http://www.sanspo.com/geino/news/110417/gnj1104170504007-n1.htm
TBSの日曜ドラマ『仁』の主題歌を堅ちゃんが歌うとようやくはっきりわかりましたね^^
今回は番線で出演者さんが出ていても 主題歌については全然語られず
噂だけがちらほらと耳にはしていたけど
これは凄い事ですよね!!!!
堅ちゃんが あの壮大なスケールのドラマの主題歌を歌うなんて
考えただけでも 今日の夜が待ち遠しくてわくわくしてきます♪
『仁』のHPでは まだ歌は聞けないけど
そのうち聴けるのでしょうし、今後も楽しみなことが出来て
ちょっと元気になりました♪
私の大切なお店「倉平」が5月15日で店を閉めると先日知り、ショックがまだ続いています。
この閉店のお知らせの張り紙もさり気なくて切ないです
「倉平」は西区野方にある、お好み焼き&ラーメン屋さんです。
大将のおじちゃんは私の父の 昔の仕事仲間。
東京で仕事をする父のもとに上京してきてバンドデビューを目指しながら
建築業の仕事をしていたナイスなマスターです。
見た目はロックをしていた風には見えないけど
御年の割には とても若くお腹も出てないしかっこいいマスターです。
ここ数年、マスターと奥さん(2人で店を切り盛りしている)は病気がちで
入院したり体調を崩し お店をお休みすることも多かったのですが
ボチボチと復帰しては店を続けてきていました。
何年か前にはお孫さんも産まれて いつも忙しくしているお二人の姿を見てると
あんまり無理はしてほしくないな~。。。とか思っていました。
昔「倉平」が出来たときは この近所は周りは田んぼだけで
な~~~にもない場所だったけど
今では西区でもなかなかのラーメン激戦区になっているのに
HPもない、昔ながらの「倉平」はコミュとかもある人気店なのです。
お客さんがとても多くて 常連さんや口コミで来る人(←そして常連になる)で
お店は11時半からだけど11時20分には駐車場は満杯です。
優しいおじちゃんはオープン前でも店の中に入れてくれます。
沢山 漫画があるのでみんな続きを読んで開店を待つってな感じの
居心地の良いお店。『倉平』
それがなくなっちゃう。
おじちゃんは一人で常に鉄板に向かい、お好む焼きや焼きそばを焼き
奥さんは「ちゃんぽん」の注文が入ると 大きな鍋を振りながら野菜をいためて
ちゃんぽんを作ります。
その間に他のオーダーが出来上がったらおじちゃん自らが席まで運んだりします。
常連はカウンターまで取りに行くけど、うっかり漫画に夢中になってるとおじちゃんが来ます。
「倉平」には他には従業員はいませんので 味を継承する人が居ません。
あの味が食べれなくなる・・・・・。考えただけで涙が出ます。
開店してからずっと、通い続けてきた私には本当に何とも言えない悲しい気持ちが押し寄せてます。
親子2代にわたり通い続ける素敵なお店。
長男航○は言いました。
「後、ちょっとしたら僕も家族を連れていつも来ようと夢見てたのに・・・」と。
思えば、子供らが腹にいた時から通い、産まれたら籠に入れて連れて行き。。。
思い出したらきりがありません。
店を閉めると知った翌日、緊急連絡を実家にして急きょじーちゃん・ばーちゃん・弟と
航○と帆○とで「倉平」に行きました。
マスターは体がもうきついから・・・とジーちゃんに言っていました。
そうだよね。
今までももう無理だったのに、私らお客の為に続けてきてくれたんだよね。
これは 感謝の気持ちで気持ち良くフィナーレを迎えていただかないと。
お店は無くなっても一生忘れませんから
次に行ったときには、ちょっこし、レシピを教えてもらおうかな~~~とか思ったりしてるけど
声をかけないおすぎなのでした。
この閉店のお知らせの張り紙もさり気なくて切ないです
「倉平」は西区野方にある、お好み焼き&ラーメン屋さんです。
大将のおじちゃんは私の父の 昔の仕事仲間。
東京で仕事をする父のもとに上京してきてバンドデビューを目指しながら
