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旅日記

故郷の風景(39) 柿本人麻呂所縁の地−5(増補)

昨年、石見地方に色々所在する柿本人麻呂所縁の地を訪れましたが、この時に行けなかった地を今年訪れました。

その一つは益田市戸田町にある戸田柿本神社です。昨年益田を訪れたときはこの神社を見落としていました。

もう一つは、邑智郡美郷町にある、斎藤茂吉鴨山記念館です。昨年この記念館を訪れた時には、休館日だったので、中に入れませんでしたので、再度訪れました。

 

 

1.戸田柿本神社

戸田柿本神社は代々綾部家が宮司を務めています。『戸田柿本神社旧記』や『綾部氏家系』によると、 次のような話が伝承されています。

「綾部氏其先、出ずる所詳ならず。 初め大和に住 し、柿本氏に仕へ、氏の石見に下らるるに際し、 陪従して美濃郡小野に住し、世々語家と称し、柿本 氏に仕う。 柿本某、語家の女を嬖幸して、一男を挙げられ、其児、幼にして父を喪へるを以って、語家これを養育したりき。これ柿本朝臣人麻呂なり。」

綾部氏というのは「漢部」ともいわれ、渡来系の一族ともいわれています。語家というのは、 可太良比ともいわれ、古代における語部の一種とさ れます。語部とは、ことばに精通し、天語(神話) を職とし、それとともに、鎮魂も主とした部族のよ うで、巫女をもって代々世襲されたのかもしれません。

伝承は続きます。 「人麻呂おひおひ成人なし給に従ひ、学芸の道おろかなく、御名中国に高く聞こはしましぬ。その頃嘉多良比の許へ七十ばかりの老翁日毎に来り、人麻呂に書を授け、また互に歌をよみ詩を作り、或は弓馬の術を教へ、日傾けば 何処ともなく帰り去りける。」

大陸から多くの文化人が渡来するこの古代において、日本を背負う教養をもつ青年として、人麻呂さ んはこの小野の地で成長していったようです。

右の伝承以外に、「我は父母もなし、知所もなし。 ただ和歌の道のみ知れり」と言って、柿の木の下に童形の姿で出現したという伝承も、ここには残っています。

綾部家の一角に、人麻呂さんの遺髪塚があります。 人麻呂さんの死後、綾部家の人がその遺髪をもち帰り埋葬したというのです。

享保十年(一七二五) 綾部家改築の時、敷地の一部を掘った時に、先祖からの伝えの通り、古い骨壷が出土し、開き見た際に、神殿鳴り動き、御神体落有したので、人麻呂さんの 御廟所にまちがいないと確認したと伝えられていま す。

<戸田柿本神社>

神社の麓に駐車場があります。

この後、近くにある「人麿遺髪塚」に行ったら、戸田柿本神社の前宮司の綾部正さんにお会いし、色々説明をしていただきました。

綾部家は代々続く宮司の家系で約1400年前から続いており、綾部正さんが第49代目で現在の第50代の宮司さんは綾部正さんのご子息とのことでした。

綾部さんのご自宅は「人麿遺髪塚」の隣です。

 

綾部さんのご厚意により、もう一度戸田柿本神社に戻って宝物蔵の中も見せて頂き、写真撮影もさせていただきました。

柿本人麻呂はこの綾部家の女性から生まれたという言い伝えがあるとのことです。

<人麿遺髪塚>

 

 

2.斎藤茂吉鴨山記念館

開館日は、水・日・祝日で営業時間はAM9時~PM16時30分です。

記念館には、鴨山関係の資料や斎藤茂吉の遺品、著書、写真などが展示されていました。

また、斎藤茂吉の鴨山調査の足跡が掲示されています。これによると斎藤茂吉は昭和5年11月から昭和23年10月にかけて、7回島根県を訪れ実施調査をしています。

この調査の結果昭和12年1月に、ここ湯抱の地に「鴨山」を発見し、これが柿本人麻呂終焉の地の「鴨山」であると考証し学会に発表したとのことです。

記念館から約800m先に鴨山公園があり、ここから鴨山が展望出来ると「鴨山歌碑めぐりMAP」に書かれていましたが、館の方は「今は杉の木が生い茂っているので、良く見えない」と言われました。

とりあえず、公園に行ってみましたが、どれが「鴨山」なのかは良くわかりませんでした。

 

<斎藤茂吉の7回の調査の足跡>

鴨山と思われる方向を撮したもの

 

<完>

 故郷の風景 目次 

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