堅ちゃんの記事に改めて泣けてきちゃって
素晴らしい…堅ちゃん✨✨
苦労人・平井堅が語る、ヒット曲が出てからの挫折そして屈辱
スポーツ報知 6月17日 15時9分|Yahoo!ニュース
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本紙インタビューに応える平井堅
シンガー・ソングライター平井堅(44)の40枚目のシングル「魔法って言っていいかな?」が22日に発売される。デジタルカメラのCM曲で、女優の綾瀬はるか(31)と“共演”しているが、全くのサプライズ出演だったという。来月6日には5年ぶりになるオリジナルアルバム「THE STILL LIFE」を発売。男性ソロ歌手として歴代最多のミリオンアルバム4作の記録を持つ一方、デビュー後には数年の下積みを経験した。苦労人・平井の曲作りやエネルギーの源を聞いた。
平井は「魔法って言っていいかな?」が使用されているCMに出演している。極秘で進められ、「花束持って現場に行ったら、いつのまにか出演していた」というサプライズだったが、本人は納得していない部分もあるようだ。
「現場訪問した場面がウェブで使われるかも、という程度の認識で、まさか地上波のCMになるとは…。カメラがはるかちゃんからパンして僕のアップに―。そこで目線も合ってない中途半端な写真が登場するワケで、聞かされていなかったから素材も全然ない。分かっていたらもっと決め顔を作っていました」
来月には5年ぶりとなるアルバムが発売される。「魔法って―」や「Plus One」「桔梗が丘」「ソレデモシタイ」など既存の楽曲に加え、3作の新録が収められている。
「簡単にCDも出せない時代なので、タイミングを探っていたら5年たってしまった。制作中は20周年ツアーで忙しかったけど、元々『この日まで』と締め切りを言われてケツを叩かれないとダメなタイプ。暇でダラっとしているより、忙しい時の方が神経も研ぎ澄まされていい部分もあります」
曲作りには“平井式”が存在する。精神的には常に逃げ道を用意しプレッシャーを回避しながら、テーマと物語を構築することで作品を仕上げていくという。
「逃げ道として自分を純粋シンガー・ソングライターとカテゴライズせず、常に書けなかったら人に任せようと考えています。ただ書き出すとこれが意外と早い方で、まずはテーマを設けて物語を書いていく。つづっている時点で言葉には半ばメロがついていて、それに刃向かうような執着もないから言葉や歌詞の持っているエネルギーにあらがわずにメロを添える感じです。根幹となる詞とコード進行とメロというのは、テーマと物語ができた時点でほぼ7割方は完成していますが、物語を構築するまでは時間がかかります。そこがぼんやりしたままだと曲もぼやけますから」
テーマが具体的で細かいほど強い曲になるそうだ。日常のモノを取り上げることが多いのは、登場人物の関係や情景の浮かびやすさにあるという。
「友達が抱えている問題や恋愛をそのまんま歌詞や歌にします。(新録の)『それでいいな』という曲は家の近所に踏切があって、そこを夕方歩いている時の風景がぱっと広がり、主人公と相手の関係と、感情と歴史と景色を浮かべて書いた作品です。日常のふとした情景からワーッと妄想が広がる。『魔法って―』もそうでしたが、1枚切り取った写真や絵が脳内の青写真を通って2人のストーリーが流れ出すという感じです」
歌手への憧れはTBS系「ザ・ベストテン」で植え付けられた。中でも松田聖子とサザンオールスターズの桑田佳祐は特別な存在だったという。
「小1の時に『あのきらびやかな世界に行きたい。ミラーの回転扉から出て黒柳(徹子)さんと久米(宏)さんに挟まれたい』と思ったのが夢の始まりです。聖子さんと桑田さんは初めて見た時からとりこになりました。あの声が魅力というか魔力で、ものすごい引力に引き込まれ無意識に狂わされていました。でも部屋には中森明菜のポスター貼ってましたが…(笑い)」
高校ではサザンのコピーバンドを潰しては組んでの繰り返し。「歌手で身を立てたい」と周囲に公言する勇気もなかったが、大学進学で状況が一変する。
「横浜に行って大学デビューです。自分を知らない人ばかりでスーッと過去を捨てられました。友人や先生、バイト先でも『歌手になりたい』と初めて本音を口にし、部屋の壁には『歌手になる』と貼り出しました。オーディション受けたり歌のバイトしたりの日々で、この時期に桑田さんのストーカーに近いことをしていました。ご自宅の門柱に(バックコーラスで採用してもらおうと)自分のデモテープを置いたりしていました。今ならちょっとまずいですよね」
在学中にオーディションに合格し歌手への切符を手にしたが、スタッフのひと言に動揺したそうだ。
「いきなり『曲を書いて』です。作家さんの曲でデビューすると思っていたし、曲作りがそうやすやすとできるとは思っていなかった。でも契約時は21歳で、今から作詞作曲のレッスン積んだら25歳ぐらいになってデビューもできない恐れもあったから、言われるままに書きました。やってみたら楽しさも感じて、それからデビューまではトントン拍子にいきました」
