人形を抱く少女の絵でしょうか?画風から判断すると、大正7・8年頃の作品だと思われてます。
少女の表情が人形を自分の子供のようにいとおしく思っている様子がはっきりとわかります。
微笑ましい作品です。
夢二の絵は見るだけで、いつ頃に描かれたものなのかわかるようになりました。
人形を抱く少女の絵でしょうか?画風から判断すると、大正7・8年頃の作品だと思われてます。
少女の表情が人形を自分の子供のようにいとおしく思っている様子がはっきりとわかります。
微笑ましい作品です。
夢二の絵は見るだけで、いつ頃に描かれたものなのかわかるようになりました。
とうとうジーンズも10作目となってしまいました。
今回は特に出来が良いです!!
ジーンズはノーブランドで、ユーズド500円で購入。
それに付加価値をつけてみました。
丸いドットと先染めチェックの布をポケットに布用ボンドで真ん中のみ貼り、
生地のまわりを手縫いで縫い上げると布の引きつりがありません。
綺麗に縫えます。
左ポケットです。
まわりの花柄は転写プリントを細かくハサミで切り、ポケットの回りに配置しました。
ちょっとゴージャス感がでますね。
右ポケットです。「1962」を手書きで入れました。
「1962」ブランドの完成!!
ええジーンズじゃ!!
【赤とんぼ】
♪ゆうやーけこやけーのあかとーんぼー♪
夕焼け空に舞う赤とんぼ・・・・・。
夕焼けの赤い日が、空に浮かぶ白い雲を赤く染める・・・・。
そんなイメージで描きました。秋用の扇子です。
拡大です。
バックのブルーは空の色、オレンジとゴールドは夕焼けの色を表す。
それをドットで表現いたしました。天の川を渡る赤とんぼのようにも見えますね。
トンボは適当に描いてしまいましたが・・・・。
今度は扇子でございます。100均の扇子を購入し、そこにデザインいたしました。
100円に価値がどのように変わるでしょうか?とくとごらんあれ!
【梅】
梅でございます。モスグリーンの扇子に赤で日本画風に梅を描きました。
葉はラメカラーです。幹はブラックで立体感を出しました。
よーく見たら手抜きでしょ。でも全体で見ればうまく見えます!!
色使いは自分でも抜群だと思います。
ベルト・モリゾ。
私の好きな画家の一人である。なぜ好きなのかと言うと、美人、いや、色使いは良い!画風が母親としての愛情がこもったやさしい絵が多いからである。師であるコローも色使いが綺麗で、自然のやさしい絵が多いのでその影響かも知れない。
ベルト・モリゾはブールジュでシェール県官吏の子として生まれた。ベルトと姉のエドマ・モリゾは二人とも画家の道を志した。モリゾ家はロココ時代の画家ジャン・オノレ・フラゴナールの家系であると言われている。 20歳の時から姉と共にバルビゾン派のジャン=バティスト・カミーユ・コローに師事。戸外での制作をはじめる。ベルトとエドマは共に画学生として励んでいたが、エドマの方は結婚して子供ができたために画家への道を諦めた。二人の間にやり取りされた手紙には親愛の情があふれ、またベルトの方はエドマが絵を描くことを辞めざるを得なかったことを残念に思う気持ちが読み取れる。エドマはその後もベルトを心をこめて支えた。
1868年、モリゾはエドゥアール・マネに出会う。マネに絵画を学びながら、彼のモデルを多く務め、マネとの恋仲を噂されることもあった。基本的にマネが師でありモリゾが弟子であるとされているが、二人の間にはお互いに影響を与えあうものがあった。また、モリゾはピエール=オーギュスト・ルノワールやステファヌ・マラルメとの親交もあった。
1874年、モリゾはマネの弟ウージェーヌ・マネと結婚した。1879年に娘ジュリーを出産。夫婦仲も良く、モリゾは夫や娘を題材にした作品を多く描いている。
