昔々、池間島では人口が増えてきて、耕す畑がなくなってきた。
そこでむかえに見える伊良部島まで船できて畑を耕していたそうだ。
そして伊良部島に井戸を見つける。
その場所は船で池間島から伊良部島に向かってくるとき、
海からみた地形がサメの口に似ていることから
「サバウツ」と呼ぶようになった。
以来1966年(昭和41年)に簡易水道が敷かれるまで、240年以上も
佐良浜の人たちの生活用水として活用されてきた。
18世紀の中頃、琉球王府の命によって池間島から14戸が
強制移住させられて伊良部島の佐良浜に定住した。
現在は池間添と前里添の二つの字があり漁業中心に栄えてきた。
鹿児島出身の鮫島幸兵衛によって、池間島始められたカツオ漁は、
1909年に佐良浜にも伝わった。
また、愛媛県から女工を招いて、カツオ節の製造も始まった。
佐良浜の地名の由来は、ザラザラとした石のある浜辺を
「佐那浜」と呼んだことにある。
伊良部島には佐良浜もう一つ大きな集落佐和田集落がある。
もう一つ、宮古島の久松集落から移住してきた集落もあったそうだが
今はない。
佐和田集落は佐良浜と違って漁業ではなく農業が中心で、
ルーツが異なるといわれている。
佐和田の祭事ユークイが行われる嵩原御嶽(タカハラ)には「大世の主」が
祭神として祀られている。
「大世の主」は1457年に沖永良部島から伊良部島に漂着した人で、
大竹中洞穴で借り暮らしをしていたが、水を求めて南へと移動し、
同じく八重山から流れ着いた人々と集落を作り
農耕技術や礼法などを指導して村を発展させたと記されている。
伊良部島は海洋民族の佐良浜と農耕民族の佐和田の二つの集落がある。
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きじむな
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