暇人のぐうたら日記

暇人がぐうたらな日々をつづる

貧困の負の連鎖

2019-06-23 22:58:35 | たわごと
ある日突然首が回らなくなる。お金がなくて何も買えず破産する。これは貧困の負の連鎖から生じる。頑張って働けば挽回出来ると言う人がいるが、人の価値は一度安くなるとそれ以上に上がらないばかりかドンドン落ちてゆく傾向にある。借金がある場合は返済に窮するため、一文なしになる。例えばサラリーマンでバリバリ働いていた人が職を失うとすると、次の職は給料が低くなる。さらに年金生活ともなるともはや年金以上のお金を稼ぐ事は難しい。これは社会のその人に付ける価値が低下する事による。だから転職する際は給料が上がるようにやらなければ自殺行為となる。負の連鎖から抜け出せなくなると極めて危険な事態に陥る可用性があるのだ。

人生の選択と運

2019-05-05 15:55:43 | たわごと
運が良い人、悪い人はいつの時代にもいる。だから、正月になると願掛けに神社を訪れておみくじなんかで運良く生きていける事を願う。運と言うと何だか天災の様なものとして捉えられているが、実は選択によるものなのだと思う気がする。選択も自分では避けようがない選択も多いだろうから、あの時、こうしておけば良かったと後悔してもどうしようもない事もある。人生は多くの選択の過程で成り立っている。必ずしも大きな選択ばかりではなく日常的にも多くの選択を知らぬ間に行っている。連休中に風邪を引いてしまった。何時もの病院が開いてないから、開いてる病院へ飛び込んだ。取り敢えず処方された薬を飲んだが一向に良くならない。こんな事なら、薬局で風邪薬💊買っておけば良かったと思う。事故、病気の類は自らの選択ではなく起こるが、その時に何らかの選択を行っている。運とは巡り合わせで、巡り合わせは選択により生まれる。人生は選択の連続である。何もしないのも選択肢。風邪を引いてしまったらゆっくり寝て過ごすのもありかな。長い連休は困る。令和になっても変わるのは元号だけなのになぁ。

引っ越し代が100万円の時代到来

2019-03-21 19:23:28 | 時事
宅配が人手不足で賃金が上がっている。しかし、思わぬ所で引っ越し代金が高騰していた。100万円という見積もりが当たり前らしい。3月という季節要因もあるのだろうが、新しい門出を迎えるには悲しい現実を突きつけられる事だろう。都市部では地価も上がり、学費も年々上がり続けている。基本的にサービスにかかる価格が上がり始めている。こうなると、次には物価が上がり始めるだろう。しかし、そうなると物が売れなくなり経済は停滞する。成長なきインフレほど辛いものはない。食料品から医療費、あらゆる生活費が上がるから、特に低収入世帯にとっては死活問題だ。当然子供を諦めるから少子化は止まらないだろうな。物価目標達成って結局自分の首を締めてるだけ。早く正常な状態に戻さないと国が滅びるだろう。また、誤魔化して表面を取り繕うのか?

自衛隊違憲論争と憲法改正

2019-03-03 12:08:15 | たわごと

自衛隊は違憲だという議論があるから憲法で自衛隊を明記しようと政権側の主張がある。そもそも政権が自衛隊を違憲だ言うこと自体論理が破綻している。何故なら

自衛隊法という法律があるし、自衛隊には多額の防衛費という形で税金が投入されている。これは政府が予算を提出し国会で決議されなければ認められない。ならば自衛隊が違憲であるということを政府が言うこと自体が論理が破綻している。自ら予算を提出している以上、政府も国会も合憲と認めているからである。

では、何故憲法改正をしてまで当たり前の自衛隊を明記しようとする必要があるのか。憲法では先の大戦の反省から陸海空のいっさいの戦力を保持しないと定められている。すなわち、軍事的戦力を保持しないというという解釈が成り立つ。ということは、憲法に自衛隊を明記するということは、軍事的戦力として位置づけることを認めるということになる。しかも内閣総理大臣を総指揮官とするということになれば、政権の意図するままに軍事力を行使できることになり、もはや先の大戦を正当化するものになり、戦力行使が可能となる。

自衛隊員は事実上、軍人となり、政権の意のままに戦力を行使しなければならなくなる。自衛隊員は軍人となる。

さて、憲法改正は国民投票により決せられる。仮に憲法改正がなされた場合、国民が認めたこととなり、国民の責任となる。

憲法は米軍が作ったと言っており、時代にそぐわないから変える必要があると言っているが、何がどう変わったからこう変えるという具体的な説明は一切ない。このような案に賛成することは、契約書に無条件に判を押すことと同じである。

具体的な説明がない以上、無信任投票は止めた方が良い。非常に危険な行為であるとともに自己責任が後で付いてくることになる。

 

 


無駄を排除した後に残るもの

2019-01-01 17:47:22 | たわごと
やることも無く暇なので今年の課題でも考えてみようと思った。特に自分の事でなくとも何かしら暇つぶしができれば良い。すると、社会の問題として排除と言う言葉が昨年来の課題として未だ答えが得られていないことを思い出した。排除とは、社会に必要にないものは切り捨てると言う考えである。理屈として排除は理にかなっている様に思えるから、支持も得られやすい。恐らく今年もこの考えは優先課題として実効されることだろう。しかし、果たして無駄を排除した社会に何が残るのかと言う疑問が浮かんだ。人が生きるのもある期間であるから、生きる為の活動に価値はない。人が生きる上で必ず廃棄物が放出されるのだから。経済も自然を破壊するという観点からすれば排除に値する。人は人の為に生きるのだとすれば、排除の理屈が矛盾する。何故なら、前提として社会に必要ないものが排除の対象だからである。となると、排除の理論とはある人たち、例えば、健康で元気でお金持ち、の観点から観た一方的な観点であることがわかる。しかし、彼らもいずれは排除される側に回るのだから自己矛盾を内包している。となれば、排除と言う課題は事故みたいに偶然、偶発的なもので、そこにたまたま当たった人の災難みたいなものだ。答えがない課題は、永久に解が得られないから、課題として残るのだろう。無駄を排除したらやはり何も残らないのだろう。今年も無駄な人たちが、排除されて消えて行く事になる。今年は誰が消えていなくなるのだろうか。?それが課題た!