高校の頃から僕には家が二つあった。
もちろん、家族が二つあったとかいうわけではない。そんな特別な事情はない。
今日、国際交流の初日で、いろいろと打ち合わせをしていて思いだした。
僕が高校生になると同時に僕は湯郷の家から畑沖の家に引っ越した。
親が畑沖に土地を買って家を建てたからだ。
普通ならそのあとは畑沖の家から学校に通って、また畑沖の家に帰ればいいのだけど、我が家はそうはいかない。
朝は畑沖で起き、畑沖から出発する。帰りは湯郷に寄って晩御飯を食べてからまた畑沖に帰る。帰る時間も8時とか9時とか意外と遅い。
弟は最初の年はまだ小6だったから朝自転車で畑沖を出発し、湯郷からは湯郷の子供たちと一緒に歩いて通学、帰りはご飯を食べてからまた自転車で帰る。
そう、家は湯郷で商売してたからお店でみんなで晩御飯を食べていたんです。
あと、おじいちゃんとおばあちゃんが、湯郷の家から新築の家に移りたがらなかったので、二人と一緒に居る時間も大切で。
3世代大家族でずっと一緒だったから一日一回は会ってないとなんか心配だったなあ。
お姉ちゃんは、その時にはもう大学生だったから家にいなかったしね。
そういう意味で言えば、弟ほど我が家を知っている奴はいないかもしれない。
おばあちゃんが亡くなったときにもまだ家にいたしね。
ま、というわけであっちやこっちに移動することはそんなに大変じゃない。
僕と弟が湯郷と畑沖をうろうろしてた頃はあのゆうらぎ橋が本通りだったから大型トラックに何度も自転車のハンドルこすられそうになったよ。あの橋は自転車にとってけっこう恐怖だった。
明日から国際交流のボランティアが自転車でまた湯郷、畑沖間をうろうろします。僕も家族もうろうろします。
寝る場所はバラバラでも一緒にご飯を食べるだけで心は近づけるよ(*^。^*)
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