司馬遼太郎さん生誕100年なので
100分de名著では、家康を書いた「覇王の家」が取り上げられました。
そして、NHKに残っている映像(1986年のもの)から、
雑談「昭和」第1回 何が魔法をかけたのか
録画していたのを見ました。
司馬遼太郎さんは24歳ころ陸軍の戦車部隊に属していて
栃木県で敗戦を迎えた、その4か月?前までは、部隊は満州にいた。
青年の司馬さんは、その当時、自分はどうしてこんな国に生まれたのだろうか?と考えていた。
日本は、ちゃんとした国だったのに、大正末期、昭和元年から20年、
魔法の森になっていた。
何が魔法をかけたのか、、、について探ろうと、
それまでの日本にいたはずの、立派な人物・日本人を探して、見つけて
小説に書いてこられた。
けれど、ノモンハン事件について、書こうと思って、調べたり、当時の人物にインタビューしたが
書きたいと思う人物は、いなかった。
ノモンハン事件、中国侵略、太平洋戦争まで
「国というものをバクチ場の賭けものにするような、
こっけいな意味での勇ましい人間が、
愛国者ぶってやることがパターンになった」と司馬さんは言い切る。
参謀本部なるものができ、統帥権を振りかざした。
日本は軍部に占領されてしまっていた。
それは、支配ではない。
織田信長が支配するというとき、民のことをも考えての支配だった。
けれど、ノモンハン事件で兵の75%が死ぬという異常な戦い。
普通は30%の兵を失くしたら撤退するのが常道。
ロシア軍との兵力の違いも計算せず、古い武器で無謀な戦いをした。
その作戦を計画したのは、参謀本部の幕僚、将校、
当時のエリート官僚たちだった。
彼等は、国家をたぶらかした。
満州国で味を占めた軍部は、日本国をたぶらかして、自分の国を占領した。
魔法の森の占領者は、悪かった。
統帥権という魔物を使い、インチキの理論、論争で、人々をあやつる
異様な時代だった。
そこへ敗戦後、新しい占領者GHQが来た。
人々は、自然に、新しい優しい、物をくれる占領者に親しんだ。
司馬遼太郎さんは、魔法の森の謎を解くための「鍵」手作りの鍵を作ろうと
歴史小説を書いてこられた(放送当時執筆を初めてからすでに40年経っていた)
まだまだ読んでいない司馬遼太郎さんの本がたくさんあります。
「竜馬がゆく」が書かれなかったら、
坂本龍馬という人物は、いまほど知られていることはない。
「峠」を読まなかったら、河合継之助を知らない。
関西地区限定の放送であるらしいのですが、
あと残り7回、心して見せていただきたいと思います。
なぜなら、日本はまた、おろかな、むなしい戦争に引きずり込まれるかもしれないから。
伊香保の赤い橋 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)
世界の国々をつなぐ、赤い橋はないのでしょうか。
安心して人々がそこを通ることのできる赤い橋。