7月12日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)
みずからをつかむ
人それぞれに顔、かたちが違うように、人間は誰しも、一人ひとり違った素質、才能を持っている。ただそれらは、顔を鏡にうつすごとくには表面に出にくい。
しかし、そういう自分の素質とか才能というものを自分でハッキリとつかみ、そしてそれを日々の活動に、ひいては人生に生かすことができたら、どれだけ人間としての喜びに満ちた生活が営まれ、人生の妙味というものを味わうことができるだろうか。
一人ひとりが他と違ったものを持ち、そして日々新たに発展していく。そこには苦しみもあろうが、何物にもかえがたい喜びもあるはずである。
2013年7月12日天声人語(OCN朝日新聞デジタル)
天声人語
▼自然には美しさと非情が相混じる。古来、この国土は数多(あまた)の地異に揺れ、天変に叩(たた)かれてきた。1年のどの日にも、大小の爪痕(つめあと)と人々の涙が刻まれていよう。今日もそうだ。北海道の奥尻島などを大津波が襲った北海道南西沖地震から20年の節目になる
▼揺れたのは夜、数分後に波がきた。闇の中、人や家が流されていくのが、流される車のライトで見えたという。奥尻島では死者・行方不明者が198人にのぼり、くむべき教訓を山と残した
▼2階に上がると言う妻に、夫が「高台でなきゃだめだ」と怒鳴って走り、助かった夫婦がいた。一緒に逃げた近所の母子3人は「ばあちゃんのところに寄っていく」と言いだし、津波にのまれたという。同じことが東日本大震災でも繰り返された
▼教訓を伝えるのは簡単ではない、というのが、被災直後の島で取材した本紙記者の20年後の実感だ。一つ一つの天災はそれぞれに教訓を残す。そこで、時代をさかのぼって古文書や石碑を調べ、防災に生かそうという自治体が近年増えている
▼東北沿岸には津波の到達点を伝える古い石碑が残っていた。なのに顧みられなかった。そんな反省も踏まえての温故知新(おんこちしん)である。ご先祖様が残した記録は律義で細かく、それをもとに被害想定を見直した県もある
▼奥尻に話を戻せば、今日は島で追悼式が開かれる。追慕の涙にぬれる方もあろう。故人の無念を語り継ぐ意思を、確かめ合う節目でもあろう。その思いこそ防災を支える力になると信じたい。
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