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旅日記

中国 楊州観光 (痩西湖 大明寺 東関街) 

中国観光 楊州(2017年5月)

江蘇省楊州市の痩西湖観光に行きました。

南通市の観光会社のツワーに参加です。

揚州市の建設の歴史は紀元前486年までさかのぼることができます。

2015年は建城2500年目に当たります。

楊州は隋や唐の時代には、京杭大運河(けいこうだいうんが)(中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500 キロメートルに及ぶ運河)により栄えています。

また李白や白居易をはじめとした唐時代の有名な詩人たちが揚州を訪ねています。

南通市と楊州市の間は約180Kmの距離で車で約2時間半です。

南通市のバスターミナルに朝6時集合し出発しました。

バスは一般道路を一時間くらい走って高速道路に入り、痩西湖には9時前に到着しました。

<下図の赤枠で囲っている場所  上:「大明寺」 中:「痩西湖公園の一部」 下:「東関街」>

 

・痩西湖

痩西湖は幅100m、長さ4Km余りの細長い湖です。隋の煬帝が、杭州の西湖を模して造った人口の湖で、細長いその形状から痩西湖と呼ばれるようになりました。痩西湖公園内は自由行動です。

<白塔 北京にある北海公園内の白塔を模して建てられたものです>

<五亭橋 五亭橋は痩西湖のシンボルです。五亭橋は清の乾隆帝の南巡にあわせ建てられたものです> 

<遊覧船に乗って湖上散策をしています>

<鳧荘(ふそう) 痩西湖の水上に建てられた建物で宴会の場所として使われていました>

 

・大明寺

大明寺は痩西湖の北側にある由緒ある寺で、日本へ仏法や戒律を伝えた高僧鑑真がこの寺の住職だったことで知られている寺院です。大明寺は痩西湖に続く蜀岡と呼ばれる丘陵に建っていています。

鑑真は日本へ戒律を伝えるため渡日を試みますが、そのたびに失敗します。

両眼を失明してしまいますが、754年に6度目の試みで日本へ辿り着きました。唐招提寺創建に関わるなど日本の仏教界への功績は大きいです。

<大明寺 への参道を歩いています>

<鑑真記念堂>

 

<栖霊塔〉かつて隋代に建てられた9階建ての塔で、李白や白居易なども登ったことがあるといいます。

しかし唐の武宗の時代(843年)に燃えてなくなりました。

その後何百年にも渡り再建されなかったが、1966年に再建されました。

現存する九層の栖霊塔は高さ70mあり、中には日本から送られた国宝も含め、沢山の仏像が祭られているそうです。

<鐘楼と鼓楼>

栖霊塔の傍に、唐代の建築様式が顕著に見られる鐘楼と鼓楼が2000年に建てられました。

全体の建築構造は唐招提寺の鼓楼の構造が参考とされたそうです。

<馬に乗ったマルコポーロの像 宋の時代に訪れているそうです>

 

・東関街

東関街は清代の揚州を再現した全長の約1.1Kmの通りで、観光地として最近整備された地域です。

観光客向けのお土産店が並ぶ商店街です。

揚州は、清時代の末期に内戦などで当時の街並みを殆ど失ってしまいましたが、ここ東関街に街並みと城壁・城門(東門)を再現したものです。

<東門の通路の下に「唐五大城門北壁基礎」「北宋城門道路」の遺跡をガラス越しに見ることができます>

今日は楊州市の観光地3か所を巡りました。

午前中の痩西湖公園はとても暑く疲れました。

木陰や軒下で休んでいる観光客の人も多かったです。

帰路の観光バスは一般道路を優先して走っていたため、南通まで3時間以上かかりました。

 

<中国観光 楊州 完>

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