随思録

日々思うことを記す。

ジャイアンツ愛の「愛」は、愛国心の「愛」

2006-04-06 20:01:12 | Weblog

ジャイアンツの原辰徳監督がNumberのインタビューで、誤解の多い「ジャイアンツ愛」について詳細な説明をしていた。

「若い選手に、ジャイアンツ愛なんてわかるのかという人もいます。でも、難しいことを言ってるわけではないんでね。ぼくが若い選手に言うのは、チームがあって自分があるんだということ。自分がやりたいことをやりたいだけやる。そういう考えなら、ほかのチームに行っていただいて結構だ。ジャイアンツにいる以上、チームがあって、自分があるという考えに立ってもらう。多少窮屈と思えるような規制やルールも、ジャイアンツだからこそと考えれば受け入れられると思う。逆にそれが理不尽と感じられるようなら、チームにいる必要はない」

 「ジャイアンツのユニフォームを着ていることの誇り、先輩たちが作り上げてきた伝統への感謝。オレはそれを感じてプレーしたし、先輩もそうだった。だから、キミたちもそのことを感じてくれと。そのあたりは、最初に話したことですね」(Number650号 別冊付録より)

さすが原監督、いいこと言ってる。
これは「愛社精神」などのときに用いられる「愛」だろう。
そして感じたのは「ジャイアンツ」=「日本」、「チーム」=「国」と言葉を換えれば、そのまま「愛国心」についての説明になるということだった。
いささか単純化している上、こんなことの引き合いに出されるのは原監督には不本意かもしれないが、これほど簡潔な説明もないだろう。

世界は広大で、無法である。そこで生きていくためには、頼りになる仲間や組織が必要だ。現時点では、もっとも大きい「チーム」が「国」である。
愛国心とは一体なんのなのか。学習指導要領にも盛り込まれ、一部迷走する議論もあるようだが、根はこの感覚ではないだろうか。