「いっそのことここでやめてしまおう。走りきることさえできないかもしれない」
こんな考えが頭をよぎったのは初めてでした。
「今ここで歩けば楽なる。やっぱり無謀だった。」
ハーフを過ぎてからはこの言葉との戦いでした。エールを送ってくれた仲間にはなんとでも言い訳すればいい。
するともう一人の自分が言います。
「後悔しないのか。まだ走れるじゃないか。」と。
どこかが故障したわけでもない。確かに苦しいけれどそんなのは覚悟の上でスタートしたんだと。
そんな状態で25km通過。
25km通過タイム : 1時間41分38秒。 (5kmラップ : 21分30秒)
2時間50分は無謀だったけれどまだサブスリーが十分達成できるタイムでした。
すでに脚の重さは相当なもので、呼吸も乱れていました。
ストライドが伸びない中で、ピッチ走法を意識してリズム良く。
そう言い聞かせながら脚を前へ、前へ、前へ。
27kmぐらいで持っていたVESPAを補給。水の駅が見えてきました。
やっと30kmまで来れたぁ。正直な感想でした。そしてなんとか帰れるかもしれないとも。
帰らなければいけないと。
30km通過タイム : 2時間3分55秒。 (5kmラップ : 22分17秒)
タイムを見た瞬間昨年の釧路湿原を思い出しました。2時間4分。
こんなに苦しいのにあの時のタイムを上回っていると。まだいける。頑張れる。
まだサブスリーのチャンスがわずかでも残っている。
諦めたくない。
もう湖の反対側には温泉街が見えています。頭の中にはホームコースのエルフィンが浮かんできました。
あと北広島から家まで帰るだけだと。すぐ着くんだと。
しかし、疲労した脚に今度は痙攣の兆候が襲ってきました。それも両足に。
数歩ごとにピキッっときます。
ピッチは上げたくてもあげられません。攣ったら止まらなければ治らないからです。
こんなところで・・・・・いやだ、いやだ、いやだ。待ってくれぇ。
もう祈る思いでした。
すると見慣れた赤いランシャツが軽い足取りで追い抜いていきました。
todayさんです。
やっぱりきた。ちゃんとペースをつくってきたんだなとわかりました。追い越したあとも振り返っています。
サブスリーを余裕で達成できる足取りです。
「いけっ」と手で合図を送りました。達成して欲しいと。
私の脚の症状は容赦なく悪化していきます。そして35km地点。
35km通過タイム : 2時間27分3秒。 (5kmラップ : 23分7秒)
意識もうすれていきそうななかで前方にペンギンの姿が。
おんたまさんです。
こんなところまで・・・・・ いつもなら「あほだなぁ」と楽しみながら声援に応えるのですが、
今日は違いました。
がんばれの一言が力に変わったのです。
この5kmのラップさえ保てればのこり2.195kmは10分あれば十分だと。一秒でもいいせめてサブスリーと。
どこで八雲さんに追いついたのかは分かりませんでした。35kmの前後だったと思います。
すでにスタート直後のスピードは残っていないつらそうな姿でした。それでも前を見ています。
「全力を尽くす。諦めない」
日頃そう言っている八雲さんの言葉が浮かびました。
その瞬間気合を入れるために自分でも何を言ったかはっきり覚えていませんが声を出しました。
37kmくらいでしょうか。もう気力だけで走っていました。前方を見ると大会ではいつも見かけるランナーさんが伴奏らしき人にひっぱられてやはり最後の力を振り絞ってがんばっていました。
近づいていくと聞いたことのある声。以前ニッセンスポーツでお世話になった八重樫さんでした。
サブスリーレベルのランナーの伴奏をするなんてすごい。
それも常時声をかけています。
がんばれ。もう少し。俺の後ろにつけ。後少しで国道にでる。いちにっ、いちにっ・・・・・
これだっと思い便乗することにしました。私ももう気力だけですから。
なりふり構わず利用できるものはすべて利用してやる。
八重樫さんも私の名前までは覚えてないでしょうが、顔は気づいていたと思います。
ついに国道が見えてきました。40km地点。
40km通過タイム : 2時間51分4秒。 (5kmラップ : 24分00秒)
まだ4分台です。
脚が残ってさえいれば本当に1秒でもという時間でした。
その時です。
両足を痛烈な痛みが襲いました。両足が悲鳴を上げたのです。
ここまで来てぇ。やだやだやだやだ・・・・・
しかし、止まらなければ走り続けることはできません。完全に攣ってしまう前に立ったまま脹脛をストレッチ。
もう時計は見れませんでした。ただ最後まで諦めないと。
先に行った八重樫さんに追いつきます。そして前へ。
しかし残り1kmを切る手間の上りがまた脚を襲います。またストップ。
ここまで来ると八重樫さんもだまっていられなかったのでしょう。