建築業の仕事をしていたナイスなマスターです。
見た目はロックをしていた風には見えないけど
御年の割には とても若くお腹も出てないしかっこいいマスターです。
ここ数年、マスターと奥さん(2人で店を切り盛りしている)は病気がちで
入院したり体調を崩し お店をお休みすることも多かったのですが
ボチボチと復帰しては店を続けてきていました。
何年か前にはお孫さんも産まれて いつも忙しくしているお二人の姿を見てると
あんまり無理はしてほしくないな~。。。とか思っていました。
昔「倉平」が出来たときは この近所は周りは田んぼだけで
な~~~にもない場所だったけど
今では西区でもなかなかのラーメン激戦区になっているのに
HPもない、昔ながらの「倉平」はコミュとかもある人気店なのです。
お客さんがとても多くて 常連さんや口コミで来る人(←そして常連になる)で
お店は11時半からだけど11時20分には駐車場は満杯です。
優しいおじちゃんはオープン前でも店の中に入れてくれます。
沢山 漫画があるのでみんな続きを読んで開店を待つってな感じの
居心地の良いお店。『倉平』
それがなくなっちゃう。
おじちゃんは一人で常に鉄板に向かい、お好む焼きや焼きそばを焼き
奥さんは「ちゃんぽん」の注文が入ると 大きな鍋を振りながら野菜をいためて
ちゃんぽんを作ります。
その間に他のオーダーが出来上がったらおじちゃん自らが席まで運んだりします。
常連はカウンターまで取りに行くけど、うっかり漫画に夢中になってるとおじちゃんが来ます。
「倉平」には他には従業員はいませんので 味を継承する人が居ません。
あの味が食べれなくなる・・・・・。考えただけで涙が出ます。
開店してからずっと、通い続けてきた私には本当に何とも言えない悲しい気持ちが押し寄せてます。
親子2代にわたり通い続ける素敵なお店。
長男航○は言いました。
「後、ちょっとしたら僕も家族を連れていつも来ようと夢見てたのに・・・」と。
思えば、子供らが腹にいた時から通い、産まれたら籠に入れて連れて行き。。。
思い出したらきりがありません。
店を閉めると知った翌日、緊急連絡を実家にして急きょじーちゃん・ばーちゃん・弟と
航○と帆○とで「倉平」に行きました。
マスターは体がもうきついから・・・とジーちゃんに言っていました。
そうだよね。
今までももう無理だったのに、私らお客の為に続けてきてくれたんだよね。
これは 感謝の気持ちで気持ち良くフィナーレを迎えていただかないと。
お店は無くなっても一生忘れませんから
次に行ったときには、ちょっこし、レシピを教えてもらおうかな~~~とか思ったりしてるけど
声をかけないおすぎなのでした。
我が家は 5人家族ですが 実際家で暮らしているのは
高2の帆○と中3の海○と私の3人です。
就活中の20歳になる長男航○は中学を出てすぐに学校の寮に入ったので
家に戻るのは月に1回か2回?あとは閉寮になる学期ごとの休みだけです。
旦那とは別居生活になって既に11年と半年が過ぎました。
どうでしょう・・・。
月に3~4回は来ますが(彼は週休2日制です)お泊りは殆どありませんので
昼前に来てご飯を旦那に奢らせて夕方には何処かへ戻るパターンが多いです。
もう慣れました。
逆に5人揃うと 持病持ちのおすぎはヘトヘトになります。
程よく 距離がある今の生活リズムがちょうどよいです。
昔は沢山 色々な不満がありました。
でも 今は 長男にも長男の生活リズムがあるようだし
旦那にも旦那の生活がある。
別々に暮らしていても それぞれが元気ならそれだけで幸せなことだと思うから大丈夫。
そんな事をいつも以上に感じる最近ですが
今回の災害で最も日本を不安にさせている原発の問題は
少なくとも我が家では 対岸の火事ではないのです。
旦那は原子力発電所に勤めてますから事故の事も受け止め方が違いますし。
どうして電力を東北に分けてあげるとか、そんな事は出来ないのか?とか
素人考えで旦那を捕まえては訴えたりしたりしていた私。
