真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

尾行のまき方、剣士のたしなみ

2019年10月02日 | 転換点

ハムは、時に味方、時に敵方。

敵方のハムをけむに巻く方法論。

〇R班、〇R班も尾行には50人がかかわる。

〇対を監視しつつ、出かけるとなると、数駅先まで待機する班員がいる。

 

もちろん、赤外線、遠隔音声、盗聴なんでもする。

 

ところで、私が現役だったころの移動方法。

 

自分の携帯は持って行かない、位置を知らせるようなものだ、そのころのプリペイド携帯をとある部下に買わせていた。一度きりの発信ができる。

 

泉大津の本部を出る、当然急行のすべての停車駅には〇が待っている(笑)

天下茶屋ですべてがころりと変わる、阪堺電車、地下鉄。これで半数減らせる。

タクシーという手もある。JRの急行が止まらない駅、もしくは三国ヶ丘のような交差した駅。

 

もし、タクシーで泉大津に引き返すなら、追ってくるものは、10名ほどもない。

 

ところで、見落としがあるだろう。南海鉄道には、サザンがある。引き返せば岸和田まで手配できない。

 

そこで、用意の車を使う、もちろん友人名義で借りたレンタカーだ。

 

オモシロい仮説でしょう。 

 

ところで、私が携帯する鞄に着替えがある、ハム、普通の警察でも「靴」を見る、靴持参だ(笑)

 

むろん、ダイス(仮名)は常に味方だから、安心していた。

着替えは、大きなSC、商売柄、いろいろなSCに支店があったし、知り合いもあった(事務所でお茶すると人目につかない)

 

それでも尾行があったら、奥の手、四つ橋線と御堂筋線が交差する駅、4方向に向かえる。

 

居合者だから「景色になじまないものを見分ける」

 

こういうことは祖国の安寧に寄与するために行った。

 

 

 


中島町営汽船

2019年08月20日 | 転換点

中島町が松山市になった。

温泉郡という名前はどこかに行ったのだろう

 

皆さん〇温印のミカンは 温泉郡のトレードマークでした。

ご存じのとおり、温泉郡は松山市を取り囲むようにありました。旧道後も 温泉郡道後村です。

さみしいですね。

ところで、1980年ごろまで、中島町営汽船はフェリーの中の売店には「進和コーヒー」のうまい本物を売っていた。

 

 

これに乗って大浦に行ったものだ。別に高速船というのもあった。

中島には吉木に福島さんという初めてネーブルを育てたお方がいて、当時の私の会社日興繊維の顧客でした。

また、大浦には池田さんという顧客がいて、月に一度中島を訪問していました。

吉木から峠を超えて大浦に徒歩で向かう、後ろから農協の軽トラが来る、おにーちゃんどこ行くの?

大浦です、それじゃあ乗せてあげるけん、あしも行くところじゃ(古い松山では一人称 あし)

途中で、「ここ見るけん、座っとき」と農協の親切な人はミカン畑に入った、帰ってくるとミカンを手にしている

「あしは、味見をする役もあるけん、あんたも食べて意見を言うたらええ」

1970年代のお話です

 

その絶品のうまさは今では願うべきもない。

 

 

 

今日民間になった中島汽船に電話した。

 

 

現在フェリーの売店ではコーヒーは何を売ってますか?

バリスタです

 

そうか、中島 怒和から出て、一代で四国を制圧した進和コーヒーは、忘れられたか。

陸軍士官で生きて帰ったその人も忘れられたか。

当時の中島の人たちは、それを誇りに思いせっせと飲んだに違いない。

 忽那水軍のきずなは強かったのですが・・・・・

 

電話のねーちゃんは めんどう、という態度だった。

無理もない 中島の思いは民営化にはかなわない。

 

ポンポン船が懐かしいこの頃です。


そのとき遅すぎず

2019年08月14日 | 転換点

求める人は巡り合う。

 

一年前、安全な食べ物オルターをFBで紹介することがあった。

そのスレから、今日になって「オルターとは何ですか?」というコメントが入った。

 

昨日から面白い現象が起きている。 船井流によればこれも必然、

私流にいえば ご先祖様のお導き

 

おりしもお盆でご先祖様が帰ってきてくれる数日間だ。

 

もちろんの知識がなくては、そのチャンスは過ぎてゆく。

カメラを例にとろう

 

 

CANON 7という名機で、レンズはライカLマウント レンズが2本

往年の名機がジャンク箱ではあまりにかわいそうだろう、レスキューしました。

 

知っていて愛してくれる人に「物」は来る

波動がある生き物ならばなおさらでしょう。

 

ここに40年前の拵えも戻ってきた。先師が作ったものだ

 

天はちゃんと見ている。

お天道さまに恥ずかしくない人生を送ろう。

 

 

こんなのも来ています。本もカメラもお刀もみんな同じでしょう

 

 


100年ほど前、松山で

2019年08月12日 | 転換点

松山市南部にDというところがある。

そこが、母方祖母の在所だ。

高祖父は、芸事が好きで御茶,御華、は言うに及ばず三味線を上手に弾いていたという。

その一族は華奢で、繊細な人たちだったらしい。

祖母は、隣接する大きな地区の村長にお嫁に行くことになっていたというが、なぜか祖父と結婚した。

理由は関係者がすべてあの世だから私にはわからない。

 