「止まるなっ。がんばれっ」と言ってくれました。
動いてくれっ。あとたった1km。
動いたっ。まだ走れる。
前方にアミノの帽子をかぶったnikoとマキちゃんたちが大声で声援を送ってくれています。
なんとか応援に応え坂を上りきりました。
あとは下りだけ。
国道から湖畔のコースへ入ったところであと1km。
時計をみると無常にもサブスリー達成まで4分を切っていました。
しかしあきらめちゃいけない。最後まで。
なぜかスピードアップできたのです。・・・・そう感じただけかもしれません。
ゴールまで300mくらいのところから電光掲示板の時計が3時間を回るのが見えました。
それでも最後まで。
アミノのO山さんがいました。「すいませんっ」といって通りすぎました。
ゆもいさんも声をかけてくれました。「やっぱりすげーな」あのまま押し切ったのかぁ。
そしてゴール。
最後の2.195km ラップは10分24秒。
やはり2度のストップが影響してます。
ゴールタイム : 3時間1分28秒
自己ベストは6分近く更新できましたが目標の2時間50分はやはり遠かったです。
無謀な挑戦でした。
しかし後悔はしてません。あの25km付近からよく立ち直りました。
やめなくてよかった。
先にゴールしたtodayさん、つらい状態で、それでも3時間5分でちゃんと帰ってきてくれた八雲さん、他の皆さんの健闘を心から祝福できました。
やめていたらたぶんできなかったでしょう。
・・・・・・・ゴール後はしばらく座ることさえ出来ないほど脚は最悪。全身はしびれ、胃は雑巾を絞っているかのようにきりきり。
洞爺湖マラソン2010は終わりました。
無謀で最悪な内容だったけれど、マラソンを始めてから初めて明確な目標タイムを掲げ、無謀だったけれど挑戦した大会として思い出に残るものとなりました。
これを糧に次は北海道マラソンへ向けて一からスタートです。
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こんな考えが頭をよぎったのは初めてでした。
「今ここで歩けば楽なる。やっぱり無謀だった。」
ハーフを過ぎてからはこの言葉との戦いでした。エールを送ってくれた仲間にはなんとでも言い訳すればいい。
するともう一人の自分が言います。
「後悔しないのか。まだ走れるじゃないか。」と。
どこかが故障したわけでもない。確かに苦しいけれどそんなのは覚悟の上でスタートしたんだと。
そんな状態で25km通過。
25km通過タイム : 1時間41分38秒。 (5kmラップ : 21分30秒)
2時間50分は無謀だったけれどまだサブスリーが十分達成できるタイムでした。
すでに脚の重さは相当なもので、呼吸も乱れていました。
ストライドが伸びない中で、ピッチ走法を意識してリズム良く。
そう言い聞かせながら脚を前へ、前へ、前へ。
27kmぐらいで持っていたVESPAを補給。水の駅が見えてきました。
やっと30kmまで来れたぁ。正直な感想でした。そしてなんとか帰れるかもしれないとも。
帰らなければいけないと。
30km通過タイム : 2時間3分55秒。 (5kmラップ : 22分17秒)
タイムを見た瞬間昨年の釧路湿原を思い出しました。2時間4分。
こんなに苦しいのにあの時のタイムを上回っていると。まだいける。頑張れる。
まだサブスリーのチャンスがわずかでも残っている。
諦めたくない。
もう湖の反対側には温泉街が見えています。頭の中にはホームコースのエルフィンが浮かんできました。
あと北広島から家まで帰るだけだと。すぐ着くんだと。
しかし、疲労した脚に今度は痙攣の兆候が襲ってきました。それも両足に。
数歩ごとにピキッっときます。
ピッチは上げたくてもあげられません。攣ったら止まらなければ治らないからです。
こんなところで・・・・・いやだ、いやだ、いやだ。待ってくれぇ。
もう祈る思いでした。
すると見慣れた赤いランシャツが軽い足取りで追い抜いていきました。
todayさんです。
やっぱりきた。ちゃんとペースをつくってきたんだなとわかりました。追い越したあとも振り返っています。
サブスリーを余裕で達成できる足取りです。
「いけっ」と手で合図を送りました。達成して欲しいと。
私の脚の症状は容赦なく悪化していきます。そして35km地点。
35km通過タイム : 2時間27分3秒。 (5kmラップ : 23分7秒)
意識もうすれていきそうななかで前方にペンギンの姿が。
おんたまさんです。
こんなところまで・・・・・ いつもなら「あほだなぁ」と楽しみながら声援に応えるのですが、
今日は違いました。
がんばれの一言が力に変わったのです。
この5kmのラップさえ保てればのこり2.195kmは10分あれば十分だと。一秒でもいいせめてサブスリーと。
