一
万葉集には、シノニという言葉が10例、うち9例が「心もしのに」という形で慣用句化している。また、シノノニという形で2例あって、シノシノニの約かとされている。
①淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに〔情毛思努尓〕 古思ほゆ(万266)
②夕月夜 心もしのに〔心毛思努尓〕 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも(万1552)
③海原の 沖つ縄海苔 うち靡き 心もしのに〔心裳四怒尓〕 思ほゆるかも(万2779)
④…… 夏麻引く 命かたまけ 刈薦の 心もしのに〔心文小竹荷〕 人知れず もとなそ恋ふる 息の緒にして(万3255)
⑤あらたまの 年かへるまで 相見ねば 心もしのに〔許己呂毛之努尓〕 思ほゆるかも(万3979)
⑥…… あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに〔許己呂毛之努尓〕 そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば……(万3993)
⑦…… 峰高み 谷を深みと 落ち激つ 清き河内に 朝去らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに〔己許呂毛之努尓〕 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎ行かむ 川し絶えずは(万4003)
⑧夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋め 心もしのに〔情毛之努尓〕 鳴く千鳥かも(万4146)
⑨梅の花 香をかぐはしみ 遠けども 心もしのに〔己許呂母之努尓〕 君をしそ思ふ(万4500)
⑩秋の穂を しのに押しなべ〔之努尓押靡〕 置く露の 消かも死なまし 恋ひつつあらずは(万2256)
⑪朝霧に しののに濡れて〔之努々尓所沾而〕 呼子鳥 三船の山ゆ 鳴き渡る見ゆ(万1831)
⑫聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて〔小竹野尓所沾而〕 此ゆ鳴き渡る(万1977)
このシノニという語は古来難語とされ、よくわかっていない(注1)。話に先鞭をつけるために先学の考究を引用する。大浦2007.は、その論稿の最後のところで、➃の表記にある「小竹」という用字から、シノニという語は「その直線性において、「小竹(篠)」とも通底しているのではないか。」(62頁)と見当をつけている。
そこで、植物のシノ(篠)について見てみる。
万葉集にはシノ(篠)を詠んだ歌がその複合語をあわせて11首ある。
⑬…… 朝越えまして 玉かぎる 夕去り来れば み雪降る 阿騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ〔四能乎押靡〕 草枕 旅宿りせす 古思ひて(万45)
⑭池の辺の 小槻が下の 細竹な刈りそね〔細竹苅嫌〕 それをだに 君が形見に 見つつ偲はむ(万1276)
⑮かくしてや なほや老いなむ み雪降る 大荒木野の 小竹にあらなくに〔小竹尓不有九二〕(万1349)
⑯淡海のや 八橋の小竹を〔八橋乃小竹乎〕 矢着がずて まことありえむや 恋しきものを(万1350)
⑰うち靡く 春去り来れば 小竹の末に〔小竹之末丹〕 尾羽打ち触れて 鶯鳴くも(万1830)
⑱小竹の上に〔小竹之上尓〕 来居て鳴く鳥 目を安み 人妻ゆゑに 吾恋ひにけり(万3093)
⑲妹らがり 我が通ひ路の 細竹すすき〔細竹為酢寸〕 我し通へば 靡け細竹原〔靡細竹原〕(万1121)
⑳秋柏 潤和川辺の 細竹の芽の〔細竹目〕 人には忍べ 君にあへなく(万2478)
㉑朝柏 潤八川辺の 小竹の芽の〔小竹之眼笶〕 偲ひて寝れば 夢に見えけり(万2754)
㉒神奈備の 浅小竹原の〔淺小竹原乃〕 うるはしみ わが思ふ君が 声の著けく(万2774)
㉓百小竹の〔百小竹之〕 三野の王 西の厩に 立てて飼ふ駒 東の厩に 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふがに 水こそば 汲みて飼ふがに 何しかも 葦毛の馬の 嘶え立ちつる(万3327)
一見して明らかなように、自然観察的にシノ(篠、slender banboo)を詠んでいるとは言い難い。⑭㉑は動詞「偲ふ」と、⑳は「忍ぶ」と掛けるために使われている。ただし、「偲ふ」のノは甲類、「忍ぶ」のノは乙類である(注2)。⑬に「四能」とノは乙類だが、記紀ではノは甲類である。
浅小竹原〔阿佐士怒波良〕 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな(記35)
小竹、此には芝努と云ふ。(神功紀元年二月)
また、⑳㉑㉒では、シノがウルワ、ウルヤ、ウルハシとともに用いられており共通項がある。ウルなるものとして感じられていたようである。ウル(潤・湿)という語と関係していると考えられる。さらに、⑩と⑬はよく似た表現となっている。ヤマトコトバの実態として、言語遊戯の様相がよく見えてくる。「心もしのに」などと不可解な言い回しが行われているのは、言葉の音に何かを感じ取っていた上代の人、万葉人が、おもしろがって言葉遊びをしていた結果である可能性がきわめて高い。
シノ(篠)という植物は、大型のタケ(竹)、小型のササ(笹)のあいだの、中ぐらいの大きさ、太さのものを指すと考えられている。厳密な区分があるわけではなく、あいまいに区分けして言葉を使っていたとされている。
