濱の風

新極真空手木元道場的「日々の発見」

1982(昭和57)年 サッカー スペイン ワールドカップ

2018年05月25日 11時38分37秒 | 茂木師範代

 こんにちは茂木智之です。

※敬称略

今回はリアルタイムで初めて見たサッカーワールドカップ1982年スペイン大会です。

1982年といえば私は中学3年生でした。当時、中学のサッカー部に在籍していたことも

あり、当然のことながらサッカーに嵌っておりました。サッカーの雑誌としてもサッカーマガジン、

イレブン、サッカーダイジェストの3誌が書店で売られていたと記憶していますが、この内毎月

2、3冊は購入していました。今回、写真にもある1982スペインワールドカップ総合ガイド(大会展望号)は

サッカーマガジンの別冊です。この表紙にもあるように、この大会の注目3選手はアルゼンチンの初出場のディエゴ・マラドーナ、

ブラジルのジーコ、西ドイツ(当時は東西分かれていた)のカール・ハインツ・ルンメ二ゲ(この当時はルムメン二ゲ

でした)の3選手で、優勝候補も1958年スウェーデン大会、1962年チリ大会、そして1970年メキシコ大会と

この当時最多の3大会優勝のブラジル。1954年スイス大会、1974年自国開催優勝の西ドイツ。1978年アルゼンチン

大会(ディフェンディングチャンピオン)こちらも自国開催のアルゼンチンの3国でした。蓋を開けてみれば、開幕第1戦で

前回王者のアルゼンチンがベルギーに0-1の敗戦スタート。西ドイツも1次リーグでアフリカのアルジェリアに敗れるという

大波乱。2次リーグに入ってなんと優勝候補筆頭のブラジル、それにアルゼンチン、そこにこの2国より下馬評が劣っていた

イタリアが入りました。この時のブラジルの中盤はジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾで歴史的にみても

最高の中盤で、「黄金のカルテット」と呼ばれておりました。ブラジルはゴールキーパー以外殆ど穴が無く、多くの人は優勝とみて

いたと思います。このブラジル、そしてマラドーナのアルゼンチンに1次リーグでは全く振るわなかったイタリアが連勝をし、

その勢いで準決勝のポーランド、決勝の西ドイツにそれぞれ快勝し、優勝を果たしました。イタリアの立役者となったのは

パオロ・ロッシで6ゴールを上げ、得点王に輝きました。この時ロッシは2年間の出場停止からの復活でこの大活躍をやってのけました。

この大会、個人的には西ドイツとミシェル・プラティ二のフランス(因みにフランスの中盤、ミシェル・プラティ二、アラン・ジレス、

ジャン・ティガナ、ベルナール・ジャンジニも高い評価を受けていました)を応援していました。この西ドイツ、フランスは準決勝で対戦し、

延長戦に突入し、一時2点差をつけたフランスの勝利となると思われましたが、ゲルマン魂の西ドイツが追い付きPK戦に持ち込み、

これに勝利。この西ドイツ、フランス戦もワールドカップ史に残る名勝負と言われております。

決勝戦に進みましたが、前述のとおりイタリアに完敗してしまいました。イタリアは1934年イタリア大会自国開催、1938年

フランス大会と初期のワールドカップに連覇していて、1982年スペイン大会は久々の優勝。この時点で3回目の優勝となり、

やはり3回優勝のブラジルと並びました。まだまだ語り足りませんが、紙面の都合(そんなものはない!)で終わらせていただき

たいと思います。サッカーワールドカップでは初めて見たスペイン大会、36年経過した今もこの時の殆どの試合について

記憶が残っています。

 

では、また。

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