海岸沿いを散歩していると、ところどころに
「秘匿号跡」「震洋特攻艇基地」というのがある。
震洋は日本海軍が太平洋戦争中盤以降に開発、実戦投入した特攻兵器。
小型のベニヤ板製のモーターボートの船首部分に爆弾を搭載し、
搭乗員が乗り込んで操縦して、目標敵艦艇に体当たり攻撃をする。
震洋には一人乗りと二人乗りがあったそうだ。
速力は20ノット〜30ノット。
単純な作りで月間生産数150〜700隻、終戦時までに6000もの
水上特攻艇が作られた。
宮古島の周辺海岸にはいくつもの「特攻艇秘匿壕跡地」がある。
漁協のある荷川取周辺にもいくつかあり、その一つが元陸軍海上
挺進基地第四戦隊基地。
この壕には、240キロの爆弾を装着した特攻艇が隠されていた。
この特攻艇に乗り込むのは17才〜18才の少年兵であったそうだ。
昭和20年8月まで島の守備に従事していたが出撃することなく
終戦を迎える。宮古島では地上戦はなかったが、復員するまでの間には
空襲やマラリア、栄養失調などにより約63名の尊い命が
失われたと石碑に刻まれている。
これらの特攻艇は輸送船で運ばれて来たものもあったそうだが、
ほとんどが沖縄本島から乗ってきたという。
全長7m 幅2mほどの小さなモータボートで沖縄から乗ってきたという
ことがすごい。沖縄本島から宮古島まで約100マイル、
途中島もないところを波にもまれながらよく辿り着いたものだ。
ほとんどが草木で覆われて隠れてしまっているが、
海岸沿い周辺にはいくつもの特攻艇
秘匿壕跡が今でもひっそりとある。
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きじむな
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