そして、そのシノ(篠)という言葉は、ヨシノ(吉野、ヨは乙類、ノは甲類)という地名の本意を考えるうえで、今日の我々から見ればほとんど駄洒落ではあるが、理解の梃子とされていた(注3)。ヨシノとは、ヨ(節、ヨは乙類)+シノ(篠、ノは甲類)の意で、フシ(節)につないで伸びていく、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……なるものとしてあるものなのだと悟っていたのである。ヨ(節)はヨ(代)と同根かとされる言葉で、代々続くことを言い表すから、ヨシノ(吉野)はとてもおめでたいところだと考えられて離宮が作られ、たびたび行幸していたのだった。
そしてまた、ヨヨという語は、多く「と」、「に」を伴って使われる擬態語・擬声語である。筍のように水があふれだすことを表す擬態語、さらには涙を流しておいおいに泣くことを表す擬声語としても使われた。
御歯の生ひ出づるに、食ひ当てむと、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひ濡らし給へば、……(源氏物語・横笛)
開けて見るに、悲しきこと物に似ず、よよとぞ泣きける。(大和物語・一四八)
八月より絶えにし人、はかなくて睦月になりぬるかしとおぼゆるままに、涙ぞ、さくりもよよにこぼるる。(蜻蛉日記・下)
源氏物語の例に見るように、竹類は春に筍として出てきて非常に多くの水気をもって生育する。小ぶりのシノ(篠)とて同様である。つまり、ヨシノ(節+篠)なるところは「よよ」と瑞々しいのだといい、それはまるで川の流れの激つところを思わせるほどであって、その観念のもとに吉野では川こそが持て囃されるにふさわしくあるということになって歌に歌われている(注4)。特にシノ(篠)とされるものは、成長してなお、カハ(皮、葉鞘)の残したままにあるものが見られ、だから、水のたぎるように流れるヨシノ(吉野)のカハ(川)こそ、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……なる概念を具現化したところとして歌に詠まれて宜しとされていたのだった。ウル(潤)と関連する言葉である。
以上がシノという言葉の持つ本意であり含意である。
そういうものとして「心もしのに」という形容句は成立している(注5)。
二
具体的に解釈していく。煩雑ではあるが、もう一度歌を引いて簡便に照らして検証しやすくする。
①淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(万266)
この歌は、夕波千鳥よ、お前が鳴いたら、こちらの心もヨヨと泣けてくるもので、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と何代も何代も遡って太古のことが思われる、と言っている。
②夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも(万1552)
この歌は、夕月の出ている暮れ方、もの寂しくて心もヨヨと泣けてきて涙が出て、その涙が庭に白露となって置き、その庭にコオロギが鳴いている、と言っている。ナク(泣・鳴)をかけている。
③海原の 沖つ縄海苔 うち靡き 心もしのに 思ほゆるかも(万2779)
この歌は、序詞として、海で沖に延ばした縄に海苔が長く付着、繁茂して靡いているところから「心もしのに」を導き、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と過去の遠くまで思い出されてくると言っている。この場合、海苔の養殖が行われていたということではなく、定置網や船のもやいなどから一定期間、海に縄を張っていたところへ、海苔が繁殖したということと考えられる。縄の長さとその縄を張った時から経過した時間の長さがかかっている。
④…… 夏麻引く 命かたまけ 刈薦の 心もしのに 人知れず もとなそ恋ふる 息の緒にして(万3255)
解釈が難しい歌である。「夏麻引く」、「刈薦の」という二つの枕詞がよく理解されていないから当て推量となっているところがある。いずれにせよ、一生懸命に傾注して、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と続くようにヨヨと涙に暮れるほどに、人知れず無性に恋い焦がれている、息も続く限りに、と言っている(注6)。
⑤あらたまの 年かへるまで 相見ねば 心もしのに 思ほゆるかも(万3979)
この歌は、年が更新するまで逢わずにいるというようなことは、ヨ(代)が代わるまで逢わずにいるというのも同じことで、ヨヨと涙があふれるように思えてくる、と言っている。
⑥…… あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば……(万3993)
この歌は、山でも野でもホトトギスが鳴きに鳴いていると、それに従って、我が心もヨヨと泣きたい気持ちになって、心恋しいからという思いを共有する仲間どうし、馬に鞭を打ってそこへ出立してみれば、と言っている。
⑦…… 峰高み 谷を深みと 落ち激つ 清き河内に 朝去らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに〔己許呂毛之努尓〕 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎ行かむ 川し絶えずは(万4003)
この歌は、朝ごとに霧が立ちわたり、夕方には雲がたなびくほど雲が重なり合い、その重なり合いはヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……たるようなものだからヨヨと泣きたくなるほどで、ちょうど霧が立ち五里霧中になってどうしたらいいかと物思いが消えることがないように、と言っている。
