真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

私の誤謬

2019年10月11日 | 基道館活動記録

200名を超える有段者を育ててきた。

しかし、どうしても私の指導で伸びない、または話が飲み込めない方もいた。

 

先日、藤平先生がTV出演されるということで、誠に久しぶりでTVを視聴したら、そのあとの出てこられた人が実に興味深いことをやっておられた。

 

早速実験。赤いところが安定しているところ。点線は安定する方向

 

 

世の中は <河>型と、<城>型が半々だという。

これは私の直門がわかりやすいように名前を変更した、河野型 大城戸型の略だ。

幸いなことに斎藤名人、村上範士ともに<城>だったので、すらすら飲み込めた。その型に不遜にも私の字を使うのはご海容いただきたい。

両先生とも型が違うのに真剣道居合を習得されるご努力はいかほどだったろう。

 

どの型が不都合というわけではない、体の折り目のようなものだと説明されていた。

 

このことを月影会で話したら、不拳庵助教が「私は居合には向いていないのでしょうか?」といった

私は「そんなことはありません、河野先生は明らかに貴殿と同じディレクトシステムです」

 

もしかしたら、助教は「基道館の居合」といいたかったのかもしれないが。ご心配なく基道館はこれからどんな型にも対応できる居合のカリキュラムシステムを作り上げます。

 

それを知らず、指導してきた私のトンチキ、不勉強、無知に恥じ入っている次第です、過ちを改むるにはばかることなかれ。です。

 

根本的に体の使い方が違う。

手指を折り曲げるにも、<河>は第二関節から始めるし、<城>は第三関節から始める。

階段を上るのも、椅子から立ち上がるのも全く違う方法をとる。

 

型にはめるのが古流であり、その型を自在に応用するのがブジュツではあるが、こんなところに落とし穴があるとは!

恐れ入った。

 

以降、各人の型を観察し、というか簡単に絵にかいたテストで判明する。指導を改善してゆくつもりだ。

しばらくは手探りになるだろう。

 

 

 

 

 


肥前春日流の元同志との会話

2019年10月05日 | 基道館活動記録

昔日、肥前春日流を再興した上滝師範と、和泉市鶴山台で、道場を起こした。

それは、基道館を辞して7年目ころの武者修行中の出来事だった。

 

古流、しかも秘術、また上滝師範は優れた術者であった。

 

入門希望者がくるくる!

その中に、私の最初の弟子となる、蘭水ちゃんとか(蘭水ちゃん、見てるか)今夜天王寺で飲んだ、仁さんとか、基道館を立ち上げることになった、訪問者とかいた・

 

訪問者は、まず、塾長兄弟。翌日無学庵(高校一年生) 

 

彼らは、自分だけのための修行をしていた私に「無双直伝英信流」の教えを乞うために訪れた。

 

仕方ない!私は自分のためにする修行をあきらめて、追随する(後から来る)人のために、ブドウ人生の舵を180度転換した。

 

現在の基道館という我々の船は、自らを運ぶためではなく、おぼれている(失礼、迷っている)他の人も乗れるだけ乗せよう。 大乗居合の出発だった。

 

その時、私は、先師の言葉(命令)を遂行しようと決心した。そういう時節が来るものだ。

 

日本ブドウの核心、居合を復興せよ!

決して、折れるな!

時勢に媚びるな!


その言葉は、遠い地点(450年前)から発信された信号にシンクロしたために受信したのだろうか。

まことに不思議な体験だ。

 

今夜は肥前春日で同じく修行した、Jさんと天王寺で飲んだ。

 

私の苦衷を「Jさん、愚痴を聞いてくれるか?」

 

彼はしばらく聞いた後で

 

J「先生、それは、それだけの人だったということに、落としたらどうでしょう」

 

まことに至言、そうですね。

 

修行を、自分の領域だけで満足する人、日本ブドウの復興に尽力する人。

立場が違えば、すべて正しい。どの人にもそれぞれの理屈、正義があるだろう。

 

それだけのことだ。

 

他者に、私以上にブドウにシンクロしてくれという願いは、過剰の願いだった。

いわば私の邪心だ。

 

自分の努力で巻き返す、私についてくる師範たちにも言いたい。

私は過剰な期待は捨てた。

 

以降、諸氏らの覚悟次第である。

 

切岸の祖国、愛の国ヤマト、武士道精神の復活を祈念する。

 

 

 


 

 

 

 

 

 


大日本居合道図譜の瑕疵、河野先生の瑕疵ではない。

2019年09月29日 | 基道館活動記録

図譜は戦前に発行された日本で最初の写真入り居合解説書で、その労苦というのは私には想像もできないことであったろう。

 

紙幅、写真数、言葉、どれだけ削除したことか。

 

今日それを手にする人は全国で300人、すでに廃刊となっているから実働200冊だろうか。

齋藤先生ご存命なら119歳、19歳下で入門したとして、私の居合年齢は100歳である 

先生最晩年の師範代として実年齢69歳、実によく体が動く!

