私は一人っ子で、両親は不仲で、母親は毒親で…家にいて安らぎを感じたことがありませんでした。
習い事、部活、進学、就職
友だち付き合い、好きなこと、興味があること
何から何まで反対され、否定され、貶されて育ちました。
だけど唯一自分で決めたこと、それは「結婚」です。家庭を持つことだけは自分の意志で決めました。
あったかい家庭を築こう。太陽のようなお母さんになって我が子を育てたい。
「妊娠糖尿病」のリスクも分かっているし、我が子にも「糖尿病」の血統を継がせるリスクもわかっています。
だけど私は我が子に「きょうだい」がいる家庭を作りたい、築きたいと結婚前から望んでいました。
そして2人目を授かりました。
2人目の出産も家から数駅離れた「総合病院」でお世話になりました。
「経産婦さんだし、前回のこと(妊娠糖尿病)も分かっているから大丈夫だよね。また頑張ろうね。」と助産師さんが仰ってくれました。
私はまた「食事管理」と「運動」で血糖値のコントロールに努めましたが、その時上の子が2歳くらい。なかなか自分の時間が取れません。
少し離れた公園までバギーを押して歩いたり、子どものお昼寝の時間に合わせてウォーキングに出たり、バギーの車輪が取れるんじゃないか!?と思うほどバギーを押して歩きました。
が、やはり一人目の時のようにうまくはいきません。前回は妊娠後期で使い始めた「インスリン注射」を今回は妊娠中期で使い始めました。
「妊娠糖尿病」の患者なので、通院も普通の妊婦さんより多く通います。
産科、内科、眼科、歯科
特に内科は診察までの待ち時間が長かったです。2歳の上の子は「一時保育」に預けて通院していました。
「経産婦さんだし、血糖値のコントロールもできているから“管理入院”はなしでいいですよ。」
“管理入院なし”は本当にありがたかったです。「計画分娩」ギリギリまで上の子と一緒に過ごすことができました。
上の子の時よりもあっという間に過ぎていった下の子の妊婦生活。
澄んだ青空に暖かい日差しが降り注いで「いい天気だなー。こんな日に生まれてくる子は幸せだなー」と病室で手術の順番を待っていたら、主治医の先生が来て「けめこさん、手術の順番早くなってもいい?」と突然の連絡が慌てて夫に連絡し、夫も慌てて上の子を保育園に預け、タクシーに乗り…まぁまぁギリギリなところで間に合いました
手術室に向かう私も心の準備がまだ整い切れていません
でも、その時お世話になった看護師さんがあの「Aちゃん」にそっくりで!!
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だんだん下半身麻酔が効いてきてるのに何だか急に不安になった私はAちゃんにそっくりな看護師さんに「すみません…急に怖くなってきちゃって。手をつないでもらえませんか?」とお願いしました完全に麻酔が効くまで手を握ってもらいました。
そして生まれてきた2人目の我が子は…やっぱり「隔世遺伝」で義父にそっくりでした
下の子は「低血糖」や「黄疸」の症状がなく、手術の2日後には母子同室で過ごすことができました。
上の子よりも約1000グラム大きく生まれてきた下の子。体が大きい分、母乳を飲む力も強いです。
私も2人目ということで心に余裕があったのか、1人目の時のような「石橋をたたいて渡る」子育てはしませんでした。
(ところがこの下の子…数年後に「問題行動」を起こして私を悩ませます)
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下の子の1か月検診と、私の産後1か月検診、そして私の「経口ブドウ糖負荷テスト」。
全て「問題なし」という結果をいただきました。
しかし、内科の先生が「2回“妊娠糖尿病”で出産しているから、今後“糖尿病”になるリスクがぐんと高くなります。定期的に内科を受診してくださいね。」と仰いました。
家の近くの「総合病院(産科がない病院)」に紹介状を書いてもらい、定期的に健康診断を受けるはず…はず…は…ず…でした
いつもブログをご覧いただきありがとうございます!
「一時保育」は本当にお世話になりました。利用日(利用月)の1か月前に電話予約をするんですけど、まるでチケットぴあに電話をかけるくらい争奪戦でした
「一時保育」で給食を食べてくる日もあり、また先生との「連絡帳」のやりとりもありました。
ちょうど「トイレトレーニング」を始めていたので連絡帳に「今日は自分で“トイレに行くー”と言っていました。」とか、「公園遊びの時間に“ママは赤ちゃんがいるから病院なの”と教えてくれました。」など…上の子の様子を読むのが楽しみでした。保育時間に作った折り紙のプレゼントや、外遊びで拾ってきた小石のプレゼントも嬉しかったです。小石…めっちゃたまりました(笑)
親が長期入院したり、私のように出産で日中育児ができない場合の保育サポートの制度もあります。自治体で様々だと思いますが2~3週間くらい保育園に通うことができる制度です。
下の子を出産して間もなく、初めて上の子がお見舞いに来てくれた日。
エレベーターの前で私が待っていて、扉が開いた瞬間。
上の子は振り絞るような声で「…っ!ママ…」と私を呼び抱き着いてきてくれました。
私はあの時の光景を一生忘れません。