私の高校生活はまずまず安泰した毎日でした。
中学の頃と同じく美術部に入部し、漫画やアニメ好きの仲間も増えました。
両親にダメ元で「アルバイトをしたい」と話したら意外にも承諾を得られ、アルバイト先でも色々な年代の人と仲良くなりました。
なぜこんなにも安泰した日々を送ることができたのか…
それは…お世話になった母校には申し訳ないのですが、私が通っていた高校は県内でも下から数えた方が早いくらい偏差値が低く、学習能力がグレーな私でもそこそこの成績をとることができ、(偏差値はともあれ)母の満足する成績表を持ち帰ることができたからです。
この頃父が会社をリストラされ、母と私に内緒で個人事業を始めました。退職金の大半をつぎ込んでしまい母は烈火のごとく怒り狂いましたが、父に個人事業を勧めた人が間に入り母を説得していました。
父の個人事業は1,2年は順調でした。
私も何度か父の仕事場に行ったことがあります。ご機嫌で仕事をする両親。夢はどんどん膨らみます。
「将来はけめこに婿をとってもらって継いでもらわなくちゃ」(今更の自己紹介ですが、私は一人っ子です)
私自身が考えてる将来設計なんて無視です。そもそも将来のことなんて聞かれたこともありません。
しかし、素人がそうそう上手く商売が出来るわけありません。
私が高校3年生の頃には経営がうまくいかなくなり、立て直すこともできず、父は個人事業を辞めました。父に個人事業を勧めた人も姿を消しました。
夫婦仲は最悪の最悪な状況です。そんな状況下、私の進路を決めなければいけない時期になりました。
今でもその時の光景を忘れていません。母が台所で洗い物をしている時でした。
私は勇気を振り絞って「進学をしたい」と母に言いました。家計の状況も薄々わかっている、学費は自分で払うからと。
母は私に背中を向けたまま「何言ってるの?就職しなさい。」と声を荒げることもなく静かにいいました。逆にその様子が恐ろしくて、これ以上この話をしたら母が逆上して襲い掛かってくるのではないか…私はそのあと何も言えませんでした。
私の進路は「就職」になりました。
学校に届く就職案内のファイルを見る日が続きます。90年代後半のことです。高校生の就職も“氷河期”でした。
私はアルバイトでも経験した職種に就職しようと思い、とある地元企業の面接試験を受けました。ありがたいことに採用の返事を頂きました。採用されたことを母に報告すると
「そんな小さな会社断りなさい、新卒なんだからもっと大きな会社に就職しなさい!」
もちろん母には事前に面接試験に行くことを話しています。内定を断るなんてできません。
しかし母は「断りなさい」の一点張り。そして毎度お馴染みの自分の苦労話を語りだします。「お母さんはこんなに苦労した」「お母さんはこんなに辛い思いをした」そして締め括りはいつも通りの「あんたがいるからお母さんは離婚できなかった」
小さい頃から何度も何度も聞かされた母の話なので“わたしのせいでお母さんが苦しんでいるんだ”と暗示をかけられていた私は母の言う通り内定をお断りしてしまいました。進路指導の先生からは「こんな厳しい時代に採用してくださった企業なんだぞ。もう来年からは就職案内が来なくなってしまうんだぞ。」と叱られました。しかし私は「職種はなんでもいいです。大きな企業に就職したいです。」とお願いをして、隣町にある会社の面接試験を受け採用されました。
新聞の株価欄にも企業名が載っている会社だったので、母も満足している様子でした。
しかし、ここから私の環境はどんどん苦しくなっていきます。(つづく)
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