暇人のぐうたら日記

暇人がぐうたらな日々をつづる

行きすぎた指導 今と昔

2018-06-02 12:55:39 | 時事
日大アメフト部の行き過ぎた指導が社会を賑わせている。行為そのものの是非は論じない。勝負の世界では潰せとか、やっつけろ、痛めつけろ、等と言う言葉はよく使われる。これは、今も昔も変わらないのか。少なくとも、昭和の時代では、殴る蹴るといった体罰は当然のこととされていた。特に運動部では炎天下のグラウンドでの練習でも水を飲むことは許されなかった。これが、精神を鍛えることになると信じられていた。日大アメフト部の監督はそういう時代を生きてきた。ところが、平成になり、時代は次第に変わっていった。スポーツに医学的な側面が追加され、単なる精神論は無意味であり、体罰により人間の精神は鍛えられるどころか委縮することもわかってきた。所謂、欧米型指導である。日本では選手を痛めつけることにより、反骨精神を喚起させようとしていたのに対し、欧米では行き過ぎた練習、過度のプレッシャーは逆効果であるという科学的、医学的要素が取り入れられていた。野球なんかも、投手はと途中降板が当たり前、中休みも当たり前のように受け入れられる世になった。そこに、昭和の産物と現代の進化との間にギャップが生まれている。これは、学校の指導やスポーツの世界に限ったことではない。ところが、問題はその進化の過程でどちらとも判断できない世代がいることである。幼い時は、昭和の精神論を叩き込まれ、成人したときはすでに欧米型に変わってしまった。この世代は、自己が破綻してしまっている。それまで身に染みていたやり方が、180度違った方向へと向いてしまったからである。この世代はもはや自分で考えて行動することができず、ひたすら強いものに巻かれろ的な発想をする。日大アメフト部のコーチ陣である。彼らは、誰も監督に意見することもできずに従うのみであった。こうして、悲劇は生まれた。
政治の世界でも同じことが言える。60台以上の年寄りが幅を利かせ、50代以下の党員は物も言えない。当然、一般的常識から言って間違っていると見えることも彼らにとってみれば従うしかないのである。こうして、政治の世界では多くの問題が噴出している。これまでは、昭和の理論同志がぶつかって問題が起きないようになっていたシステムが、新しいせい代官ギャップとその中間世代により、ネジが外れた様になってしまっている。
国民の間にも蔓延し、何故か70%の反対の政党が過半数以上を占めている。選挙となれば、国民の世代ギャップが施行を停止してしまい、昭和の産物に従ってしまう。所謂、長いものに巻かれろとなり、悲劇が起きる。
このような世代間ギャップは、まだもうしばらく続くだろう。その後には、完全に新しい欧米型のシステムが取り入れられることとなろう。そこに明るい未来があることを期待する。