「朝去らず ~ 思ひ過ぐさず」までは挿入句である。前後の「…… 落ち激つ 清き河内に」と「行く水の 音もさやけき ……」はつながっている。地上の情景を描いたもので、その途中に空中の様子を入れ込んでいる。そして、「心もしのに」という表現を登場させることで、「行く水の 音のさやけく」なるヨヨたる流れと、「万代に 言い継ぎ行かむ」というヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……たる、これから時代の流れていくところをうまく引き出している。
⑧夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋め 心もしのに 鳴く千鳥かも(万4146)
この歌は、夜半も過ぎてから目が覚めて座っていると、川の瀬を求めて鳴く千鳥の声がする、というものである。川の瀬の水のたぎつところは、水がヨヨと流れるから千鳥の心もしのになのだろう、そしてまた、夜の帳は降りきっていて暗いから、なかなか見つからずに千鳥は泣いているのだろうと想像していることは、作者のシノフところだから音の重なりをもってうまく言い表していることになる。この歌の題詞は、「夜裏聞二千鳥喧一歌二首」となっており、もう一首は次のとおりである。
夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ 昔の人も 偲ひ来にけれ(万4147)
昔からヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……にヨヨと続いているのは納得のことと歌っている。
⑨梅の花 香をかぐはしみ 遠けども 心もしのに 君をしそ思ふ(万4500)
この歌は、梅の花は香りが強いから、遠く離れていても咲いているのがわかる、それはまるで、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と遠き代に思いをはせることのようで、どんなに遠くにあってもあなたのことを思っている、と恋情を歌っている。空間的距離に時間的距離をからめて表現している。あるいは、死別のような形で、相手との間に時間的距離を得てしまったものかもしれない。
ここまでが「心もしのに」という言い回しである。単にシノニ、また、シノノニと使うものはどうであろうか。くり返しになるが、シノはヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……、のことであり、ヨヨと水が流れることである。
⑩秋の穂を しのに押しなべ 置く露の 消かもしなまし 恋ひつつあらずは(万2256)
この歌は、秋の稲穂が稔るほどに頭を下ろすのを、それが秋の露が付くことによって重くなるからだと見立てている。ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……とヨヨ、ヨヨ、ヨヨと水気が露に結んで穂の上に置くから、穂は押し靡くようになっている。それは涙にくれて泣くさまを連想させ、こんなに恋に苦しんで涙を流さずとも、朝日が当たって露が消えてゆくように消え果てしまいたい、それほど恋していると言っている。この歌に「露」は、重くのしかかる存在であるとともに、すぐに消えてなくなる存在でもある。自分の心は、シノニなる露の様、前者のそれであることを相手に伝えようとしている。
この歌には類歌がある。
秋萩の 枝もとををに 置く露の 消かも死なまし 恋ひつつあらずは(万2258)
三句目以下は同じである。秋萩が枝もたわむほどに露が置いている、その露が……と言っている。⑩の歌のほうが格段に表現に念が入っている。
⑰うち靡く 春去り来れば 小竹の末に 尾羽打ち触れて 鶯鳴くも(万1830)
⑪朝霧に しののに濡れて 呼子鳥 三船の山ゆ 鳴き渡る見ゆ(万1831)
⑪はシノノニの例である。シノニのヨヨ性を強調した形であろう。⑪の歌は、秋の霧にびっしょりと水に濡れて、ヨブコドリが三船の山から鳴き渡るのが見える、と言っている。同じ「詠レ鳥」の歌群(万1819~1831)の一つ前が⑰で、シノ(篠)を詠んでいる。シノ(篠)のことを歌にしたら、シノニという言葉が思い出され、強調したシノノニという形で⑪の歌が作られたということだろう。自然物のシノ(篠)を詠むよりもずっと技巧的な歌である。鳥も、ウグイスからヨブコドリに変わっている。ヨブコドリにしたのには訳がある。その鳥が何かをヨブ(呼)ことが起きている。「三船(の山)」とあるからには、大きな船が浮かぶほどに水が潤沢になっている。だから、「しののに濡れて」と形容して全体が安定している。この歌はウグイスではなく、ヨブコドリでなければ成り立たない。歌が歌われながら、言葉が逐次確認されていっている(注7)。
⑫は問答歌の返しの歌である。
問答
卯の花の 咲き散る岳ゆ 霍公鳥 鳴きてさ渡る 君は聞きつや(万1976)
⑫聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて 此ゆ鳴き渡る(万1977)
万1976番歌は男から女へ歌いかけている。ホトトギスはその女のことを譬えている。女が男を渡り歩いていると言って、自分から離れて行った(と思っている)女性へ歌いかけている。声をあげて渡っていくなんて、と難じている。対して女性からは、そんなホトトギスに譬えられる人は、涙にくれてびしょびしょになってここから泣いて渡って行ったのだと言っている。「此」は、男が「卯の花の咲き散る岳」だと称している自慢のところ、すなわち、その男のところであるが、ひどいところであった、と断じているのである。それは物理的に貧相な家宅であったということも、精神的に相性が悪くておもしろくないということも含んでいるのであろう。シノがヨヨと泣くことばかりか、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……、とつづくことも意味することから考えれば、二度とごめんだよ、あなたのところなんか、と啖呵を切っているものとわかる。