―両親は反対しなかった。
「芸能界はよしなさいとなるかなと思っていたら、『あれ、通訳にならへんの』って。『通訳なんて一度もゆってへんよな』という感じ。母親は僕が中高では英語ができたと思っていて勝手に妄想していたらしい。まぁ超放任主義でした」
95年に「Precious Junk」でデビューするが、ヒットに恵まれず約5年の低迷期に。だが「楽園」がヒットした2000年以降の方が苦しかったという。
「売れない時期はキャリアも背負うモノもないから、苦しかったけど気が楽なところもあった。なぜ成功しないのかを考える、意味ある年月で、逆にヒット曲が出て認知されてからの方が、挫折や屈辱を感じることが多かった。セールスがちょっと落ちたりすると僕はみみっちい性格だから、その都度、悩むし自分を否定しちゃう。ずっとこの繰り返しでした」
―けっこう悩むタイプ。
「セールスとか目に見えることより、心の中に澱(おり)のように残っちゃうモノの方がこたえます。例えば、あるプロデューサーから『自分のクリエイティビティー(創造性)に沿わない』と言われて、それを超えたいけど、うまく超えられなかったら一生残るんです。そういった意味では、できなかった屈辱が歌手エネルギーになっている気がします。仕事やパフォーマンスで自分に合格点を出せるかどうかが重要で、どんな大きい会場でやったとか、物理的なことは関係ないです。自分に期待できなくなったらやめますが、まだ期待しているので頑張ります(笑い)」
自分の弱さを隠さず、納得しないことは背負い込んでいく。その繊細さを紡ぐことで“平井堅”を作ってきたのだろう。いつか彼の書いた小説を読みたい。(国分 敦)
◆平井 堅(ひらい・けん)1972年1月17日、大阪府生まれ、三重・名張市育ち。44歳。横浜市立大卒。大学在学中にソニーレコードのオーディションに合格し93年に同社と契約。95年「Precious Junk」で歌手デビュー。2000年「楽園」でブレイクし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。その後「Ring」「瞳をとじて」などヒットを連発。ベスト盤を含めたアルバムで、ミリオンセラー4作は、男性ソロ歌手では歴代最多。今年は地元の三重で開催された伊勢志摩サミットのイメージ曲も担当した。身長183センチ。血液型A。
素晴らしい…堅ちゃん✨✨
苦労人・平井堅が語る、ヒット曲が出てからの挫折そして屈辱
スポーツ報知 6月17日 15時9分|Yahoo!ニュース
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本紙インタビューに応える平井堅
シンガー・ソングライター平井堅(44)の40枚目のシングル「魔法って言っていいかな?」が22日に発売される。デジタルカメラのCM曲で、女優の綾瀬はるか(31)と“共演”しているが、全くのサプライズ出演だったという。来月6日には5年ぶりになるオリジナルアルバム「THE STILL LIFE」を発売。男性ソロ歌手として歴代最多のミリオンアルバム4作の記録を持つ一方、デビュー後には数年の下積みを経験した。苦労人・平井の曲作りやエネルギーの源を聞いた。
平井は「魔法って言っていいかな?」が使用されているCMに出演している。極秘で進められ、「花束持って現場に行ったら、いつのまにか出演していた」というサプライズだったが、本人は納得していない部分もあるようだ。
「現場訪問した場面がウェブで使われるかも、という程度の認識で、まさか地上波のCMになるとは…。カメラがはるかちゃんからパンして僕のアップに―。そこで目線も合ってない中途半端な写真が登場するワケで、聞かされていなかったから素材も全然ない。分かっていたらもっと決め顔を作っていました」
来月には5年ぶりとなるアルバムが発売される。「魔法って―」や「Plus One」「桔梗が丘」「ソレデモシタイ」など既存の楽曲に加え、3作の新録が収められている。
「簡単にCDも出せない時代なので、タイミングを探っていたら5年たってしまった。制作中は20周年ツアーで忙しかったけど、元々『この日まで』と締め切りを言われてケツを叩かれないとダメなタイプ。暇でダラっとしているより、忙しい時の方が神経も研ぎ澄まされていい部分もあります」
曲作りには“平井式”が存在する。精神的には常に逃げ道を用意しプレッシャーを回避しながら、テーマと物語を構築することで作品を仕上げていくという。
「逃げ道として自分を純粋シンガー・ソングライターとカテゴライズせず、常に書けなかったら人に任せようと考えています。ただ書き出すとこれが意外と早い方で、まずはテーマを設けて物語を書いていく。つづっている時点で言葉には半ばメロがついていて、それに刃向かうような執着もないから言葉や歌詞の持っているエネルギーにあらがわずにメロを添える感じです。根幹となる詞とコード進行とメロというのは、テーマと物語ができた時点でほぼ7割方は完成していますが、物語を構築するまでは時間がかかります。そこがぼんやりしたままだと曲もぼやけますから」
