新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

今日のコラム

2013-06-25 05:32:05 | 日記

松下幸之助一日一話

6月25日

報告する

 何かを命じられて使いに行き、帰ったら、「あれはこうでした」と、必ず報告しているでしょうか。

 何か問題が起こったという場合はもちろん、何事もなかったときでも、何もなかったのだからそれでいい、と考えるのではなく、まず報告する。また、それがいい結果であったら、それはそれで報告する。そうすると、報告を受けた方も「それは結構やったな」と非常に愉快になるし、安心もします。

 打てば響くというか、以心伝心というか、肝胆相照らす仲であれば、命じた人の気持を察して必ず報告するものです。そのちょっとした心がけから信頼感も生まれてくると思います。


天声人語(OCN朝日新聞デジタル)

2013年6月25日

天声人語

沖縄県の与那国島は日本の西の果てに浮かぶ。その島にある久部良(くぶら)小学校1年、安里有生(あさとゆうき)くんの朗読する詩に、目頭を熱くした人もいたのではないか。沖縄慰霊の日の追悼式場から、あどけなくもきっぱりした言葉が、大人の心を洗うように届けられた▼「へいわってすてきだね」という題が、まっすぐに響いてくる。〈へいわってなにかな。ぼくは、かんがえたよ。おともだちとなかよし。かぞくが、げんき……ねこがわらう〉▼朗読をテレビで聞きながら、与那国島の出身で、沖縄初の「軍神」になったある大尉を思い出した。陸軍士官学校を出てガダルカナル島で戦死した。那覇市での県葬には1万人が参列し、児童6千人が行進したという。かつて、その人の遺族に取材したことがあった▼顕彰運動はむろん、県民の戦意高揚が狙いだった。そうした果てに沖縄戦があった。住民は根こそぎ動員され、「鉄の暴風」といわれる戦火の中で多くの人が死んでいった▼与那国島を訪ねると、小高い崖に戦時中の詩のプレートが今も残る。詩の作者は島を「南海の防壁」と呼び、〈おお汝(なんじ)は 黙々として 皇国南海の鎮護に挺身(ていしん)する 沈まざる二十五万噸(トン)の航空母艦だ〉と言葉を結んでいる▼戦争が終わって68年、安里くんは、島の道ばたにあるものが「平和」なのだと気づく。〈やぎがのんびりあるいてる……よなぐにうまが、ヒヒーンとなく〉。平和という言葉についた手垢(てあか)を、小さな詩人に洗い流してもらったような気になった。