ということで、私も華奢である(笑) 松山の一族はおおむね体格もよく豪胆で強くて有名人が多いが私は例外だ。

その華奢な私は、心の中は剛毅であれと自分を叱咤しているから、打撃を受けても自分でレスキューする。

 

 

自分に対しての努力により、得た肉体と、なにくそと唱える口癖により、現在に至った。

そこで、使命だが(誰にでも使命がある)縁により真剣道基道館に在籍した。

昨日のイノベーター理論で行くと私は改革や、変革や、それらの使命があるようで、それを遂行している。

 

ブドウは国家の三要素の、領土、国民 文化のうち「伝統文化」に含まれる大事な要件だ。

争っても勝ちすぎない、できれば争わないという独自の文化だ。

しかも正武は堂々たれとの教えである(純日本の聖典・闘戦経)

 

*************************

 

このところ、食べ物や、添加物、電磁波障害、そこら中にある有害物質などで、いや、、、口の中にも毒がある。

身の回り5mどころか30㎝も見えない人が多い。

そういう形態の戦争だ。祖国が危うい。それに気が付いていない人も多数。

 

ただし、日本中で気が付いた人たちが闘っている。現代医療では内海聡氏、故安保徹先生、オルターの顧問でもある崎谷博征氏、東大口腔の西原克成先生

思潮、言論では故西部邁氏、池田整治氏、故船井幸雄氏(私は船井流を習った)

食の現場ではオルターが支援する無数の有機農家、製造者、フェアトレードの外国の生産者たち、それを率先遂行している代表の西川栄郎氏

それぞれ、皆さん自分の使命を貫徹している。

 

私などはすごい人とは比べようもないのだが、自分の持ち場は真剣道基道館だ。

気が弱い人は逃げ出していっていい、怖いものは見たくないだろう。

味方が総崩れで隣のものが逃げ出しても私は持ち場を離れない。踏みとどまるのが自分の矜持だ。

基道館の士官(師範)・下士官(助教・師範代)は残った部下を導き、100年ののち子孫たちが栄光の旗を見るために闘おう。

 

サムライは主君、国(藩)のために喜んで死んだ。

現在は三島先生の「文化防衛論」を繙くまでもなく、文化を守るためのゲーム、1対1 9回裏無死満塁状態だ。

スクイズで敗れるか、それを防ぐか。守り切れば次のチャンスもあるだろう。

 

何のために私のようなおいぼれが、生活のために炎天下10時間歩き回り、その余力を振り絞りでブドウをやっているのか?

松山に帰ればどんなに楽かしれないが、私は「難行道」を選んだ。

私はここを守る、それは使命だからだ!

絶対に降参はしない、あきらめない。倒れるまで立っていて闘う。もしかしたら死んでも立っているかも(笑)

 

 

 

 

 


無援の抒情

2019年08月05日 | 転換点

既成の考えの人にはおそらく理解できないだろうが、私は1970年の激動が、革命に至ればいいと感じていた。

維新という言葉は我々が使う用語であり、立場が違えば革命となる。同じ現象に違いない。

19歳の私は世の中の「不都合」を感じていたから、ひっくり返ればいいと思っていたのだろう。

しかしながらパルタイには興味がなく、セクトにも興味がなく、むしろ敵対のおかしな心象をもち、彼らの方法論に異論を持っていた。

理論武装とかいうおかしなことを営々と積み重ね、数人がかりで異論を唱えるものを取り囲み「論破」している光景はニンゲン性を唱えながら反対のことをしているように見えた。

 

三島先生が東大で、君たちが天皇陛下万歳というなら共闘しようと訴えたのは、日本という国を救うためにはそういった手段さえ視野に入れてのことだったのだろうか。

 

自分の人生のほとんどを消去する作業に入って3日目、今夜改めて道浦母都子氏の「無援の抒情」を開いてみる。

 

われらがわれに還りゆくとき

 

「今日生きねば明日生きられぬ」という言葉想いて激しきジグザグにいる

 

報復の名のもとわれら甘えいて今宵も虚しき血は流さるる

 

従いて闘う日々の易しさを知れり人率く身となりし夜

 

1969.1.19

 

火炎瓶も石も尽きしか静まりし塔に鋭き夜気迫りゆく

 

炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る

 

暴徒らの中に私も含まれて激しく民に憎まれていん

 

今だれしも俯くひとりひとりなれわれらがわれに変わりゆく秋

 

一人一人は繊細な心を持ち、時代と制度とその先にある「資本主義」との対決を行った人々であった。

その方法が破綻し、パルタイもセクトのもないところでニンゲンの深さを詠んだ。

 

そういう歌を読んで今夜静かに祈りたい。

 

※  暑いですねと送ったメールに国文女性教授がご返信

 

酷暑さえ

甘受されよと

返信は

「源氏」読みなる

人のすごさよ

 

※ 思いがけない展開は、胸の底ではわかっていた。しかし「かなしい」これがひとの業であろうか

ゆくりなき

みのさだめかな

静みゐる

紅染月の

夜はさに深し

 

 

ダーリンはもう寝た。

イーストウッドの近作をDVDで鑑賞し、久しぶりで「心をほどいた」私を見て安心したのだろう

 

いつだって、孤立無援の私のそばにいてくれる