以上、「心もしのに」、「しのに」、「しののに」について検討した。シノ(篠)という言葉にヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と代々つづくことと、ヨヨと水が流れることとを見出していた万葉人が、巧みに活用したのがそれらの表現であると確認された。
(注)
(注1)これまでの諸説や見解については、中嶋2003.、大浦2007.を参照されたい。
そのなかの一つ、亀井1985.は、象徴的な「しのに」という語の存在により、動詞「しのぐ」、「しなふ」、「しのふ」を互いにパロニムとして古代人は把握していたとする。ところが、「なかんづく、人麿の作は、悲しみをこめて別離をうたってゐるのである。そこへ、単なる類音のしゃれを用ゐてゐるとすれば、それは、あまりにも技巧として軽すぎるといはねばなるまいと、わたくしはおもふ。」(108頁)としつつ、言語現象を言語の表現美として捉えるフォスラー一派の学説を引き、「狭義の[社会的に固定した形態として成立する]コンタミネーションは、すべて、パロニミーにおける意味論的価値関係の転換であり、変革である。そして、えせ語源(étymologie populaire, Volksetymologie)もまた、この点、おなじである。」(109頁)として、「より大なる表現力への欲求から生まれた機能的形態とみらるべきもの」(同頁)として是認、評価している。本稿では、単なる類音と片づけることのできない「しゃれ」を見出す。言葉が言葉を生んでいく過程である。
(注2)⑳は実は難訓である。
⑳秋柏 潤和川辺の 細竹の芽の 人には忍べ 君にあへなく〔秋柏潤和川邊細竹目人不顔面公無勝〕(万2478)
4・5句の原文に「人不顔面公無勝」とある。⑬の「四能」を単なる用字の間違いとすると、⑳にノの音が違うのに無理して「忍ぶ」と訓もうとする意欲は削がれる。「人不顔面」は旧訓にヒト(モ)アヒアハズ、ヒトモアヒミズ、アヒミジなど、「逢ふ」という語ととっていた。大系本萬葉集では「人には逢はね」と訓んでいる。そして、篠の芽のさまを観察すると、節ごとに互生していることに気づく。確かに水が潤っていることを思わせる川の川辺というのは、川を挟んで両サイドにあるから、篠の芽の両サイドに分かれて生えることとよくマッチした流れになっている。川の流れと歌の言葉の流れがかかっている。節から生えた脇芽が伸びたとき、互いに「逢ふ」ことはない。そのための形容と捉えられる。
⑳秋柏 潤和川辺の 細竹の芽の 人に逢はずも〔人不レ顔面〕 君に堪へなく〔公無レ勝〕
潤和川の川辺の篠の芽のように互い違いであるように、人に逢わないでいることはできても、あなたに逢わないでいることは堪えられない、ということである。篠の芽から人の目の合うことを引き出していて、それは顔を合わすことだから「逢ふ」ことであり、原文に「顔面」とあるのはそれを表すとともに、「面」でモとも訓むために添えてあると考えた。集中の用字例では「荒磯面〔荒礒面〕」(万220)の例がある。オモ(面)のオの脱落した形である。「逢ふ」と「堪ふ」とは自動詞、他動詞の別はありつつ同根の言葉であり、歌のなかでは逢わないでいることが堪えられるか堪えられないかということを重層的に訴えることになっている。そのように一つの言葉を多重に解釈して正しいのは、そこが「潤和川辺」のことであり、川には両サイドあるから両様に考えることが求められているからである。
(注3)拙稿「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論」、「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論補論」参照。
(注4)拙稿「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論」に詳述した。
(注5)「吉野讃歌」とされる歌も、「心もしのに」という表現が使われる歌も、万葉集において柿本人麻呂の作を初出としているようである。ただ、当時の歌を網羅したのかわからない万葉集の用例をもってして表現の発案者が誰であるかを定めることはできず、また、してもあまり意味のないことである。言葉は誰かが言い出したからといって言葉になるのではなく、受けとる側が賛同して受容しなければ言葉とならないからである。今日、表現の創作者としての人麻呂論は数多く展開されているが、あやしいものである。
(注6)拙稿「枕詞「刈薦(かりこも)の」について」参照。
(注7)ヤマトコトバは、歌謡の発達、隆盛によって自由な言語活動が保障され、枕詞も量産されたように比喩が比喩を生んでいて、言語系としてかなり高い確率でオートポイエーシス・システム autopoiesis system となって自己完結的な閉域を構成していた。万葉集はほぼヤマトコトバでできていて片言の文字(漢字等)しか前提としていないのだから、理解のためにはその再帰性に目を向ける必要がある。中国文学と比較することは可能でも、そこから理解しようとすることは不可能である。
(引用・参考文献)
大浦2007. 大浦誠士「「心もしのに」考究」『萬葉語文研究 第3集』和泉書院、2007年。
亀井1985. 亀井孝「「情毛思努爾」『亀井孝論文集4 日本語のすがたとこころ(二)』吉川弘文館、昭和60年。
大系本萬葉集 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系4 萬葉集三』岩波書店、昭和35年。
