真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

師を襲う

2019年05月31日 | 転換点

武道の世界では師を襲った者が正統である。

すなわち、館名、武号など、ずらずらと証拠が並ぶ。

わけても、業前はその道場の館風が色濃く反映する。

 

ところが、そういうことも知ってか知らずか、各連盟単位で時の権力になびき、まともな居合者からはじき出される方もある。

どこまで行っても、「師匠は誰、その師匠は誰」というのがこの世界の「貫目」であろう。

 

だから、師匠をおろそかにして、道場をやめたり、または自分で派閥を作ったり、新しい流派を名乗っても、所詮は甲斐なきこととなりはてる。

 

それは、古流を標榜しても伝統に恭順していないという、自己矛盾だからだ。

 

師をないがしろにして、偉い人にすり寄り「出世(笑)」したからと言って、弟子たちがみんな去っては元も子もない。

 

人の世の「あはれ」が身にしむ今夜である。

 

 

 

 

 


謹啓 意賀美神社様

2019年05月31日 | 書簡

謹啓 

令和の御代も一月が過ぎようとする皐月の緑濃い心安らぐ日々でございます。

過ぐる昭和天皇陛下の御生誕記念日(昭和節)には、貴社の清らかな御境内において小館門弟うちそろい、唯神の奉納演武を挙行できましたことを衷心より感謝いたしております。

残日寡なき老骨にとりましてまことに欣快至福の限りでございます。

この行事にいたりますまで、当日の進行、配備など、細部にわたるお心配りを頂戴したと、もれ承っております。

無事に奉納を完遂できましたのも、大神のお導き、深き皇恩、宮司様ならびに貴社神職のかたがたの赤心の賜とかさねて御礼申し上げます。

 

独逸より来日しておりました武道家2名もフェイスブック上で次のように述べておりました。

G氏「いまの天皇陛下の退位の日に、すばらしい神社で居合を奉納する「栄誉」を与えられ感激している、日本はすばらしい」

 

門弟一同も異口同音に、意賀美神社様のご配慮の深さに、ありがたくも得がたき経験の機会に恵まれ賛嘆の言葉を述べていました。

 

基道館が永続し、来る年ごとに、御境内にて日本武道の精華の表現である「真剣道」を奉納できますならば、老骨が武道に捧げた半生も大いに報われることだと思っています。

愚考いたしますに、人の知るあたわずのなにごとか、それを「神」と呼び畏敬してまいりました扶桑の民はその偉大なるなにごとかに導かれ、いまに至っておりますが、基道館一門は、はからずも「真剣道」に修行する僥倖に恵まれ、またこのたびのような立派な御境内をお借りしての奉納演武、なんというすばらしい道筋に導かれたのかと天恵を感じております。

また来る年にご高配たまわり、門弟うちそろい、鋭気はつらつとした奉納演武を挙行できますことを胸に念じております。

 

水無月来りなば季節も変わります故宮司様ご自愛のほどを祈念いたしております。敬白

 

皇紀二千六百七十九年皐月晦日

 

                            無双直伝英信流 基道館 宗師範 

                            大城戸有限齋基輝  花押

上之郷村字布都

意賀美神社御宮司 ●●●● 様

 

 

 

 

 

 

 


由旬

2019年05月29日 | 詩篇

 

無双直伝英信流 第二十二代宗家 池田先生の御通夜に参列して、時代が過ぎたのを感じた。

 

歌を詠んでみた

 

ゆくりなき

人世の由旬

繰りのべて

散るや扶桑の

しろきはなびら

 

 

 

 

中絶へは

道儀のおきて

師の成染めに

不順なかるぞ

泪枯れても

 

 

左右なしく

君去り給ふ

皐月のそらに

われの残日

みへたるごとく

 

 

帰還のとき

展け放った窓外に
翻った夜には
時代が並ぶのではない
綴られた事実が残るのだ

血脈に記されたものが
燈台をめざし闇夜を往くとき
ふりかえったまなざしに
応える用意はあるか

残りしものは遙かな山脈に砦を築き
盾となり 矢となって帰らない
勇気ある幾多のものを待て

百年の後、春夜の風に送られて
声となり、帰還する月下の隊列
栄光の旗を掲げてかれらに見せよ

 


真剣道 その道程 池田宗家葬儀に参列して

2019年05月28日 | 無双直伝英信流

今夜 無双直伝英信流 第二十二代宗家 池田先生の御通夜が行われた。

 

真剣道に修行中のわれわれ基道館から師範以上に列席を命じた。

 

 

おじきの葬儀はこれで2度目だ

 

最初は近畿地区居合道連盟副会長 福永範士  師匠である村上範士の兄弟子

今度は 御宗家  師匠である 村上範士の兄弟弟子

 

ともに、わたしにとり、敬愛するべき 「おじき」にあたる

 

 

 

これで、一つの時代は幕を閉じた。

 

これからは、真剣道がいかに国家・社会、また隣邦、人類に寄与できるか。

 

その真価が問われる「嵐」が迫っている

 

池田先生のご冥福をいのります。

 

 

 


割り稽古

2019年05月28日 | 無双直伝英信流
お茶などでも割り稽古が効果的だと一般に知られている。
居合でも特段変わったことはなく、割り稽古は行われる。
当たり前。

ゆるみをとる、なぜそれが必要なのか、体術に求めたりする

この映像が公開された頃、7,8年前でしょうか、こういうコメントがありました

※居合の流派じゃないの?

それに私はこう返信しました。
そうです、居合です(笑)
世間では刀を振り回すのが居合だと思っている方が大多数です。



瀧落で「致命的な弱点=さや取り」を掛けられた状況を打破するために必要な要素、ゆるみをとる、胸の刀を使う。

居合者に抜かせて勝つ方法論もまた、割り稽古にすでに表現されている。
壁抜き、床抜きなどである。


順刀を迎撃するのはいとも簡単、


英信流に勝つというテーマを失わない限り、真剣道・基道館の修行はますます加速するだろう。