見る旅路⑷─」(https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/emaki78、2019年12月17日閲覧)を参照されたい。日本の洗濯史を研究した文献としては、次のものがあげられる。
 斉藤研一「「足踏み洗い」から「手揉み洗い」へ─洗濯方法の変化に関する試論─」藤原良章・五味文彦編『絵巻に中世を読む』吉川弘文館、平成7年。
 花王石鹸株式会社資料室編『日本清浄文化史』花王石鹸株式会社発行、昭和46年。
 小泉和子「家事の近世」林玲子編『日本の近世15』中央公論社、1993年。
 落合茂『洗う風俗史』未来社(ニュー・フォークロア双書)、1984年。
 松本博『東西洗濯史話上巻』白洋舎、昭和17年。
 以上は「洗い」に着目が集中しており、「解き洗ひ」の「解き」がどの程度行われていたか、探究されていない。わかるものではないから仕方がない。前近代でも繊維素材によって洗濯方法に変化があった推定されるが、ケース・バイ・ケースであったに違いあるまい。図様からはいろいろな方法が行われていたと推測される。
 歌川豊国(初代)画・蔦屋重三郎版「洗い張り」(寛政年間(1789~1800年)、江戸東京博物館蔵、江戸東京博物館デジタルアーカイブスhttps://www.edohakuarchives.jp/detail-7478.html、2023年12月25日閲覧)には、丸洗い、伸子張り、板張りの三様の干し方が描かれている。
 明治時代になると、次のように教えられている。
洗濯の様子(飯島半十郎編・初学家事経済書上、明治15年、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848387/15)
衣服いふく洗濯せんたくをなすにハ、まつ其のひめをくことを知るへし、」(飯島半十郎編・家事経済書(明治26年)、国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/848246/16)。
(注3)小泉1993.に、「洗い方には丸洗いとほどいて洗う解き洗いがあったが、単衣物が多かったため一般には丸洗いが行われていた。しかし絹のあわせなどには解き洗いが行われた。『万葉集』にも……「ときあらひ」という言葉が見える。解き洗いの場合は、仕上げとして古くからしん張りが行われていた。伸子張りは、竹製の細串の末端を尖らせた伸子を、布の両縁に刺して弓形に張って、布をぴんとさせて乾燥する方法である。水を使う水干すいかんと姫糊を使う糊つけ法で、主として男子を袍系衣服地に用いられた。……このほか仕上げには、打ち上げ、磨き上げなどの方法があった。打ち上げは、衣板きぬた(砧)で布を打って表面を平らにし艶を出す方法で、木綿・麻あこめ、打衣などに用いられた。これも古くは手で打ったが、後には布打ち機が使われるようになった。」(210頁)とある。Bの歌にマツチヤマ(真土山)を「又打山」と記している次第である。
 なお、唐風に立体的に巻きこむように縫い合わせることも一部に行なわれ、その場合は、一度縫ったら解かなかったであろう。

 住吉すみのえの 波豆麻はづまの君が 馬乗衣うまのりころも さひづらふ 漢女あやめを据ゑて 縫へる衣ぞ(万1273)

(注4)伊勢物語第41段に、「いやしき男もたる、十二月しはすのつごもりに、うへのきぬを洗ひて、手づから張りけり。心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざもならはざりければ、袍の肩を張りりてけり。せむ方もなくて、たゞ泣きに泣きけり。」とある。伸子張りをしたら破れたことを言っていると考えられている。「いやしきわざ」とは、召使のするような賤しい技で、初めてのことで勝手がわからなかったと述べている。袍は参内の時に着用する束帯の上着で、新年に着ていくことを思って櫃から出してみたら汚れや皴、臭いが気になってあわてて洗濯したのであろう。上等の一張羅を丁寧に洗濯しようとしても、下手な伸ばしのために亀裂が入ってしまった。
(注5)「淀む」という言葉は事態が難航することであり、「途絶える」という訳はさすがに当てはまらない。流れはなかなか進まないが、流れないわけではない。同じく「(溜)む」という語であっても、堰を切れば流れる。
(注6)万葉集の歌の序に、自己言及的な性格を持つものがある点については、澤瀉久孝『萬葉集新釋 下巻』(星野書店、昭和6年)に「二重の序」と称されたのが早い。筆者は、無文字時代に特有の言語活動であると考える。BやD以外にもいくつか例がある。拙稿「万葉集の修辞法、「二重の序」について」https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/3c2715452ef47adf92258c65738460f0参照。
(注7)洗濯が、必ず女性の仕事であったと断定はできないが、一般に衣類関係の家事労働は女性の仕事であったと考えられている。正倉院文書には、洗濯を理由にした休暇願がいくつも残る。天平宝字二年十月二十一日付で、写経生の大原国持が5日間(「大原国持謹解 請暇日事 合伍箇日 右、請穢衣服洗為暇日如前、以解」)、宝亀三年三月二十一日付で、経師の巧清成が3日間(「巧清成解 申請暇事 合三箇日 右件、依穢衣服洗、 請暇如件、 以解」)申し出ている。長く休めるのは解いて洗ってまた縫い直すからであろう。一張羅で着たきり雀だから、その間は出仕できないからと考えたほうが妥当であろう。縫い付けや穴の繕いをするには、針仕事に慣れていなければならない。
 