テーマが具体的で細かいほど強い曲になるそうだ。日常のモノを取り上げることが多いのは、登場人物の関係や情景の浮かびやすさにあるという。
「友達が抱えている問題や恋愛をそのまんま歌詞や歌にします。(新録の)『それでいいな』という曲は家の近所に踏切があって、そこを夕方歩いている時の風景がぱっと広がり、主人公と相手の関係と、感情と歴史と景色を浮かべて書いた作品です。日常のふとした情景からワーッと妄想が広がる。『魔法って―』もそうでしたが、1枚切り取った写真や絵が脳内の青写真を通って2人のストーリーが流れ出すという感じです」
歌手への憧れはTBS系「ザ・ベストテン」で植え付けられた。中でも松田聖子とサザンオールスターズの桑田佳祐は特別な存在だったという。
「小1の時に『あのきらびやかな世界に行きたい。ミラーの回転扉から出て黒柳(徹子)さんと久米(宏)さんに挟まれたい』と思ったのが夢の始まりです。聖子さんと桑田さんは初めて見た時からとりこになりました。あの声が魅力というか魔力で、ものすごい引力に引き込まれ無意識に狂わされていました。でも部屋には中森明菜のポスター貼ってましたが…(笑い)」
高校ではサザンのコピーバンドを潰しては組んでの繰り返し。「歌手で身を立てたい」と周囲に公言する勇気もなかったが、大学進学で状況が一変する。
「横浜に行って大学デビューです。自分を知らない人ばかりでスーッと過去を捨てられました。友人や先生、バイト先でも『歌手になりたい』と初めて本音を口にし、部屋の壁には『歌手になる』と貼り出しました。オーディション受けたり歌のバイトしたりの日々で、この時期に桑田さんのストーカーに近いことをしていました。ご自宅の門柱に(バックコーラスで採用してもらおうと)自分のデモテープを置いたりしていました。今ならちょっとまずいですよね」
在学中にオーディションに合格し歌手への切符を手にしたが、スタッフのひと言に動揺したそうだ。
「いきなり『曲を書いて』です。作家さんの曲でデビューすると思っていたし、曲作りがそうやすやすとできるとは思っていなかった。でも契約時は21歳で、今から作詞作曲のレッスン積んだら25歳ぐらいになってデビューもできない恐れもあったから、言われるままに書きました。やってみたら楽しさも感じて、それからデビューまではトントン拍子にいきました」
―両親は反対しなかった。
「芸能界はよしなさいとなるかなと思っていたら、『あれ、通訳にならへんの』って。『通訳なんて一度もゆってへんよな』という感じ。母親は僕が中高では英語ができたと思っていて勝手に妄想していたらしい。まぁ超放任主義でした」
95年に「Precious Junk」でデビューするが、ヒットに恵まれず約5年の低迷期に。だが「楽園」がヒットした2000年以降の方が苦しかったという。
「売れない時期はキャリアも背負うモノもないから、苦しかったけど気が楽なところもあった。なぜ成功しないのかを考える、意味ある年月で、逆にヒット曲が出て認知されてからの方が、挫折や屈辱を感じることが多かった。セールスがちょっと落ちたりすると僕はみみっちい性格だから、その都度、悩むし自分を否定しちゃう。ずっとこの繰り返しでした」
―けっこう悩むタイプ。
「セールスとか目に見えることより、心の中に澱(おり)のように残っちゃうモノの方がこたえます。例えば、あるプロデューサーから『自分のクリエイティビティー(創造性)に沿わない』と言われて、それを超えたいけど、うまく超えられなかったら一生残るんです。そういった意味では、できなかった屈辱が歌手エネルギーになっている気がします。仕事やパフォーマンスで自分に合格点を出せるかどうかが重要で、どんな大きい会場でやったとか、物理的なことは関係ないです。自分に期待できなくなったらやめますが、まだ期待しているので頑張ります(笑い)」
自分の弱さを隠さず、納得しないことは背負い込んでいく。その繊細さを紡ぐことで“平井堅”を作ってきたのだろう。いつか彼の書いた小説を読みたい。(国分 敦)
◆平井 堅(ひらい・けん)1972年1月17日、大阪府生まれ、三重・名張市育ち。44歳。横浜市立大卒。大学在学中にソニーレコードのオーディションに合格し93年に同社と契約。95年「Precious Junk」で歌手デビュー。2000年「楽園」でブレイクし、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。その後「Ring」「瞳をとじて」などヒットを連発。ベスト盤を含めたアルバムで、ミリオンセラー4作は、男性ソロ歌手では歴代最多。今年は地元の三重で開催された伊勢志摩サミットのイメージ曲も担当した。身長183センチ。血液型A。