中嶋2003. 中嶋真也「「心もしのに」考」『国語と国文学』第80巻第8号、平成15年8月。
中嶋2014. 中嶋真也「しのに」多田一臣編『万葉語誌』筑摩書房、2014年。
万葉集には、シノニという言葉が10例、うち9例が「心もしのに」という形で慣用句化している。また、シノノニという形で2例あって、シノシノニの約かとされている。
①淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに〔情毛思努尓〕 古思ほゆ(万266)
②夕月夜 心もしのに〔心毛思努尓〕 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも(万1552)
③海原の 沖つ縄海苔 うち靡き 心もしのに〔心裳四怒尓〕 思ほゆるかも(万2779)
④…… 夏麻引く 命かたまけ 刈薦の 心もしのに〔心文小竹荷〕 人知れず もとなそ恋ふる 息の緒にして(万3255)
⑤あらたまの 年かへるまで 相見ねば 心もしのに〔許己呂毛之努尓〕 思ほゆるかも(万3979)
⑥…… あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに〔許己呂毛之努尓〕 そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば……(万3993)
⑦…… 峰高み 谷を深みと 落ち激つ 清き河内に 朝去らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに〔己許呂毛之努尓〕 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎ行かむ 川し絶えずは(万4003)
⑧夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋め 心もしのに〔情毛之努尓〕 鳴く千鳥かも(万4146)
⑨梅の花 香をかぐはしみ 遠けども 心もしのに〔己許呂母之努尓〕 君をしそ思ふ(万4500)
⑩秋の穂を しのに押しなべ〔之努尓押靡〕 置く露の 消かも死なまし 恋ひつつあらずは(万2256)
⑪朝霧に しののに濡れて〔之努々尓所沾而〕 呼子鳥 三船の山ゆ 鳴き渡る見ゆ(万1831)
⑫聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて〔小竹野尓所沾而〕 此ゆ鳴き渡る(万1977)
このシノニという語は古来難語とされ、よくわかっていない(注1)。話に先鞭をつけるために先学の考究を引用する。大浦2007.は、その論稿の最後のところで、➃の表記にある「小竹」という用字から、シノニという語は「その直線性において、「小竹(篠)」とも通底しているのではないか。」(62頁)と見当をつけている。
そこで、植物のシノ(篠)について見てみる。
万葉集にはシノ(篠)を詠んだ歌がその複合語をあわせて11首ある。
⑬…… 朝越えまして 玉かぎる 夕去り来れば み雪降る 阿騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ〔四能乎押靡〕 草枕 旅宿りせす 古思ひて(万45)
⑭池の辺の 小槻が下の 細竹な刈りそね〔細竹苅嫌〕 それをだに 君が形見に 見つつ偲はむ(万1276)
⑮かくしてや なほや老いなむ み雪降る 大荒木野の 小竹にあらなくに〔小竹尓不有九二〕(万1349)
⑯淡海のや 八橋の小竹を〔八橋乃小竹乎〕 矢着がずて まことありえむや 恋しきものを(万1350)
⑰うち靡く 春去り来れば 小竹の末に〔小竹之末丹〕 尾羽打ち触れて 鶯鳴くも(万1830)
⑱小竹の上に〔小竹之上尓〕 来居て鳴く鳥 目を安み 人妻ゆゑに 吾恋ひにけり(万3093)
⑲妹らがり 我が通ひ路の 細竹すすき〔細竹為酢寸〕 我し通へば 靡け細竹原〔靡細竹原〕(万1121)
⑳秋柏 潤和川辺の 細竹の芽の〔細竹目〕 人には忍べ 君にあへなく(万2478)
㉑朝柏 潤八川辺の 小竹の芽の〔小竹之眼笶〕 偲ひて寝れば 夢に見えけり(万2754)
㉒神奈備の 浅小竹原の〔淺小竹原乃〕 うるはしみ わが思ふ君が 声の著けく(万2774)
㉓百小竹の〔百小竹之〕 三野の王 西の厩に 立てて飼ふ駒 東の厩に 立てて飼ふ駒 草こそば 取りて飼ふがに 水こそば 汲みて飼ふがに 何しかも 葦毛の馬の 嘶え立ちつる(万3327)
一見して明らかなように、自然観察的にシノ(篠、slender banboo)を詠んでいるとは言い難い。⑭㉑は動詞「偲ふ」と、⑳は「忍ぶ」と掛けるために使われている。ただし、「偲ふ」のノは甲類、「忍ぶ」のノは乙類である(注2)。⑬に「四能」とノは乙類だが、記紀ではノは甲類である。
浅小竹原〔阿佐士怒波良〕 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな(記35)
小竹、此には芝努と云ふ。(神功紀元年二月)
また、⑳㉑㉒では、シノがウルワ、ウルヤ、ウルハシとともに用いられており共通項がある。ウルなるものとして感じられていたようである。ウル(潤・湿)という語と関係していると考えられる。さらに、⑩と⑬はよく似た表現となっている。ヤマトコトバの実態として、言語遊戯の様相がよく見えてくる。「心もしのに」などと不可解な言い回しが行われているのは、言葉の音に何かを感じ取っていた上代の人、万葉人が、おもしろがって言葉遊びをしていた結果である可能性がきわめて高い。
シノ(篠)という植物は、大型のタケ(竹)、小型のササ(笹)のあいだの、中ぐらいの大きさ、太さのものを指すと考えられている。厳密な区分があるわけではなく、あいまいに区分けして言葉を使っていたとされている。