 針はあれど 妹しなければ 付けめやと 吾を悩まし 絶ゆる紐の緒(万2982)
 今年行く 新島守にひしまもりが 麻衣 肩のまよひは 誰か取り見む(万1265)
 風のの 遠き我妹わぎもが 着せしきぬ 手本たもとのくだり 紕ひ来にけり(万3453)

 上野2018.は、「干す人なしに」関連の歌(万690、1666,1688、1698、1717、2235、2321、3712)も含めて捉え、「万葉歌においては、「洗濯」が旅先の男たちと、家を守る女たちの心を繫ぐものとして、歌われている」(638頁)とする。「干す人なしに」関連の歌は、旅の定型歌にも見えるから、それをもって洗濯は家にいる女性の仕事と決めてかかるのには抵抗がある。男が衣を脱いでそれを「干す」ことをしている間、何をしているか。当該対象の女を身につけている。色っぽい表現に傾いているのである。筆者には、「心を繫ぐものとして」よりも「体を繫ぐものとして」捉えられる。
 このDの歌は男性が歌っていると措定することも可能ではある。自分勝手に丸洗いをしたら一部破損して着られなくなってしまった。こんなことなら解き洗いをしてほしいと頼んでおけばよかった。信じあって頼りあっていくのが恋仲とのいちばんいい付き合い方だのに、わだかまりができてしまった、という意と取れないことはない。けれども、それでは「取り替ひ」の意が、衣の取り替えと地名の鳥飼にしか掛からない。どちらからプロポーズするのが正当であるか、それを取り替えてしまったがために「淀」みが生じたと聞いた方が、歌の気持ちは深く伝わってくる。洗濯が主題ではなく、洗濯を序にして恋模様を歌っている。そのために「二重の序」にまで技巧を凝らしている。その点でも、男女の「心を繫ぐものとして」洗濯がテーマとして存していたのではなく、歌を歌い出すに当たって洗濯を序にしているだけなのである。

(引用・参考文献)
上野2018. 上野誠『万葉文化論』ミネルヴァ書房、2018年。
小泉1993. 小泉和子「家事の近世」林玲子編『日本の近世15』中央公論社、1993年。
古典集成 青木生子・井出至・伊藤博・清水克彦・橋本四郎校注『新潮古典文学集成 萬葉集三』新潮社、昭和55年。
釋注 伊藤博『萬葉集釋注 六』集英社、1997年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
新全集 小島憲之・木下正俊・東野治之校注訳『新編日本文学全集8 萬葉集③』小学館、1995年。
新大系 佐竹昭広・山田英雄・工藤力男・大谷雅夫・山崎福之校注『新日本古典文学大系3 萬葉集三』岩波書店、2002年。
全解 多田一臣訳注『万葉集全解3』・『同5』筑摩書房、2009年、『同6』2010年。
全歌講義 阿蘇瑞枝『萬葉集全歌講義(巻第十一・巻第十二) 第六巻』笠間書院、2010年。
全注 小野寛『萬葉集全注 巻第十二』有斐閣、平成18年。
全訳注原文付 中西進校注『万葉集全訳中原文付(三)』講談社(講談社文庫)、1981年。
大系 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系6 萬葉集三』岩波書店、昭和35年。
注釈 澤瀉久孝『萬葉集注釈巻第十二』中央公論社、昭和38年。
和歌文学大系 稲岡耕二『和歌文学大系3 萬葉集(三)』明治書院、平成18年。

※本稿は、2019年12月稿を2023年12月にルビ形式にしたものである。

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