だんだんと盛り上がってきましたね。平清盛
保元の乱から時代が動き出すんでしょうね。
今回、面白かったのは上皇方の藤原頼長と天皇方の信西(マルモ)の孫子の兵法に対する解釈の仕方が、態勢に大きく影響したことかな。
あのごつい戦慣れした源氏武者と義朝が二人とも別陣営で「夜討ち」を提案した際、軍師の二人(頼長と信西)ともが孫子に曰く「孫子に曰く、夜呼ぶものは恐るるなり」と「孫子に曰く、理に合えばすなわち動き、理に合わざればすなわち止まる」と言う言葉を持ち出し、同じことを言うのかと思ったら、頼長は「夜討ちは卑怯なりっ、夜討ちなんぞと下劣な策を用いれば、上皇様は世を治める器にあらずと世に示すも同然」と否定。一方の信西は「夜通し論じ続けるは、臆病者のすること。ぼんやりと待つことを、孫子はよしとしない。ならば動くがよい、今すぐっ!」と夜討ちにゴーサインを出した。
論語にもいろいろ解釈の違いはあるよね。やっぱり学問と実践、その人のセンスが勝敗を分けることになるね。
「学びて時に之を習う」でなけりゃならないね。