そして、そのシノ(篠)という言葉は、ヨシノ(吉野、ヨは乙類、ノは甲類)という地名の本意を考えるうえで、今日の我々から見ればほとんど駄洒落ではあるが、理解の梃子とされていた(注3)。ヨシノとは、ヨ(節、ヨは乙類)+シノ(篠、ノは甲類)の意で、フシ(節)につないで伸びていく、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……なるものとしてあるものなのだと悟っていたのである。ヨ(節)はヨ(代)と同根かとされる言葉で、代々続くことを言い表すから、ヨシノ(吉野)はとてもおめでたいところだと考えられて離宮が作られ、たびたび行幸していたのだった。
そしてまた、ヨヨという語は、多く「と」、「に」を伴って使われる擬態語・擬声語である。筍のように水があふれだすことを表す擬態語、さらには涙を流しておいおいに泣くことを表す擬声語としても使われた。
御歯の生ひ出づるに、食ひ当てむと、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひ濡らし給へば、……(源氏物語・横笛)
開けて見るに、悲しきこと物に似ず、よよとぞ泣きける。(大和物語・一四八)
八月より絶えにし人、はかなくて睦月になりぬるかしとおぼゆるままに、涙ぞ、さくりもよよにこぼるる。(蜻蛉日記・下)
源氏物語の例に見るように、竹類は春に筍として出てきて非常に多くの水気をもって生育する。小ぶりのシノ(篠)とて同様である。つまり、ヨシノ(節+篠)なるところは「よよ」と瑞々しいのだといい、それはまるで川の流れの激つところを思わせるほどであって、その観念のもとに吉野では川こそが持て囃されるにふさわしくあるということになって歌に歌われている(注4)。特にシノ(篠)とされるものは、成長してなお、カハ(皮、葉鞘)の残したままにあるものが見られ、だから、水のたぎるように流れるヨシノ(吉野)のカハ(川)こそ、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……なる概念を具現化したところとして歌に詠まれて宜しとされていたのだった。ウル(潤)と関連する言葉である。
以上がシノという言葉の持つ本意であり含意である。
そういうものとして「心もしのに」という形容句は成立している(注5)。
二
具体的に解釈していく。煩雑ではあるが、もう一度歌を引いて簡便に照らして検証しやすくする。
①淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(万266)
この歌は、夕波千鳥よ、お前が鳴いたら、こちらの心もヨヨと泣けてくるもので、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と何代も何代も遡って太古のことが思われる、と言っている。
②夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも(万1552)
この歌は、夕月の出ている暮れ方、もの寂しくて心もヨヨと泣けてきて涙が出て、その涙が庭に白露となって置き、その庭にコオロギが鳴いている、と言っている。ナク(泣・鳴)をかけている。
③海原の 沖つ縄海苔 うち靡き 心もしのに 思ほゆるかも(万2779)
この歌は、序詞として、海で沖に延ばした縄に海苔が長く付着、繁茂して靡いているところから「心もしのに」を導き、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と過去の遠くまで思い出されてくると言っている。この場合、海苔の養殖が行われていたということではなく、定置網や船のもやいなどから一定期間、海に縄を張っていたところへ、海苔が繁殖したということと考えられる。縄の長さとその縄を張った時から経過した時間の長さがかかっている。
④…… 夏麻引く 命かたまけ 刈薦の 心もしのに 人知れず もとなそ恋ふる 息の緒にして(万3255)
解釈が難しい歌である。「夏麻引く」、「刈薦の」という二つの枕詞がよく理解されていないから当て推量となっているところがある。いずれにせよ、一生懸命に傾注して、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と続くようにヨヨと涙に暮れるほどに、人知れず無性に恋い焦がれている、息も続く限りに、と言っている(注6)。
⑤あらたまの 年かへるまで 相見ねば 心もしのに 思ほゆるかも(万3979)
この歌は、年が更新するまで逢わずにいるというようなことは、ヨ(代)が代わるまで逢わずにいるというのも同じことで、ヨヨと涙があふれるように思えてくる、と言っている。
⑥…… あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば……(万3993)
この歌は、山でも野でもホトトギスが鳴きに鳴いていると、それに従って、我が心もヨヨと泣きたい気持ちになって、心恋しいからという思いを共有する仲間どうし、馬に鞭を打ってそこへ出立してみれば、と言っている。
⑦…… 峰高み 谷を深みと 落ち激つ 清き河内に 朝去らず 霧立ち渡り 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに〔己許呂毛之努尓〕 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎ行かむ 川し絶えずは(万4003)
この歌は、朝ごとに霧が立ちわたり、夕方には雲がたなびくほど雲が重なり合い、その重なり合いはヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……たるようなものだからヨヨと泣きたくなるほどで、ちょうど霧が立ち五里霧中になってどうしたらいいかと物思いが消えることがないように、と言っている。
