https://www.ehime-np.co.jp/article/news201708112331
小田うどん、実に味わい深い。
今日は「オリーブそうめん」です
愛媛新聞の記事にもある通り、シイタケや大豆で作った出汁で食べます。
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大豆が実においしい
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生産者の顔が見える「オルター」からいただいています
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義母は小田町の出身。
大瀬の大野の娘です。
大野の娘たちのエピソードは以前に書きましたのでご存じの方も多いかと思います。
一番頭が上がらなかったおばさんは松山市民病院の総婦長で、すごい人でした。(故人)
おばさんが市民病院にがんで入院して、それをお見舞いに行った。するとおばさんは病床にあるにもかかわらず、「あら、とよかずさん」といいながら腹筋で起き上がった。
大阪に向かうとき送別会もしてくれました。
素晴らしい人でした
女ながらに某政府機関の長になった人。
大江健三郎と成績を競い合った人(現役で真向法の師範)
そして義母、この人はおおらかな辛抱強いひとで、ほかの姉妹たちとは違う表に出ないタイプでした。
私がダーリンと結婚したいと申し出ると、私が大城戸のものだと知ったうえで。
「こんなんでいいの?返品は効かんよ」と述べました。
よほどの運命のいたずらを飲み込んだ言葉だったでしょうか。
今日のテーマの小田風の出汁ができると持ち帰らせてくれました。
義母の味をダーリンが再現してくれています。
余談ながら、小田ということで思い出しました。
ブドウの師は 2名 お一人は全国居合道連盟名付け親 設立初代副会長 斎藤正名人。 もうお一人英信館門人代表 村上基助範士。
商売の師匠はこの方です。
小田の庄屋様で中岡様。
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冠婚葬祭互助会を36社経営しその多彩な行動は師である祖父も舌を巻いたという人物。
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師匠は、小倉百人一首の本阿弥光悦がしるした原本にたどり着きそれを一冊にまとめた。(私が所蔵しています)
また、日本で初めてキリストから神道・仏教までの葬儀を網羅した葬式のプロ用教本を製作した。なぜそうするのかも記載されている大変貴重なお仕事です(私が所蔵しています)
これまた余談ですが、現役首相の秘書を務めたご子息は、向こう側にやられましたので、お気の毒に思っています。ご存じの方も多いと思いますが、大平さん、竹下さんなど向こうに歯向かった首相は哀れな最期を強いられる時代でした。中川さんなどは大恥をかかされ最後は「自殺」でしたね。この国はどこへ向かうかは自明です。自民にもまともな人士はいたようですがいまはいかがかな?
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師匠は釣りが好きで、また祖父の影響か銃も好きでした。
子供のころ祖父の芸術品ともいえるブローニング水平2連をみて、大人になったらきっとこんな銃を所持すると思ったものです。
(銃ではなく刀になっていますが)
まことに小田というところは因縁が深い。