たまたま、塀に開いていた穴からの風景
2018年を振り返る。
私にとっての「写真」は、人生と言っていい存在なのだが、そのきっかけは、小学校高学年の時、住んでいた京都市西京区桂に国鉄の線路が通っており、その写真を撮ることから、写真ライフがスタート。その後、趣味だったものが、いつしか仕事になり、気がつけば、写真ライフは、40年を超えている。そんな写真における鉄道写真は、ずっと撮っていた訳ではなく、高校生位からは、全く撮らず、本格的に復活したのが今年なのである。
なぜ、高校生から撮らなくなったかは定かではないが、当時は、「オタク」という風潮があり、そのオタクの代名詞である「鉄ちゃん」は迫害を受けていた。鉄道写真は完全に水面下、「ネクラ」の趣味であり、決して人前に出ることはない、決して表に出られない趣味だったのだ。もし、万が一、この趣味が公になると、「オタク」、「ネクラ」である事がバレ、迫害を受けるのであった。そんなことからも、鉄道写真ではなく、軍用機写真へと転換したのかもしれない。
そのような時代を過ごしてきた者にとって、こんにちの、明るい鉄道写真、
と公言できる世の中が来るとは、まさか思わなかったので、若干の戸惑いのなかで、鉄道写真趣味が復活。
復活した理由は、、、趣味から仕事になってしまった「写真」は、いつしか、趣味では撮らなくなっていき、なんだかな〜となっていた時に、ふと、何にも考えないで、好きだからという理由だけで撮れる被写体何かな〜と考えて、浮かんだのが、、鉄道写真だったのである。
そんな、BTTB=Back To The Basicな2018年。私は、鉄道写真に返り咲いた。主たる被写体は、あの時と同じ、近所の電車=西武鉄道であることは当然と言える。そんな訳で、2018年を締めくくる写真も、当然ながら、保谷電留線へ
電留線の跨線橋(手前)から
電留線の跨線橋(奥)から
変わらず、塀が高くて、50肩の私には正直辛い
角。今年は、この風景も大きく変わるのだろう。楽しみ
さて、冒頭のこの写真
この穴から撮りました、、、。最後に傑作撮れた!
2019年もよろしくお願いします。
おしまい
2018年を振り返る。
私にとっての「写真」は、人生と言っていい存在なのだが、そのきっかけは、小学校高学年の時、住んでいた京都市西京区桂に国鉄の線路が通っており、その写真を撮ることから、写真ライフがスタート。その後、趣味だったものが、いつしか仕事になり、気がつけば、写真ライフは、40年を超えている。そんな写真における鉄道写真は、ずっと撮っていた訳ではなく、高校生位からは、全く撮らず、本格的に復活したのが今年なのである。
なぜ、高校生から撮らなくなったかは定かではないが、当時は、「オタク」という風潮があり、そのオタクの代名詞である「鉄ちゃん」は迫害を受けていた。鉄道写真は完全に水面下、「ネクラ」の趣味であり、決して人前に出ることはない、決して表に出られない趣味だったのだ。もし、万が一、この趣味が公になると、「オタク」、「ネクラ」である事がバレ、迫害を受けるのであった。そんなことからも、鉄道写真ではなく、軍用機写真へと転換したのかもしれない。
そのような時代を過ごしてきた者にとって、こんにちの、明るい鉄道写真、
と公言できる世の中が来るとは、まさか思わなかったので、若干の戸惑いのなかで、鉄道写真趣味が復活。
復活した理由は、、、趣味から仕事になってしまった「写真」は、いつしか、趣味では撮らなくなっていき、なんだかな〜となっていた時に、ふと、何にも考えないで、好きだからという理由だけで撮れる被写体何かな〜と考えて、浮かんだのが、、鉄道写真だったのである。
そんな、BTTB=Back To The Basicな2018年。私は、鉄道写真に返り咲いた。主たる被写体は、あの時と同じ、近所の電車=西武鉄道であることは当然と言える。そんな訳で、2018年を締めくくる写真も、当然ながら、保谷電留線へ
電留線の跨線橋(手前)から
電留線の跨線橋(奥)から
変わらず、塀が高くて、50肩の私には正直辛い
角。今年は、この風景も大きく変わるのだろう。楽しみ
さて、冒頭のこの写真
この穴から撮りました、、、。最後に傑作撮れた!
2019年もよろしくお願いします。
おしまい
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