もちろん、思ったように動かない自分の体を知ることは、修行の手始めです。

戦前に上梓された図譜には多くの誤植や、写真の撮り違いがある。

 

それには正誤表が手元にあり、私は先師齋藤正名人の口伝を保持しているから、それらが明快にわかる。

 

今夜は「大日本抜刀流」のマチガイについて、遠くフクシマの剣士とチャットをすることになっている。

写真も多数用意した。

 

時代的な背景を勘案せず、現代の価値観でものを考えるヘタレには教えてあげない!

 

 

 以下は、平井先生のお弟子さん、易水会の師範のブログであるが、いとこだから勝手に転載する


1. 居合道正史 ~隠された真実~         【English】

【1】序章 正統派と傍系派の確執の起源
 
 系譜捏造について
 居合人として、小生は長年、「正統正傳派(谷村派)」と「傍系派(下村派)」の生い立ちと確 執について、まるで喉の奥に欝陶しく留まる魚の小骨の如き不快感を伴う疑念とともに、これを放置するか摘出するかでずっと思い悩んできた。そして或る日、 土佐抜刀芸家・正傳九代宗家たる林六太夫守政とその一族を調べれば長年の謎が溶けるのではと思い経ったのである。
 なんと四人もの正傳宗家を排出した一族であるにも拘らず、正傳・傍系いずれの史観にも何等説明がされていないのだが、実は隠されていたために触れる事が 出来なかったということであった。唯一、九代宗家は大森六郎左衛門の剣術の弟子であったとの説明が残されるのみであった。
 小生は運よくたまたま正傳派に所属した訳だが、傍系派を取り入れた財団法人全日本剣道連盟は、出版社スキージャーナルを走狗とし、「月刊剣道」誌に何度 も傍系居合道に関する特集を組み、同時に傍系居合道の書籍を何冊も繰返し出版することで、捏造した傍系派系譜の正当性を主張し続けて来たのである。特集の 記事と書籍には正傳派宗家の系譜に傍系系譜を巧みに枝分かれさせ、割り込ませた捏造系譜を臆面もなく繰返し掲載し、長く世論に吹聴して来たのである。「嘘 も百回繰り返せば真実となる」ということである。
 この捏造主張の横暴は留まる所を知らず、故人と成った正傳派歴代宗家の宗家問題のみならずその業前にまで誹謗と中傷によって貶め始めた。
 『故人曰く』などと、盗人猛々しいにも程があるのだが、“理は我にある”の体を示したいのか大江十七代宗家、穂岐山十八代宗家、福井十九代宗家等の写真 を肖像権侵害よろしく掲載したうえで、宗家問題にも幾度となく異議を唱えていた。(「古流居合の本道・全解・無双直伝英信流(剣道日本)岩田憲一著」平成 14年・スキージャーナル社)
 この論法は加茂某の「居合道入門」(昭和43年)を引継いだものと見受けられ、また三谷某の『詳解居合・無双直伝英信流』(平成8年・スキージャーナル 社)傍系形の続編とも考えられる。この本の文末ページにある「皆伝書」は見所である。墨黒の素晴らしく見事な書体で、「大江正路子敬・直門人十八代目山本 晴介」と実に晴々と明快な嘘(宗家でないものが皆伝書?)を堂々と書き上げている。そして財団法人・全日本剣道連盟会長大島某が(推薦のことば)で、「切 れる居合」と絶賛している。
 “系譜”とは現在の戸籍謄本にもあたるもの、正確には「藩・中先祖系図牒」と言われるものである。このような系譜捏造行為は商法でいう誇大広告、刑法で いう偽計詐欺行為にも当たりうるものとも思われる。
 
 中山博道と神伝流
 傍系派がこの「中先祖系図牒」・「土佐の正傳系図牒」に勝手に入り込んだ根拠は、中山博道と傍系派の繋がりに行き着く。
中山博道は日本剣道界の重鎮であり、神道無念流剣術の根岸某の弟子であったが、竹刀剣法や剣術では食えな いところに追い込まれていた。根岸宗家から受け継いだ有信館道場は二回の放火に因り廃墟と成っていた。
 食喉の為に中 山博道が飛びついたのが、ドタンバッタンの半身居合・ハッタリ剣術である。『土佐神伝流秘書』を高い金で買い(取らされたか求めたか)、土佐出身の国会議 員細川先生から正統に買い取ったものであるかの様に装った。長く初伝技のみで“大森流”を名乗っていた中山博道は、正傳十八代穂岐山宗家の死後直ぐに流名 を変更、ここに“神伝流”を立ち上げる。中山博道曰く、英信流(中伝)と大森流(初伝)を合体したというものであり、土佐傍系業に竹刀感触を加味し、老体 用に変形した変種業を考案した。中山はおそらく老齢のため、正座の業と中伝立膝での鍛練がおぼつかなかったのであろう。今日では膝当サポータなどの良い 道具によってその苦痛が抑えられるため業の習得も早いが、戦前当時の居合の鍛錬は地獄の鍛練、難行苦行の連続であった。
余 談ながら小生などは二十一代平井宗家の有無を言わせぬ鍛練に辟易とし、水が溜まった膝を付くと電気の如く痛みが走り跳び上がったもの、入門当時「三月も持 たない」と覚悟した程である。膝タコができて耐えられる様になると、今度は奥伝立膝での膝頭と床の摩擦による火傷が待っていた。どんなに辛くても鍛練を休 めば膝タコは薄くなってしまう。奥伝立業の遠峯なる遥か頂の連山連峰の霞を見るが如し、剣道、柔道、禅の経験者やあらゆるスポーツの経験者でも太刀打ち出 来ないと思われる程至難の鍛練であった。二~三十代ならいざ知らず、四十代過ぎでは小生の経験した鍛練法には到底堪えられない。
膝の苦痛に耐え兼ねた中山剣士による、傍系派似非居合のさらに物真似である似非流派居合道「神 伝流抜刀術」が産声を上げた。昭和10年(1935)の事であった。大森流は突然に偽流神伝流へと豹変・変流し、正傳土佐居合の歴史と業の窃盗は完了した が、染み込んだ傍系居合いの悪癖は消す事が出来なかった。

