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旅日記

大将軍八神社、北野天満宮、二条城

北野八幡宮の梅を見に行きました。

山陰線の円町駅から徒歩でいきました。途中で大将軍八神社にも立ち寄り、帰りは二条城を見学して帰りました。

 

大将軍八神社

大将軍八神社には北野天神宮に行く途中に立ち寄りました。

大将軍八神社という名前に興味を持ち行って見ました。

神社の前の立て看板には次のように記載されています。 「大将軍八神社は平安建都の際に都城の方除守護神として大内裏の北西角(天門)の地に造営されたのが始まりとされ、当初は大将軍堂と称したが、江戸時代初期になって大将軍社と改められ、更に大将軍八神社となって現在に至っている。 大将軍とは陰陽道にいう星神天大将軍で、方位をつかさどる神である。 ・・・・・・」

北野天満宮

太陽の日差しが暖かい日でした。 山陰線の円町駅から歩いて行きました。

紅白の梅が満開でした。

北野天満宮は、菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約1万2000社の天満宮、天神社の総本社です。
天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「北野の天神さん」、「北野さん」と呼ばれています。

<菅原道真について>

学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、異例の出世を重ねられた道真公は、昌泰2年(899)右大臣の要職に任命され、左大臣藤原時平と並んで国家の政務を統括されます。ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰4年(901)大宰権帥に左遷され、そのわずか2年後、大宰府の配所にて波乱の生涯を閉じられました。

菅原道真は京都の自宅に梅植えて愛でていました。 大宰府に左遷されたとき、京にある梅を思い出し和歌を詠っています。 「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」 後世、「春な忘れそ」とも書かれるようになっています。

天満宮は北野天満宮、大宰府天満宮が総本社とされています。

 

二条城

世界遺産二条城は1603年(慶長8年)徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城したものです。

徳川家康は1600年の関ケ原の戦いに勝った後、1603年に征夷大将軍になり、江戸に幕府を開きました。 中国の万里の長城や西安の城壁などは殆どレンガ造りですが、日本の城壁は石垣で作られています。

なぜ数十倍以上も手間暇のかかる石垣にしたのか不思議です。

二の丸御殿内は撮影禁止ですが、素晴らしい障壁画を見ることが出来ます。

本丸御殿は修復中でした。2023年迄修理工事は続くようです。

二条城ー1(2021-2-25)

二条城ー2(2021-2-25)

二条城ー3(2021-2-25)

二条城ー4(2021-2-25)

二条城ー5(2021-2-25)

 

<完>

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