『悪童日記』『ふたりの証拠』、そして完結編の『第三の嘘』、読了。
タイトルからして混乱する。
前作、前々作は嘘だったのか?
そもそも、小説は嘘。
しかし、作中の人物や時代や土地を、読者は実際にあるものとして読む。
その土台が根底から揺さぶられる。
クラウスとリュカ、二人の人生が三度語られ直す。
これが真実だと思いながら。しかし、タイトルは『第三の嘘』。
読み進めてわかってきた。クラウスとリュカは、二人で一つであって、それは現実と幻想のようなものなのではないかと。
二人とも書かずにはおれない人。自分自身を確認し確立するために、事実に基づいて書こうとするのだけど、事実はあまりにも悲惨だから、どうしても嘘が混じる。
嘘を書くことで、現実の痛みを和らげようとするかのように。
もはやどちらがクラウスでリュカなのかもわからない。
片方が死んだとき、もう片方も生きている意味を失う。
今作に出てくる事件も救いがない。最後も自死を肯定的に受け止めているように見える。
それでも、それも嘘だ。
新人賞の選考委員の一人が言っていた。
世界と刺し違える作品を、と。
この本を読むと、わかる。
どうしても書かざるを得なかったのだと。クラウスとリュカと同じように。
作者は、政治的理由で、亡命を余儀なくされた人です。
異国の地にありながら、故郷をずっと思い描いていた。
その亀裂が、クラウスとリュカを誕生させた。
文学にまで成長した。
とらえ方によっては、自暴自棄にもなったでしょう。
しかし作者は、抱え続けた。見つめ続けた。
文学は死ななかった。
困難や悲しみや不条理に直面したとき、読むときっと伴走してくれるだろうと思う。
余計な口出しなどせずに。
アゴタ・クリストフ著/堀茂樹訳/ハヤカワepi文庫/2002
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