万葉集に、「埋木」の歌は二首ある。時代別国語大辞典に、「うもれぎ[埋木](名) 埋もれた木。木の幹が土や水の中にながくうまって、炭化し化石のようになったもの。材質は黒檀に似る。」(133頁) と、他の多くの辞書にあるような説明が行われている。一方、日葡辞書に、「Vmoregui. ウモレギ(埋れ木) 土に埋没したり,覆われたりしている木.たとえば,谷に落ち込んで土に覆われてしまった木,など.」(693頁)とある。後代に化石化したものを指して言ったかも知れないが、万葉集の「埋木」の例は単に木が埋もれた状態にあることを言っていると考える。そうでないと意味が通らない。
数多あらぬ 名をしも惜しみ 埋木の 下ゆそ恋ふる 行方知らずて(万2723)
多くの注釈書に大意は変わらない 。多田2009b.は、「数多くあるわけではない、一つしかない名を惜しむので、埋もれ木のようにひっそりと心の奥底でばかり恋している。恋の行方もわからないままに。」(442頁)と訳している。「寄物陳思」の歌で、「埋木」という物に寄せて思いを陳べたことになっている。
もし、名が知れると恥ずかしいからと心の奥底で恋しているばかりであったなら、恋の行方はわかっている。何も起こらない。恋は成就しない。当たり前である。歌に倒置があるから直してみたとしても、名を惜しんでいたら(相手にもそれと知られないようにしていたら)、片思いは片思いのままで恋に進展はない。「行方知らずて」の句は不自然である。これまでの解釈には誤りがあると考えねばなるまい。
修辞的表現「数多あらぬ名」が表しているのは、その人の一つの名である。それをわざわざ「数多あらぬ」などと言っている。表現のおもしろさを陳述しようとしてのことであろう。「し」という強意の助詞まで伴っている。そんな一つの名が「埋木」になると言っている。すると反対に、数多ある名は埋もれていない何者かということになる。明瞭な対照が見てとれよう。どういう対照か。
「埋木」の反対は生えている草である。そして、ヒトキ(一木、ヒは甲類、ト・キは乙類)の反対はヒトクサ(人草、ヒは甲類、トは乙類)である。「汝が国の人草、一日に千頭絞り殺さむ。」(記上)とある。一般民衆のように、有象無象に生きているのが「人草」である。そんなヒトクサではないヒトキとは、棺(キはヒは甲類、キは乙類、トは不明)のことである(注1)。和名抄に、「棺 四声字苑に云はく、棺〈音は官、一音に貫、比度岐〉は屍を盛るる所以なり、屍〈音は尸と同じ、訓は或に通ふ〉は死人の形躰を屍と曰ふなりといふ。」とある。棺は墳墓に埋葬して埋もれさせる。「埋木」とは棺のこと、すなわち、そのなかに安置されている亡くなった人のことを言っている。
棺(雁屋遺跡出土 組合せ式木棺・人骨、弥生時代中期、四条畷市ホームページhttps://www.city.shijonawate.lg.jp/site/bunkazai-shiseki/1930.html)
棺に入れられて埋納された人は、下(心の奥底、地面の下)から隠れて恋している。その恋の行方は不明というしかない。あの世の恋のことなど誰にもわからない。限りある人生について深く洞察したうえで人間の恋情を歌った、とてもユーモラスな歌である。
埋木に寄せたる
真鉋持ち 弓削の川原の 埋木の 顕るましじき 事にあらなくに(万1385)
数ある注釈書に大意は変わらない 。多田2009a.は、「立派な鉋を手に持ち弓を削る弓削の河原の埋もれ木のように、表に現れずに済むことでもないのに。」(160頁)と訳し、「埋もれ木─地中に長く埋もれて、化石化した樹木。細工物の用材となる。まだ露顕しない関係を寓意。」と注している。
三句目までを「顕るましじき事」にかかる序詞ととることも、大阪府八尾市弓削町の長瀬川の河原で化石化した細工用の用材が採取されたととることも可能ではある。それに対して廣岡2020.は、「激しい濁流が土を抉って、水面上に出て来る埋木を描く。実はその形容をも兼ねるのが第一句である。即ち、槍鉋で木の表面を押し削ってゆくという第一句の枕詞は、水が土砂を洗い流して行く下句の様をみごとに暗示する……。上句の枕詞が下句の描写を暗示する─そういった複相の表現構造を持つ歌と見るのがよい。 」(115~116頁)とする。歌全体のダイナミズムが得られないから、「複層の表現構造」であるとしている。これでは不十分である。
