真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

武の本質

2019年10月13日 | 書簡

秋も深まり、石鎚のもみじが懐かしいころとなりました。

大兄にはご健勝のことと存じます。

私儀、

今般、松山に移住することに相成りました。

それにしても、武の本義、本質を追求する道の途上で、不本意ではございますが、これも浮世の定めと諦観の成り行きでございます。

つきましては、かように思いますので、是非とも駄文につきまして御叱正賜れば幸甚です。

 

武の本質

原初闘争の具として発明改良された術は徳川期「人道の糧」と昇華した。

現在では先人の苦労により、人格形成の道となっている

 

そこには体格、男女、老若の区別なく、道を求める人々に「惜しみなく」すべて与える真剣道があって当然。

勝敗など、取るに足らぬこと、まして段の高下など「人間力」に比べたら何の意味がありましょう。

しかしながら、勝ってやろう、こちらが上だ、という邪心は人間にはつきものに違いありません。

 

今日も「愛がない」と、とある方から指摘があり、誠に恐れ入った次第です。

 

大兄の住まいする、松山に帰還するにはこの40年の大阪滞在は不首尾かもしれません。

しかしながら、私の出番は終了。

どうぞ、落魄し先祖墳墓の地にて余生を静かに終えたいというわがままをお許しいただきたい。

 

真剣道基道館は峠の上にとまった列車、あちらに行くか、後に戻るか。

 

半々ですね。

武の本質に肉薄するには、私には器量がなかったと思い知るこの頃です。

来春、松山城の桜の下で飲みたいものです。

 

追伸

同じカメラでも狙いが違うと絵も違うということを思い知りました。

 

 

右乱筆乱文ご海容のほど

 

令和元年10月13日 夕刻

                        無端 敬白

〇〇大兄 御侍史

 

 

 

 

 

 


人善なり

2019年07月29日 | 書簡

私は、丁稚時代に社長から、「お前はとことんお人好しだ、そんなことでは商売はできない」と言われました。

 

現ユニチカ 当時日興織物の子会社日興繊維 松山支店での出来事です

 

そこで次期社長を約束されながら、それを自ら反故にしました。

 

考えてもみてください、当時の売り上げで2億円 今日では20億円の会社社社長を棒に振ったのです。

 

当時男性4名、女子社員3名でこの売り上げを確保していました。

 

さあ、これをご覧の皆様、数々のご意見を拝聴したいものです。

 

私は余命いくばくもありません。

 

基道館が伝統を保持し、先師の名誉を保ち、社会にいささか貢献できる組織であるために!

 

 


未来に対する責任

2019年06月12日 | 書簡

前略、○○6段

ご質問に接し、貴殿の真摯な求道の熱意を感じ、うれしく、またありがたくお礼を申し上げます。

形而上の諸問題は、実に複雑で、立場により180°の転換をはらんでいますね。

A1

現在は資本主義が崩壊する前夜であることはもちろん疑念の余地はありません。

シナには13億人の人々がいて、さらに日本の人口に匹敵する1億人が戸籍を持たないまま生きています。

その首都ペキンでは公害のため50m先が見えないスモッグが発生し人々の健康を圧迫する事態となりました。

シナ人はもちろん他の諸国民と同じく「幸福」を追求する権利があり、そのために努力をしています。

しかしながら、14億の人々がよりよい暮らし、たとえば平均的日本人の生活をするとなると、世界の自然は崩壊し、海は今まで以上に汚染され、地球という環境自体が壊滅するというおそろしい予想:計算は、事実でしょう。

では、シナ人には道路で排泄をする生活を強いて、日本人はきれいなトイレで用を足す・・・のが正しいのでしょうか?

ここでは、シナという隣邦を例にとっていますが、サハラ以南の700万人は1日1ドルで飢えをしのいでいることを忘れてはいけません。

 

 

 

A2

業前に対する観点と包括的な視座とはかけ離れたモノであるという仮説

英信流が現代に浮上してはや70年が経過しようとしています。

なぜ、浮上したか?という視座からは次のような事柄を推論できるでしょう。

①GHQによる日本文化の圧殺から生き延びた最後のサムライたちが圧迫をバネに武士道精神を復興しようとした。

②荒廃した祖国再建のために「武道」が必要と思われる時代的要望があり、それに応えうる人材がいて、マッチした。

③強力な世界体系(アメリカ文化)ーパクスアメリカ-ナ思想はその時代を席巻していたけれど、それに対抗する気概が残っていた

 