西日本の方の電力会社は冷たいな・・・とか我ながら感じていた今日この頃。
そんな時 旦那が来て言いました。
「5月末から福島に行くから」と。
原発のヘルプです。
既にその為の出向はこちらの会社でも始まってるそうで
旦那の順番が5月末だというのです。
行くには家族の同意が要るそうです。
これが何を意味するか、今なら大抵のかたもわかると思います。
自分に何が出来るのか、とこの一ヶ月
ずっと考えていました。あまりにも災害の爪痕 余波が大きすぎて
福岡にいて それが辛い後ろめたい気すらしていました。
旦那が福島で何をするかまでは言えないけど
我が家は幸い子供もいるし
今後 新たな子を儲ける事も出来ませんので
前途ある若い社員が行くより、うちの旦那はヘルプには調度良い年齢とキャリアで
お役に立てるなら 喜んで同意するから
私の分まで出来ることを精一杯やって来て欲しいと心から思うのです。
高2の帆○と中3の海○と私の3人です。
就活中の20歳になる長男航○は中学を出てすぐに学校の寮に入ったので
家に戻るのは月に1回か2回?あとは閉寮になる学期ごとの休みだけです。
旦那とは別居生活になって既に11年と半年が過ぎました。
どうでしょう・・・。
月に3~4回は来ますが(彼は週休2日制です)お泊りは殆どありませんので
昼前に来てご飯を旦那に奢らせて夕方には何処かへ戻るパターンが多いです。
もう慣れました。
逆に5人揃うと 持病持ちのおすぎはヘトヘトになります。
程よく 距離がある今の生活リズムがちょうどよいです。
昔は沢山 色々な不満がありました。
でも 今は 長男にも長男の生活リズムがあるようだし
旦那にも旦那の生活がある。
別々に暮らしていても それぞれが元気ならそれだけで幸せなことだと思うから大丈夫。
そんな事をいつも以上に感じる最近ですが
今回の災害で最も日本を不安にさせている原発の問題は
少なくとも我が家では 対岸の火事ではないのです。
旦那は原子力発電所に勤めてますから事故の事も受け止め方が違いますし。
どうして電力を東北に分けてあげるとか、そんな事は出来ないのか?とか
素人考えで旦那を捕まえては訴えたりしたりしていた私。
西日本の方の電力会社は冷たいな・・・とか我ながら感じていた今日この頃。
そんな時 旦那が来て言いました。
「5月末から福島に行くから」と。
原発のヘルプです。
既にその為の出向はこちらの会社でも始まってるそうで
旦那の順番が5月末だというのです。
行くには家族の同意が要るそうです。
これが何を意味するか、今なら大抵のかたもわかると思います。
自分に何が出来るのか、とこの一ヶ月
ずっと考えていました。あまりにも災害の爪痕 余波が大きすぎて
福岡にいて それが辛い後ろめたい気すらしていました。
旦那が福島で何をするかまでは言えないけど
我が家は幸い子供もいるし
今後 新たな子を儲ける事も出来ませんので
前途ある若い社員が行くより、うちの旦那はヘルプには調度良い年齢とキャリアで
お役に立てるなら 喜んで同意するから
私の分まで出来ることを精一杯やって来て欲しいと心から思うのです。
家の玄関先の小さな花壇に植えたお花たちが 花を咲かせ始めました。
まだまだ小さくてあまり目立たないけど 多年草で手入れが簡単なお花を植えてみました。
他にも色々と植えてみたけど 今度は育ちそうな予感がしています。
育てて行こうと思います。
家の近所の公園の桜が今まさに満開を迎えました。
今年は開花宣言から満開まで2週間近くかかりました。
その分 入学式では満開の桜の中で迎えた運の良い「遅れ」だったのかもしれません。
リビングの窓から見える裏の池にも野生の?桜が咲いて湖畔に写っています。
家から桜が見える幸せ・・・・。
外に出るとすぐに桜が咲いている公園でワンコの散歩ができる幸せ・・・。
我が家振り向けば山が見えて桜が見れて池の四季折々の木々が見える。
お花見に行くこともないけれど
これこそが最高の贅沢な幸せだと心から思うのです。