弓作り(狩野晴川・狩野勝川、七十一番職人歌合模本、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttp://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0017463をトリミング)
川が蛇行、浸食する様子(信州大学「教材研究のトビラ」梓川の河原http://kyoushoku3.shinshu-u.ac.jp/smap/modules/sozai/sozai8_1.html)
「弓削」は地名であろうが、「弓削の川原〔弓削河原〕」とあるのだから、言葉の上に、その川の流れは弓なりに蛇行していると捉えられよう。まっすぐに流れていた川のどこかで蛇行が始まると、蛇行している部分の外側の流れは急になり、蛇行は蛇行を呼んでどんどん蛇行していく。だから、蛇行部分(の外側)に埋もれている木など、表に顕れないでいられようはずがないのである。廣岡2020.の説明では槍鉋が削って表に顕れるかにしているが、仏師や鞍作らが使う槍鉋ではなく必ず弓削でなければならない。黒檀様の材を使った細工物ではなく、絶対に弓でなければならない。「弓削の川原」なのだから、ちょっとずつではあるが着実に湾曲が進んで行って、遅かれ早かれ「埋木」は露呈すると言っている。外側の浸食面に今は土砂が堆積していて埋もれている木などは、いずれ水流に洗われ、姿が顕れるであろうというのである。アラハル(アラハ(顕)になる、アラフ(洗)ことがされる)は掛詞である。まっすぐに見えた木が弓削によって弓に削られるようにという意味を反映している。廣岡氏に倣うなら、「三相の表現構造」になっていると理解されよう。槍鉋で削ること、弓削が木を弓なりに曲げること、川が蛇行して岸を削ることである(注2)。
今日、万葉集の表現について多くの研究が行われている。この「表現」という表現はとても曖昧である。言葉の意味についてはほぼ辞書に記されているとおりとして、その使い方が巧みである点を指摘している論考が多い。けれども、言葉自体に思わぬ含意があり、それをもって用いられるに至っていると知れば驚かされる。この盲点を見極めることが万葉集研究の醍醐味である。何がおもしろくて声を張り上げて歌っているのかという本来の問いを忘れてはならない。上代において歌とは何か、それこそが核心的な問いである。ヤマトコトバを使いながら作り、作りながら使っていた時代の言葉づかいを正視しなければならない。歌という形式はヤマトコトバを熟成させる樽のような存在で、そのなかでヤマトコトバは声として反響していた。歌一首のなかで循環論的な弁舌を行い、どうだとばかり得意になっている理由はそこにある。現代人のように、平板な感覚のもとにただ意味の表出のために言葉を使うこととは、言葉に対する向き合い方が違う。万葉集の言葉の使い方は、長く使い続けてきて既定の言葉を明示的に使うことに馴らされている我々のものの考え方に対し、おい、大丈夫かと問うて来ている。
(注)
(注1)新撰字鏡に、「棺 古丸反、人木」とあり、白川1995.に「「人木」の意ならばヒは甲類、ト・キは乙類である。」(647頁)としている。
(注2)「埋木」を化石化した材とすることは歌の内容以外からも適当とは言えない。巻七の「譬喩歌」で「寄」せている物は他に、衣、糸、和琴、弓、玉、山、木、草、花、稲、鳥、獣、雲、雷、雨、月、赤土、神、河、海、浦沙、藻、船である。 見たことが稀なものはない。多くの人が当たり前に目にしているものではないもの、珍奇なものに「寄」せて歌を歌ったとしたら、聞いた人がわからないことになる。万2723番歌は埋納された棺のことであった。
(引用・参考文献)
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
多田2009a. 多田一臣『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