はじめにロゴスありき

2019年09月25日 | 基道館活動記録

太古、混沌とした闇の中に何物かが芽生え、それは「命」として成立した。

聖書では「初めにロゴスあり」とされているのは有名だ。

 

その解釈は専門家に任せて、私はこう思う。

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昨日の月影会稽古のテーマは「氣」についてだった。

太古、何かが芽生え、その私たちの祖先である細胞は、ミトコンドリアと共生し「活力」を得た。

あるものは「動く」ことを目指し、あるものは「定着」を目指した。

どちらにしても、初めの「波動」言い換えれば「思い」があったに違いない。

その波動は残る。むしろリモデリングするための方向性を決めてきたのではなかろうか。

私はそれを「氣」と呼んでいる。

太古の単細胞は、リモデリングを繰り返し、やがてその思いの形に進んでいった。

形作られた姿は「思い」の具現化で、見たいから「目」となり、聞きたいから「耳」となり、指が精妙となり、頭脳は発達する。

ホモ・サピエンスとして成長してきた細胞たちは、共同幻想まで生み出した。

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共同幻想も多種多様だ、一番大きな共同幻想は金銭。ついで健康。

肉欲も、食欲も、あらゆる欲も幻想でしかないという説もあるくらいだ’笑

 

 

そこでどんな共同幻想を持つかが太古の単細胞の最終である「私」の現在進行形。

わたしにとっての初めのロゴスはおそらく「よきことをねがえ」であったのだろうか。

ブドウというカテゴリーにおいて「よきこと」とは何だろう、それは正しいリモデリングに相違ない。

ロゴスというギリシャ語は複雑な意味を持つという。理とも光とも理解できるらしい。

では、最初にあった理をリモデリングしてみようというのが私のブドウにおいてのテーマになった。

道場で、追及するのは「それ」である。

究極は業でも立ち居振る舞いでもない。もちろん審判技術を磨いた先生方にアピールして居合試合に勝ったりすることではない。

氣を感性とみた場合、はるかかなたから発信され、私に届いた信号がどうやって届いたのかを感得するために内省する必要を感じる。

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伝達は使命である

未来へ渡す「氣」「感性」「理」それらのよき波動を現実のわが身に備えること、

それらの手段が、私にとっては真剣道である。

もちろん楽しんでいいし、怠けてもいい。

心の底にある初めのロゴスを見失わない限り。

令和元年 九月二十五日 早朝 空明るく澄み美しい

無端有限齋 

 

 


誤解がないように  海外の発展

2019年09月24日 | 基道館活動記録

 

泉佐野市南部交流センターで行われている、居合道クラブ。

招聘師範 基道館浮雲会師範 高橋有城齋 7段  に出向いた。

 

稽古終わりを見届ける有城齋師範の後ろ姿。責任感満載!

 

月影師範の無学庵は3年に限って武者修行に出ている。他流、他ブドウに挑戦しているはずだ。

その留守を、無完庵准師範が守っている。

今夜も無完氏と相対した。

私「貴殿に何も言うことはありません、むしろ男前で背丈が高く、業前がかっこいい、今度基道館のポスターを作るときモデルをやってもらいたい」

無完氏大いに照れること、かれは純真な心を持った方です。

 

稽古中ライインが入ったらしい。

休憩をしていると、有城さんが来た。

「先生、ドイツから、連絡です、カナダで居合を教えるそうです」

「それはまた、拡散希望か?」

 

しかしながら、ドイツの源解さん(この5月来日し基道館に入門。厳しい入門請願に署名し、京都大会で6段になったドイツ ベルリン特殊警察小隊のリーダー)には基道館を名乗ることは許したが、指導は許していない。

 

さて、面妖な???

 

しばらくして、誤解が解けた。

 

ケント君(浮雲会不勇庵)が仲介だ。

 

ドイツの源解さんはこう言いたかった。

 

カナダのオタワに居合の仲間がいる、彼らに基道館の本物居合を伝えに行く。

 

 

そういうことならOK

 

有城さんも私もOKだ。

しかし、言葉の壁はむつかしいね。 ケント君ありがとう。