「・・・やはりこのままでは終われないだろう。
記録より、今度こそみんなで完走の美酒を味わいたいものだ。」
昨年の北海道マラソンの完走記。
なんだかんだと1年が経ち、気づいてみれば今年の北海道マラソンまであと3日となった。昨年の完走記には「みんなで・・・」と書いて結んでいる。
そう、今年は昨年とは比較にならないくらい仲間ができたのだ。その仲間と一緒に、そして支えられ今年は良い練習ができたと感謝している。なによりも美酒を味わう仲間が増えたことは心強いかぎりである。
「走った距離は裏切らない」
野口選手がアテネの時に言った言葉である。私はこの言葉が結構好きだ。
最近、この「走った距離・・・」というのが独り歩きすることを危惧する声が気になったので書いてみたい。私は全く問題ないと思う。その真意を伝えないで「長く走ることがトレーニングのすべてだ」などと間違った内容を公に言うことは危惧するにこしたことではないが・・・実際、野口選手が走った距離は半端ではない。私達では想像もできないような距離をトレーニングで積んで金メダルを取った。「私はこれだけ走った。やることはすべてやった。」ということだ。そうでなければこんな言葉は出てこないと思う。本当に今回の北京は残念だった。
では、この言葉を聞いたり、見たりして、これからマラソンを走ろうとする人が、「マラソンを走るには、野口さんみたいにたくさん走らなくちゃいけないの」、なんて何人の人が思うだろうか。またたとえ勘違いして解釈した人が、「マラソンを走るには練習で走った距離がすべてなんだ」という意味のことを言ったとして、マラソンを走ることをやめる人が何人いるだろうか。
マラソンを走ってみようと真剣に思った時点でその人はいろんな方法で、いろんな人から情報を入手するだろう。トレーニング方法、食事、・・・・・そしてトレーニングをして、マラソンを走ってみて実感するはずである。その意味も含めて「走った距離は裏切らない」と。
6時間で走る人、5時間で走る人、サブフォー・・・それぞれの目標にあった距離が必要なのである。なんの準備もしないでフルマラソンに挑戦する人がいる。もちろん無謀であるが、中にはあっけなく走ってしまう人もいるだろう。しかしほとんどの人はこの言葉には無縁の人たちだ。
そして、この言葉をトレーニング論に置き換えて危惧することもまた無理がある。
フルマラソンに取り組んでいる人が「走った距離がすべて」と誤解し、ただひたすら長距離をこなすことを繰り返す人が何人いるだろうか。たとえ「走った距離がすべて」と言えるくらい走り込んでいた人がいるとしよう。そして「走ったのになかなかタイムが縮まらない」と悩んでいるとしよう。そのレベルの人はこの言葉うんぬんとは別の次元のところでの悩みではないだろうか。
「そんな距離を走らなくても速いタイムで走っている人はいる」という人もいるだろう。効率的なトレーニングをすれば長い距離をひたすらこなさなくてもいいいのだと。
心配しなくてもそのような人はごくまれであり、その分の負荷を体にかけているのである。そして悲しいかな身体能力は平等ではないのだ。
多くの市民ランナーが少ない時間の中で一生懸命トレーニングをしている。方法も様々であろう。そういうふうに取り組んでいる人達ならなおさらこの言葉の意味がわかるはずである。それを補うために工夫するのだから・・・
私はこの言葉が気に入ってるからこういう言い方になった。走らない人、これから走ろうと思うっている人に意見を聞いてみたい。
8月31日のスタートラインが近付いてきた。3時間40分がベストタイムの私の目標は、まずは昨年の36キロより先にいくこと。そして完走することだ。野口選手みたいに言えるほど一心不乱にトレーニングをしてきたわけではない。しかしこのことを日常生活の優先順位の上位にして取り組んできたことは確かである。
「苦しかったけど、楽しかった~」
と言える結果を残せたら最高だ。
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