多田2009b. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
日葡辞書 土田忠生・森田武・長南実編訳『邦訳日葡辞書』岩波書店、1980年。
廣岡2020. 廣岡義隆『萬葉形成通論』和泉書院、2020年。
※本稿は、2021年6月稿を2024年4月に表現をわかりやすくしつつルビ形式にしたものである。
数多あらぬ 名をしも惜しみ 埋木の 下ゆそ恋ふる 行方知らずて(万2723)
多くの注釈書に大意は変わらない 。多田2009b.は、「数多くあるわけではない、一つしかない名を惜しむので、埋もれ木のようにひっそりと心の奥底でばかり恋している。恋の行方もわからないままに。」(442頁)と訳している。「寄物陳思」の歌で、「埋木」という物に寄せて思いを陳べたことになっている。
もし、名が知れると恥ずかしいからと心の奥底で恋しているばかりであったなら、恋の行方はわかっている。何も起こらない。恋は成就しない。当たり前である。歌に倒置があるから直してみたとしても、名を惜しんでいたら(相手にもそれと知られないようにしていたら)、片思いは片思いのままで恋に進展はない。「行方知らずて」の句は不自然である。これまでの解釈には誤りがあると考えねばなるまい。
修辞的表現「数多あらぬ名」が表しているのは、その人の一つの名である。それをわざわざ「数多あらぬ」などと言っている。表現のおもしろさを陳述しようとしてのことであろう。「し」という強意の助詞まで伴っている。そんな一つの名が「埋木」になると言っている。すると反対に、数多ある名は埋もれていない何者かということになる。明瞭な対照が見てとれよう。どういう対照か。
「埋木」の反対は生えている草である。そして、ヒトキ(一木、ヒは甲類、ト・キは乙類)の反対はヒトクサ(人草、ヒは甲類、トは乙類)である。「汝が国の人草、一日に千頭絞り殺さむ。」(記上)とある。一般民衆のように、有象無象に生きているのが「人草」である。そんなヒトクサではないヒトキとは、棺(キはヒは甲類、キは乙類、トは不明)のことである(注1)。和名抄に、「棺 四声字苑に云はく、棺〈音は官、一音に貫、比度岐〉は屍を盛るる所以なり、屍〈音は尸と同じ、訓は或に通ふ〉は死人の形躰を屍と曰ふなりといふ。」とある。棺は墳墓に埋葬して埋もれさせる。「埋木」とは棺のこと、すなわち、そのなかに安置されている亡くなった人のことを言っている。
棺(雁屋遺跡出土 組合せ式木棺・人骨、弥生時代中期、四条畷市ホームページhttps://www.city.shijonawate.lg.jp/site/bunkazai-shiseki/1930.html)
棺に入れられて埋納された人は、下(心の奥底、地面の下)から隠れて恋している。その恋の行方は不明というしかない。あの世の恋のことなど誰にもわからない。限りある人生について深く洞察したうえで人間の恋情を歌った、とてもユーモラスな歌である。
埋木に寄せたる
真鉋持ち 弓削の川原の 埋木の 顕るましじき 事にあらなくに(万1385)
数ある注釈書に大意は変わらない 。多田2009a.は、「立派な鉋を手に持ち弓を削る弓削の河原の埋もれ木のように、表に現れずに済むことでもないのに。」(160頁)と訳し、「埋もれ木─地中に長く埋もれて、化石化した樹木。細工物の用材となる。まだ露顕しない関係を寓意。」と注している。
三句目までを「顕るましじき事」にかかる序詞ととることも、大阪府八尾市弓削町の長瀬川の河原で化石化した細工用の用材が採取されたととることも可能ではある。それに対して廣岡2020.は、「激しい濁流が土を抉って、水面上に出て来る埋木を描く。実はその形容をも兼ねるのが第一句である。即ち、槍鉋で木の表面を押し削ってゆくという第一句の枕詞は、水が土砂を洗い流して行く下句の様をみごとに暗示する……。上句の枕詞が下句の描写を暗示する─そういった複相の表現構造を持つ歌と見るのがよい。 」(115~116頁)とする。歌全体のダイナミズムが得られないから、「複層の表現構造」であるとしている。これでは不十分である。
