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旅日記

西九州観光 4日目−2 (平戸市の協会)

 

平戸市とキリスト教

キリスト教布教の歴史は1550年にザビエルが「平戸」を訪れた時から始まります。「平戸」は、潜伏・継承期にあたるキリシタン関連遺産や資料館があり、また、日本と異国文化がミックスした独特の町並みなど異国情緒あふれる島です。

平戸藩25代当主松浦隆信(道可)は、1550年から始まったポルトガル貿易の見返りとして、キリスト教の布教を認めます。当時家老だった籠手田一族と弟の一族はキリスト教に入信し、彼らの領土に住む人々はすべてキリスト教へ一斉改宗させられました。

やがて豊臣秀吉によりキリスト教が禁令されると、信者の弾圧が始まりました。 禁令は江戸時代も続きましたが、そうした厳しい時代でも多くの信者は「隠れキリシタン(潜伏キリシタン)」として信仰を守り抜きました。

 

平戸ザビエル記念協会

この教会は1931年(昭和6)ここ鏡川町に建設されました。

1971年(昭和46年)に1550年のザビエル平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになったが、近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めました。

訪れたときはコロナの影響で閉館していました。

 

カトリック宝亀協会

1898年(明治31)に現在の宝亀教会が、ここ宝亀町に建立されました。

宝亀教会は、建築学上多くの特徴をもつ聖堂で基礎は石造、外壁はレンガ造、屋根は単層切妻の瓦葺、窓形式は側面に尖頭アーチ四季の円型ハメ殺し窓、天井は身廊、側廊ともにコウモリ天井の板張りであります。

国道383号線を南下していくと、右側に「宝亀協会 500m」の看板がありました。

ここから細い坂道をクネクネ曲がって到着です。

協会の下に、駐車場があり20台位駐車できるようでした。

中に入って見ましたが誰も居られませんでした。

 

 

紐差カトリック協会

宝亀協会から更に5Km南下すると右側に「紐差カトリック協会」の看板が見えてきます。ここを右折してすぐに左折すると協会の駐車場に着きました。

ここもコロナの影響で閉館しており、中には入れませんでした。

周囲の庭で幼稚園児が遊んでいました。

 

田平天主堂

田平天主堂は九州本土の平戸市田平町にある協会です。

大正4年から3年の歳月をかけて、信者達の手によって建設されたロマネスク様式の荘厳な赤レンガづくりの教会です。

ここもコロナの影響で閉館しており、中には入れませんでした。

協会の横に墓地がありました。

 

<完>

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