「朝去らず ~ 思ひ過ぐさず」までは挿入句である。前後の「…… 落ち激つ 清き河内に」と「行く水の 音もさやけき ……」はつながっている。地上の情景を描いたもので、その途中に空中の様子を入れ込んでいる。そして、「心もしのに」という表現を登場させることで、「行く水の 音のさやけく」なるヨヨたる流れと、「万代に 言い継ぎ行かむ」というヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……たる、これから時代の流れていくところをうまく引き出している。
⑧夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋め 心もしのに 鳴く千鳥かも(万4146)
この歌は、夜半も過ぎてから目が覚めて座っていると、川の瀬を求めて鳴く千鳥の声がする、というものである。川の瀬の水のたぎつところは、水がヨヨと流れるから千鳥の心もしのになのだろう、そしてまた、夜の帳は降りきっていて暗いから、なかなか見つからずに千鳥は泣いているのだろうと想像していることは、作者のシノフところだから音の重なりをもってうまく言い表していることになる。この歌の題詞は、「夜裏聞二千鳥喧一歌二首」となっており、もう一首は次のとおりである。
夜ぐたちて 鳴く川千鳥 うべしこそ 昔の人も 偲ひ来にけれ(万4147)
昔からヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……にヨヨと続いているのは納得のことと歌っている。
⑨梅の花 香をかぐはしみ 遠けども 心もしのに 君をしそ思ふ(万4500)
この歌は、梅の花は香りが強いから、遠く離れていても咲いているのがわかる、それはまるで、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と遠き代に思いをはせることのようで、どんなに遠くにあってもあなたのことを思っている、と恋情を歌っている。空間的距離に時間的距離をからめて表現している。あるいは、死別のような形で、相手との間に時間的距離を得てしまったものかもしれない。
ここまでが「心もしのに」という言い回しである。単にシノニ、また、シノノニと使うものはどうであろうか。くり返しになるが、シノはヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……、のことであり、ヨヨと水が流れることである。
⑩秋の穂を しのに押しなべ 置く露の 消かもしなまし 恋ひつつあらずは(万2256)
この歌は、秋の稲穂が稔るほどに頭を下ろすのを、それが秋の露が付くことによって重くなるからだと見立てている。ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……とヨヨ、ヨヨ、ヨヨと水気が露に結んで穂の上に置くから、穂は押し靡くようになっている。それは涙にくれて泣くさまを連想させ、こんなに恋に苦しんで涙を流さずとも、朝日が当たって露が消えてゆくように消え果てしまいたい、それほど恋していると言っている。この歌に「露」は、重くのしかかる存在であるとともに、すぐに消えてなくなる存在でもある。自分の心は、シノニなる露の様、前者のそれであることを相手に伝えようとしている。
この歌には類歌がある。
秋萩の 枝もとををに 置く露の 消かも死なまし 恋ひつつあらずは(万2258)
三句目以下は同じである。秋萩が枝もたわむほどに露が置いている、その露が……と言っている。⑩の歌のほうが格段に表現に念が入っている。
⑰うち靡く 春去り来れば 小竹の末に 尾羽打ち触れて 鶯鳴くも(万1830)
⑪朝霧に しののに濡れて 呼子鳥 三船の山ゆ 鳴き渡る見ゆ(万1831)
⑪はシノノニの例である。シノニのヨヨ性を強調した形であろう。⑪の歌は、秋の霧にびっしょりと水に濡れて、ヨブコドリが三船の山から鳴き渡るのが見える、と言っている。同じ「詠レ鳥」の歌群(万1819~1831)の一つ前が⑰で、シノ(篠)を詠んでいる。シノ(篠)のことを歌にしたら、シノニという言葉が思い出され、強調したシノノニという形で⑪の歌が作られたということだろう。自然物のシノ(篠)を詠むよりもずっと技巧的な歌である。鳥も、ウグイスからヨブコドリに変わっている。ヨブコドリにしたのには訳がある。その鳥が何かをヨブ(呼)ことが起きている。「三船(の山)」とあるからには、大きな船が浮かぶほどに水が潤沢になっている。だから、「しののに濡れて」と形容して全体が安定している。この歌はウグイスではなく、ヨブコドリでなければ成り立たない。歌が歌われながら、言葉が逐次確認されていっている(注7)。
⑫は問答歌の返しの歌である。
問答
卯の花の 咲き散る岳ゆ 霍公鳥 鳴きてさ渡る 君は聞きつや(万1976)
⑫聞きつやと 君が問はせる 霍公鳥 しののに濡れて 此ゆ鳴き渡る(万1977)
万1976番歌は男から女へ歌いかけている。ホトトギスはその女のことを譬えている。女が男を渡り歩いていると言って、自分から離れて行った(と思っている)女性へ歌いかけている。声をあげて渡っていくなんて、と難じている。対して女性からは、そんなホトトギスに譬えられる人は、涙にくれてびしょびしょになってここから泣いて渡って行ったのだと言っている。「此」は、男が「卯の花の咲き散る岳」だと称している自慢のところ、すなわち、その男のところであるが、ひどいところであった、と断じているのである。それは物理的に貧相な家宅であったということも、精神的に相性が悪くておもしろくないということも含んでいるのであろう。シノがヨヨと泣くことばかりか、ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……、とつづくことも意味することから考えれば、二度とごめんだよ、あなたのところなんか、と啖呵を切っているものとわかる。