ジュリー・マネは日記を綴ったが、そこにはマラルメや印象派の画家たちの日々の様子が描かれている。(訳書は『印象派の人びと ジュリー・マネの日記』、中央公論社)
また没後の回顧展ではマラルメがカタログの序文を書いた。〈ディヴァガシオン〉に収録(訳文は『マラルメ全集 第2巻』所収、筑摩書房)。
マラルメの弟子であるポール・ヴァレリーによる「ベルト・モリゾー」、「ベルト・モリゾーについて」がある。(訳文は『ヴァレリー全集.10巻 芸術論集』所収、筑摩書房)。
1900年にジュリー・マネは、画家エルネスト・ルアール(ドガの弟子でヴァレリーの友人)と、同時にヴァレリーもモリゾの姪ジャニ・ゴビヤールと結婚した。2組の新婚合同記念写真が遺されている。
【主な作品】
ロリアンの小さな港
懐かしい母校です。私は大阪生まれでございますが、大阪弁は出なくなってしまいました。
っていうか大阪弁は存在しなく、大阪弁が標準語、皆さんが行っている標準語東京弁なのです。
関西で大阪弁っていったら怒られまっせ!ほんまに。
わが母校の大阪経済大学です。とっても懐かしい!!
わが母校は昔と比較して華やかになりました。当時の男女の構成比はオトコ99%、オンナ1%だったうさんくさい
大学だったのです。学生運動も盛んで、機動隊と校舎でにらめっこしたこともありましたね。
レベルはさほど高くないけど公務員になる人、社長になる人が多い大学です。
女性がキャンパスを歩くとオトコ連中は振り返って見たものでした。
今は学部も増え、大学らしくなりました。
ゼミや講義風景。
クラブ活動、大樟祭。野球部は強いです。
真ん中は図書館。よく利用しました。すぐ眠くなったけど・・・。
本当に華やかになりましたね。もう一度入学したい・・・・・。
横浜で豪華客船にクルージングしたときの写真です。
バックにかすかに写っているのはレインボーブリッジです。
とっても恥ずかしいですが私とワイフです。
コースでフルーツバイキングでケーキを思いっきり食べました!そしてその後の記念写真です。
食い散らかしたケーキ皿が手前に写っておりますね(笑)。
敬礼しましたが、私はなんか腕の角度がおかしいです。
2時間のクルージングでしたが、これは新婚旅行を思い出しましたね。
私が、必殺オークションで安くチケットを落札いたしました費用は非常に安く済みました。
アタマ使いな、アタマを。いくらでも贅沢できますよ!!
「PENGO・PENGO」
見ての通り、ペンギン君です。
ちょっと子憎たらしいペンギンを描きました。
拡大になります。
グレーのTシャツにホワイトを2重塗りし、太筆でペンギンを一気に描きました。
ベルナール・ビュッフェ(1928-1999)のハガキです。
【ベルナール・ビュッフェについて】
1928年パリ生まれ。多忙の工場経営者の父のもとに生まれ、父親との関係は希薄であった。心の支えであった母を10代で亡くし、ひとりキャンバスに向かうことが多かった。1943年、パリ国立高等芸術学校に入学。1948年、パリで最も権威のある新人賞・批評家賞を受賞。この頃から天才画家として有名であった。硬質で鋭く太い針金のような輪郭線、モノトーンに近い色彩を特色とする独自の様式を築き、その画面には人物の不安げな表情などとあいまって第二次大戦後の作者の不安で荒涼とした心象風景が表されている。女性像のモデルは多くの場合、妻のアナベルである。油彩画のみならず、優れた版画も多く制作している。1971年、レジオン・ドヌール勲章を受章。1974年、アカデミー・フランセーズ会員となる。最愛の妻アナベラと生涯を添い遂げる間も彼の孤独が癒えることはなかった。晩年にはパーキンソン病を患い、71歳で自らの命を絶った。
肉屋の少年 1949
《化粧する女》1947
《パンと皿の静物》1949