今の日本で、一番読み応えのある随筆を書かれるのはこの方だと思います。
読売新聞の「人生案内」の回答者でもいらっしゃって、鷲田さんの回は必ず読んでいます。
やさしい言葉で書かれているのに、奥行きがどこまでも広がっていく。
この方が哲学者でいらっしゃって、いちおう哲学科卒業の身としては、大変心強く思っています。
で、この本ですが、文芸誌や新聞に発表された随筆を、テーマごとにまとめたもの。
この本のために書かれたわけではないので、多少重複する箇所もあるのですが、やはり読み応え抜群でした。
印象に残っているのは、「生きづらさ」について。
ありのままの自分を肯定できない様々な要因が抽出されています。
「今度のテストで百点とったら遊園地に連れて行ってあげますからね」
幸いにして私はこんなこと言われなかったけど、周りの多くの子たちは、期末テスト後におもちゃが増えていました。
おもちゃのための勉強だったのでしょうか? そこでは自発性への信頼が徹底的に損なわれています。
学校でもそう。なぜ答のわかっている先生が、わかっていない生徒に質問するのでしょうか?
そこで生徒たちは、常に存在を試される人間になってしまう。
先生が生徒を選別し、偏差値が付され、偏差値に準じた大学が見え、企業や高級官僚まで芋づる式につながっていく。
「優秀な生徒」ほど、先生方や親にとって「良い子」となり、そんな本来の自分とはかけ離れた自分の在り方を肯定できなくなる。
かつての私もそうでした。
ありのままの自分を認めて欲しい欲求がたまりにたまって依存症にもなる。
抑えに抑えて鬱病にもなる。
自分が自分になるために何が必要なのか?
それを求め続けてもがいてきたのが私の多くの時間とエネルギーを要した問題でした。
カウンセリング、創作、マラソン。いずれも自ら欲して行ってきたこと。
地道な活動の続きとして、新年のあいさつの交換があり、誕生日のお祝いもたくさんいただきました。
職場では、ロッカーに「ハッピーバースデー。冷蔵庫にプレゼントがあるよ」とメモが貼ってあり、冷蔵庫を開けると、そこにはなんとプチトマトが。
おいしかった。うれしかった。思わず笑顔になった。それこそが存在の祝福だと思った。
私が私として認められ、祝福される。ありのままの肯定は、身近なところにあった。
肯定されればうれしいから、このうれしさを他の人にも感じてもらいたくなって、私も祝福したくなる。
むずかしいことじゃなくて、そんな日常のふるまいを大切にしたいと、改めて思います。
私を認めてくれた人たち、ほんとうにありがとうございました。
恩返ししたい、という希望が、創作の源にもなっています。
「他人との支え合いのネットワークをいつでも使える用意ができているということが、『自立』のほんとうの意味なのです」247頁13行―14行
こちらも、繰り返し味わいたい言葉の一つです。
鷲田清一著/角川学芸出版/2013
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