A3

我々が知っておくべき事をカントは次のように説明していました。

何をなすべきか

何を知りうるか

何を望みうるか

 

私は足るを知る人でありたいと望みます。

たとえば、欲しい欲しい、惜しい惜しい という心根で武道に向かうとき

試合に勝ちたい、段が欲しい、負けたら口惜しい、そのために努力する=間違った文脈ではないでしょうか

 A1での伏線のように、幸福は誰しも求めていいのだが、他者の不幸と裏返しという面もあります

だからこそ、基道館では全員が「循環無端」の胸章を身につけ、キビシイ縦社会の中でも稽古が終われば円陣を組みお互いの稽古に尊敬の念を表するのを習いとしています。

あやふやな価値観が横行する時代ですが私のキーコンセプトは変わりません。

「自分に向かってやるのが居合で、人に見せるためではない! やがてその修業がいささかでも人様世間様の役に立つように心を向けなさい」

450年の居合の歴史に接し、資本主義の壊滅にシンクロする日本武道であってはならないという気持ちです。

その歴史の一コマとなり包括的な視座を提示するのは私たち基道館の責務であり、喜びではないでしょうか?

消費税が10%になるから、自分の年金がどう変わるかなどという些末な議論がわかりやすいのですが、100年先に日本人が絶滅する転換点に遭遇した居合者が身の回りでできうることをそれぞれのスタンスでやりきる事が重要です。

私は今まで知り得たことで十分です。まだ細かいことまでを知りたいでしょうか・・・・

深く耕せば味わいも変化するモノです。

そんな視座に在ることは多かれ少なかれそれぞれの社会観、その決定的な選択について自信を付与してくれました。

 

貴殿はこれからの「伸びしろ」がたくさんあります。

あれこれ目移りするでしょうね、それも仕方ないことですがこれだけは守ってください

 

「師伝を墨守する」それは遠い昔発信された信号があなたに届き、またその信号を未来に発信することと同じです。

 

推敲しないで乱文となりました。お詫びします。 匆匆

令和元年 6月12日    無端

 

 

 

 

 

 


謹啓 意賀美神社様

2019年05月31日 | 書簡

謹啓 

令和の御代も一月が過ぎようとする皐月の緑濃い心安らぐ日々でございます。

過ぐる昭和天皇陛下の御生誕記念日(昭和節)には、貴社の清らかな御境内において小館門弟うちそろい、唯神の奉納演武を挙行できましたことを衷心より感謝いたしております。

残日寡なき老骨にとりましてまことに欣快至福の限りでございます。

この行事にいたりますまで、当日の進行、配備など、細部にわたるお心配りを頂戴したと、もれ承っております。

無事に奉納を完遂できましたのも、大神のお導き、深き皇恩、宮司様ならびに貴社神職のかたがたの赤心の賜とかさねて御礼申し上げます。

 

独逸より来日しておりました武道家2名もフェイスブック上で次のように述べておりました。

G氏「いまの天皇陛下の退位の日に、すばらしい神社で居合を奉納する「栄誉」を与えられ感激している、日本はすばらしい」

 

門弟一同も異口同音に、意賀美神社様のご配慮の深さに、ありがたくも得がたき経験の機会に恵まれ賛嘆の言葉を述べていました。

 

基道館が永続し、来る年ごとに、御境内にて日本武道の精華の表現である「真剣道」を奉納できますならば、老骨が武道に捧げた半生も大いに報われることだと思っています。

愚考いたしますに、人の知るあたわずのなにごとか、それを「神」と呼び畏敬してまいりました扶桑の民はその偉大なるなにごとかに導かれ、いまに至っておりますが、基道館一門は、はからずも「真剣道」に修行する僥倖に恵まれ、またこのたびのような立派な御境内をお借りしての奉納演武、なんというすばらしい道筋に導かれたのかと天恵を感じております。

また来る年にご高配たまわり、門弟うちそろい、鋭気はつらつとした奉納演武を挙行できますことを胸に念じております。

 

水無月来りなば季節も変わります故宮司様ご自愛のほどを祈念いたしております。敬白

 

皇紀二千六百七十九年皐月晦日

 

                            無双直伝英信流 基道館 宗師範 

                            大城戸有限齋基輝  花押

上之郷村字布都

意賀美神社御宮司 ●●●● 様