どこで八雲さんに追いついたのかは分かりませんでした。35kmの前後だったと思います。
すでにスタート直後のスピードは残っていないつらそうな姿でした。それでも前を見ています。
「全力を尽くす。諦めない」
日頃そう言っている八雲さんの言葉が浮かびました。
その瞬間気合を入れるために自分でも何を言ったかはっきり覚えていませんが声を出しました。
37kmくらいでしょうか。もう気力だけで走っていました。前方を見ると大会ではいつも見かけるランナーさんが伴奏らしき人にひっぱられてやはり最後の力を振り絞ってがんばっていました。
近づいていくと聞いたことのある声。以前ニッセンスポーツでお世話になった八重樫さんでした。
サブスリーレベルのランナーの伴奏をするなんてすごい。
それも常時声をかけています。
がんばれ。もう少し。俺の後ろにつけ。後少しで国道にでる。いちにっ、いちにっ・・・・・
これだっと思い便乗することにしました。私ももう気力だけですから。
なりふり構わず利用できるものはすべて利用してやる。
八重樫さんも私の名前までは覚えてないでしょうが、顔は気づいていたと思います。
ついに国道が見えてきました。40km地点。
40km通過タイム : 2時間51分4秒。 (5kmラップ : 24分00秒)
まだ4分台です。
脚が残ってさえいれば本当に1秒でもという時間でした。
その時です。
両足を痛烈な痛みが襲いました。両足が悲鳴を上げたのです。
ここまで来てぇ。やだやだやだやだ・・・・・
しかし、止まらなければ走り続けることはできません。完全に攣ってしまう前に立ったまま脹脛をストレッチ。
もう時計は見れませんでした。ただ最後まで諦めないと。
先に行った八重樫さんに追いつきます。そして前へ。
しかし残り1kmを切る手間の上りがまた脚を襲います。またストップ。
ここまで来ると八重樫さんもだまっていられなかったのでしょう。
「止まるなっ。がんばれっ」と言ってくれました。
動いてくれっ。あとたった1km。
動いたっ。まだ走れる。
前方にアミノの帽子をかぶったnikoとマキちゃんたちが大声で声援を送ってくれています。
なんとか応援に応え坂を上りきりました。
あとは下りだけ。
国道から湖畔のコースへ入ったところであと1km。
時計をみると無常にもサブスリー達成まで4分を切っていました。
しかしあきらめちゃいけない。最後まで。
なぜかスピードアップできたのです。・・・・そう感じただけかもしれません。
ゴールまで300mくらいのところから電光掲示板の時計が3時間を回るのが見えました。
それでも最後まで。
アミノのO山さんがいました。「すいませんっ」といって通りすぎました。
ゆもいさんも声をかけてくれました。「やっぱりすげーな」あのまま押し切ったのかぁ。
そしてゴール。
最後の2.195km ラップは10分24秒。
やはり2度のストップが影響してます。
ゴールタイム : 3時間1分28秒
自己ベストは6分近く更新できましたが目標の2時間50分はやはり遠かったです。
無謀な挑戦でした。
しかし後悔はしてません。あの25km付近からよく立ち直りました。
やめなくてよかった。
先にゴールしたtodayさん、つらい状態で、それでも3時間5分でちゃんと帰ってきてくれた八雲さん、他の皆さんの健闘を心から祝福できました。
やめていたらたぶんできなかったでしょう。
・・・・・・・ゴール後はしばらく座ることさえ出来ないほど脚は最悪。全身はしびれ、胃は雑巾を絞っているかのようにきりきり。
洞爺湖マラソン2010は終わりました。
無謀で最悪な内容だったけれど、マラソンを始めてから初めて明確な目標タイムを掲げ、無謀だったけれど挑戦した大会として思い出に残るものとなりました。
これを糧に次は北海道マラソンへ向けて一からスタートです。
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そしてあなたでもこのようなボロボロの状態になる事を初めて知りました。
超人と言えども、人間なんですね。
フルマラソンなんていつもこんな感じですよ。
けんかわさんも早く脚突っ込んでみて下さい。
私は記憶力が悪くてだいたいしか思い出せないんです。
これだけ距離ごとの状態を記録できると
自分のデータとしてとても有効ですね。
それはさておき,チャレンジすることの素晴らしさを
思い出させてもらいました。
フルマラソンは奥深いですね。
だから面白くてみんな取りつかれると思います。
次々と挑戦して自分も周りも燃やして
下さい。楽しみにしてまーす。
まぁ北海道や洞爺湖はもうコースが頭にはいってますから。
失敗レースでしたが、ただ単に力不足だったというだけで終わってしまってはいけないと思っています。
理由(いいわけ(^^♪)を考えるものまた面白いです。