弓作り(狩野晴川・狩野勝川、七十一番職人歌合模本、東京国立博物館研究情報アーカイブズhttp://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0017463をトリミング)
川が蛇行、浸食する様子(信州大学「教材研究のトビラ」梓川の河原http://kyoushoku3.shinshu-u.ac.jp/smap/modules/sozai/sozai8_1.html)
「弓削」は地名であろうが、「弓削の川原〔弓削河原〕」とあるのだから、言葉の上に、その川の流れは弓なりに蛇行していると捉えられよう。まっすぐに流れていた川のどこかで蛇行が始まると、蛇行している部分の外側の流れは急になり、蛇行は蛇行を呼んでどんどん蛇行していく。だから、蛇行部分(の外側)に埋もれている木など、表に顕れないでいられようはずがないのである。廣岡2020.の説明では槍鉋が削って表に顕れるかにしているが、仏師や鞍作らが使う槍鉋ではなく必ず弓削でなければならない。黒檀様の材を使った細工物ではなく、絶対に弓でなければならない。「弓削の川原」なのだから、ちょっとずつではあるが着実に湾曲が進んで行って、遅かれ早かれ「埋木」は露呈すると言っている。外側の浸食面に今は土砂が堆積していて埋もれている木などは、いずれ水流に洗われ、姿が顕れるであろうというのである。アラハル(アラハ(顕)になる、アラフ(洗)ことがされる)は掛詞である。まっすぐに見えた木が弓削によって弓に削られるようにという意味を反映している。廣岡氏に倣うなら、「三相の表現構造」になっていると理解されよう。槍鉋で削ること、弓削が木を弓なりに曲げること、川が蛇行して岸を削ることである(注2)。
今日、万葉集の表現について多くの研究が行われている。この「表現」という表現はとても曖昧である。言葉の意味についてはほぼ辞書に記されているとおりとして、その使い方が巧みである点を指摘している論考が多い。けれども、言葉自体に思わぬ含意があり、それをもって用いられるに至っていると知れば驚かされる。この盲点を見極めることが万葉集研究の醍醐味である。何がおもしろくて声を張り上げて歌っているのかという本来の問いを忘れてはならない。上代において歌とは何か、それこそが核心的な問いである。ヤマトコトバを使いながら作り、作りながら使っていた時代の言葉づかいを正視しなければならない。歌という形式はヤマトコトバを熟成させる樽のような存在で、そのなかでヤマトコトバは声として反響していた。歌一首のなかで循環論的な弁舌を行い、どうだとばかり得意になっている理由はそこにある。現代人のように、平板な感覚のもとにただ意味の表出のために言葉を使うこととは、言葉に対する向き合い方が違う。万葉集の言葉の使い方は、長く使い続けてきて既定の言葉を明示的に使うことに馴らされている我々のものの考え方に対し、おい、大丈夫かと問うて来ている。
(注)
(注1)新撰字鏡に、「棺 古丸反、人木」とあり、白川1995.に「「人木」の意ならばヒは甲類、ト・キは乙類である。」(647頁)としている。
(注2)「埋木」を化石化した材とすることは歌の内容以外からも適当とは言えない。巻七の「譬喩歌」で「寄」せている物は他に、衣、糸、和琴、弓、玉、山、木、草、花、稲、鳥、獣、雲、雷、雨、月、赤土、神、河、海、浦沙、藻、船である。 見たことが稀なものはない。多くの人が当たり前に目にしているものではないもの、珍奇なものに「寄」せて歌を歌ったとしたら、聞いた人がわからないことになる。万2723番歌は埋納された棺のことであった。
(引用・参考文献)
時代別国語大辞典 上代語辞典編修委員会編『時代別国語大辞典 上代編』三省堂、1967年。
白川1995. 白川静『字訓 普及版』平凡社、1995年。
多田2009a. 多田一臣『万葉集全解3』筑摩書房、2009年。
多田2009b. 多田一臣『万葉集全解4』筑摩書房、2009年。
日葡辞書 土田忠生・森田武・長南実編訳『邦訳日葡辞書』岩波書店、1980年。
廣岡2020. 廣岡義隆『萬葉形成通論』和泉書院、2020年。
※本稿は、2021年6月稿を2024年4月に表現をわかりやすくしつつルビ形式にしたものである。