今日は、聞いていた天気予報に反して、朝から青空が見えていた。
で、出かけたのは、今住んでいるところから、車で30分ほど離れた、今は空き家の実家。
道路際にサクランボの木が生えていて、そろそろ実がついている頃です。
行ってみたら、木の下の歩道にサクランボのタネがいっぱい落ちていて、
見上げると、木にぶら下がっている実は、どれも虫食い状態で、大きく美味しく育ったものは見当たらなかった。
最後なのに、結局食べる事が出来なかったな・・・。
そう・・・、今年、この木を伐採するのです。
道路際で生い茂る葉が、通行を邪魔するし、冬、枝に積もった雪が落ちて車や人に当たったら大変です。
道路に向かって少し斜めに生えている木。いつ倒れるか?と心配もあります。
上手に管理したら、まだまだ美味しい実を付けるサクランボの木。
勿体ないけど仕方ない。
そうやって、私は、実家の草木をどんどん殺して行くのです。
仕事と実家の片付け、そして両親の世話。
それが私の人生。
残された人生で、自分に与えられた務めを果たしながら、ただ、生きて行く。
ここに戻って来たのは、自分で選んだ事。
生活のためには、ここに戻る以外無かったし、私が戻った事で、両親も頼りにするものが出来て助かったはず。
それでも、心の隅に、空しさの塊りが存在していた。
何のために生きているのか?
私はどうして、産まれて来たのか?
せっかくの人生を、ただ、無駄に生きて来た自分が悔しい。
今も、そんな思いは抱き続けている。
でも、心の救いがあるから、なんとか踏ん張れる。
それは、写真だ。
去年の秋から夢中で撮り始めた写真。
ちっとも上手に撮れないけれど、それでもシャッターを押す度に、私の心は解放される。
一度は逃げ出した故郷。
周りを見たら、有難い程の風景が広がり、レンズを向ければ北の大地を写真に収める事が出来た。
車で走れば、ふとした瞬間に、写真に収めたい風景に出会う事が出来た。
けれど・・・。
写真を撮って、何になるのか?
私は何を撮りたいの?何を撮ろうとしているの?
最近は、何処で何を撮ろうかと考えても、全然思いつかないし、星を撮りたいと思う以外、
他に撮りたい風景が心に浮かんでこない。
せっかく一眼レフを手に入れたというのに、私の写真生活などそんなものか・・・、と晴れぬ心のままに実家を後にした。
今日行ったのは「21世紀の森」というところ。
もうすぐ着く、というところで、出会いがあった。
やせ細ったキタキツネ。
車からレンズを向けると、何故か逃げない。
ジッと見つめる瞳が悲しげに見えるのは、私の心が写っているからだろうか?
大雪山に雲がかかっているのは分かっていたけど、中鶴根山の展望台まで登る事にした。
麓の森林学習館で聞くと、約40分の登山だという。
行けそうか?と登り始めて、すぐに息が上がった。
普段運動をしていないつけがここにきた。
途中、あまりに辛くて、自分を励ますために呟いていた。
私の人生は、私が主役。
今、主人公の中年女は、自分の思いを振り払うために、山に登っている。
汗と一緒に、醜い心を流そうとしている。
辛くても、自分が選んだ事!
汗まみれで髪を振り乱し、やっと着いた展望台から見た大雪山は、やはり雲に隠れていた。
それでも、麓の里を見下ろす風景は、霞んでいるけど絶景だ。
丸太を置いた階段がある、遊歩道のような軽い登山。
それでも、熊が出るからと入山許可を得るための署名をしました。
こうやって、少し車を走らせ、野山を駆け回るだけで、たくさんの写真が撮れるのです。
何を思い悩む事があるのでしょう?
私の周りには、まだまだ、撮りたくなる風景が溢れている。
何を撮ろうと考える余地も無く、風景が私に向かって押し寄せて来る!
そう、時間が足りないほどに・・・。
そう、残りの人生では、撮りきれないほどに、溢れる風景!
やはり私は、人生のほとんどを無駄にして来たようだ。
あの遠い山のさらに向こう側に、憧れの場所もある。
いつか辿り着きたい、見てみたい風景も待っている。
必ず、いつか、必ず・・・行ってみせる!