以上、「心もしのに」、「しのに」、「しののに」について検討した。シノ(篠)という言葉にヨ+ヨ+ヨ+ヨ+ヨ+……と代々つづくことと、ヨヨと水が流れることとを見出していた万葉人が、巧みに活用したのがそれらの表現であると確認された。
(注)
(注1)これまでの諸説や見解については、中嶋2003.、大浦2007.を参照されたい。
そのなかの一つ、亀井1985.は、象徴的な「しのに」という語の存在により、動詞「しのぐ」、「しなふ」、「しのふ」を互いにパロニムとして古代人は把握していたとする。ところが、「なかんづく、人麿の作は、悲しみをこめて別離をうたってゐるのである。そこへ、単なる類音のしゃれを用ゐてゐるとすれば、それは、あまりにも技巧として軽すぎるといはねばなるまいと、わたくしはおもふ。」(108頁)としつつ、言語現象を言語の表現美として捉えるフォスラー一派の学説を引き、「狭義の[社会的に固定した形態として成立する]コンタミネーションは、すべて、パロニミーにおける意味論的価値関係の転換であり、変革である。そして、えせ語源(étymologie populaire, Volksetymologie)もまた、この点、おなじである。」(109頁)として、「より大なる表現力への欲求から生まれた機能的形態とみらるべきもの」(同頁)として是認、評価している。本稿では、単なる類音と片づけることのできない「しゃれ」を見出す。言葉が言葉を生んでいく過程である。
(注2)⑳は実は難訓である。
⑳秋柏 潤和川辺の 細竹の芽の 人には忍べ 君にあへなく〔秋柏潤和川邊細竹目人不顔面公無勝〕(万2478)
4・5句の原文に「人不顔面公無勝」とある。⑬の「四能」を単なる用字の間違いとすると、⑳にノの音が違うのに無理して「忍ぶ」と訓もうとする意欲は削がれる。「人不顔面」は旧訓にヒト(モ)アヒアハズ、ヒトモアヒミズ、アヒミジなど、「逢ふ」という語ととっていた。大系本萬葉集では「人には逢はね」と訓んでいる。そして、篠の芽のさまを観察すると、節ごとに互生していることに気づく。確かに水が潤っていることを思わせる川の川辺というのは、川を挟んで両サイドにあるから、篠の芽の両サイドに分かれて生えることとよくマッチした流れになっている。川の流れと歌の言葉の流れがかかっている。節から生えた脇芽が伸びたとき、互いに「逢ふ」ことはない。そのための形容と捉えられる。
⑳秋柏 潤和川辺の 細竹の芽の 人に逢はずも〔人不レ顔面〕 君に堪へなく〔公無レ勝〕
潤和川の川辺の篠の芽のように互い違いであるように、人に逢わないでいることはできても、あなたに逢わないでいることは堪えられない、ということである。篠の芽から人の目の合うことを引き出していて、それは顔を合わすことだから「逢ふ」ことであり、原文に「顔面」とあるのはそれを表すとともに、「面」でモとも訓むために添えてあると考えた。集中の用字例では「荒磯面〔荒礒面〕」(万220)の例がある。オモ(面)のオの脱落した形である。「逢ふ」と「堪ふ」とは自動詞、他動詞の別はありつつ同根の言葉であり、歌のなかでは逢わないでいることが堪えられるか堪えられないかということを重層的に訴えることになっている。そのように一つの言葉を多重に解釈して正しいのは、そこが「潤和川辺」のことであり、川には両サイドあるから両様に考えることが求められているからである。
(注3)拙稿「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論」、「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論補論」参照。
(注4)拙稿「「吉野讃歌」は「吉野讃歌」ではない論」に詳述した。
(注5)「吉野讃歌」とされる歌も、「心もしのに」という表現が使われる歌も、万葉集において柿本人麻呂の作を初出としているようである。ただ、当時の歌を網羅したのかわからない万葉集の用例をもってして表現の発案者が誰であるかを定めることはできず、また、してもあまり意味のないことである。言葉は誰かが言い出したからといって言葉になるのではなく、受けとる側が賛同して受容しなければ言葉とならないからである。今日、表現の創作者としての人麻呂論は数多く展開されているが、あやしいものである。
(注6)拙稿「枕詞「刈薦(かりこも)の」について」参照。
(注7)ヤマトコトバは、歌謡の発達、隆盛によって自由な言語活動が保障され、枕詞も量産されたように比喩が比喩を生んでいて、言語系としてかなり高い確率でオートポイエーシス・システム autopoiesis system となって自己完結的な閉域を構成していた。万葉集はほぼヤマトコトバでできていて片言の文字(漢字等)しか前提としていないのだから、理解のためにはその再帰性に目を向ける必要がある。中国文学と比較することは可能でも、そこから理解しようとすることは不可能である。
(引用・参考文献)
大浦2007. 大浦誠士「「心もしのに」考究」『萬葉語文研究 第3集』和泉書院、2007年。
亀井1985. 亀井孝「「情毛思努爾」『亀井孝論文集4 日本語のすがたとこころ(二)』吉川弘文館、昭和60年。
大系本萬葉集 高木市之助・五味智英・大野晋校注『日本古典文学大系4 萬葉集三』岩波書店、昭和35年。
中嶋2003. 中嶋真也「「心もしのに」考」『国語と国文学』第80巻第8号、平成15年8月。
中嶋2014. 中嶋真也「しのに」多田一臣編『万葉語誌』筑摩書房、2014年。