キムカズの気まぐれブログ Part2

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秋田の空の玄関口「秋田空港」で池田修三展

2021-09-24 17:48:02 | 日記
2021年9月23日(秋分の日)
秋田空港で版画作家の「池田修三展」が催されていると聞いて、行ってきました。
到着ロビーの玄関から作品が出迎えてくれました。
 

空港内部に入ると、なまはげや小町娘とともに池田修三の作品が。


2階にエスカレーターで上がるとすぐに展示コーナーが迎えてくれました。
池田修三氏のプロフィールがあったので記しておきます。
大正11年(1922)4月30日 秋田県象潟町(現にかほ市)に生まれる。
旧東京高等師範学校(現・筑波大学)芸能科卒業後、秋田県立由利高等学校、聖霊高等学校(現・聖霊女子短期大学付属高等学校)の教師となる。
昭和30年(1955)上京し、木版画に専念する。
初期12年間のモノクロ版画を経て、多色摺りに移行。
主テーマは子どもたちの情景で、晩年は風景画も手がけた。
国内の版画展で入賞したほか海外の版画展にも数多く出展し好評を得た。
個展は全国主要都市で開催され、企業のカレンダーやテレフォンカード、単行本の装丁等にも作品が使われている。
ふるさと象潟をこよなく愛し、「広報きさたか」の表紙や新庁舎落成など、事あるごとに多くの作品を提供した。
平成元年(1989)象潟町功労者表彰を受ける。
平成16年(2004)11月10日死去。享年82歳。
 

空港内の3カ所程度の場所に分散して展示場が設けられていました。
なので、空港内を歩いていると、いつでも目にとまるので、とても身近に池田作品に触れることができました。
  



2021.9.20 made in Yuwa「秋の工房展めぐり」へ行ってきた!

2021-09-22 23:29:05 | 日記
「made in Yuwa「秋の工房展(めぐり)」」に行ってきました。
春に続き、2回目の工房展めぐりとなります。(「春の工房展」の模様は〔こちら〕からどうぞ。)

今回も自転車で巡ることに決め、秋田市雄和の「サイクリングターミナル」でレンタサイクルしました。
今日お世話になる相棒はこちら↓(笑)
 

先ずは”腹ごしらえ”ということで、サイクリングターミナルからほど近い「ダイニング&ラウンジあえら」でランチ!
今日頂いたのは「ダルカレー(辛口)」と「スープモモ」。
(あ、つい食欲に負けて写真を撮るのを失念。。。)


さあ、「秋の工房展めぐり」をスタートさせましょう。
このイベント、手づくり感満載の案内看板がこまめな案内誘導をしてくれます。
看板やピンクの幟を頼りに導かれるように目的地へ。安心安心。
   

PRハガキのバックは稲刈りを終えた田んぼ。もう秋です。田んぼの遠くに稲刈りを終えたコンバインが疾走しているのが見えます。
工房展に参加するアトリエをご紹介します。
・陶器  「いやしろち」
・貼り絵 「sanemi」
・和紙  「出羽和紙」
・絵画  「アトリエソウマ」
・陶器  「瑠璃窯」
以上、5つのアトリエさんです。
 

最初に訪れたのは、陶器「瑠璃窯」さん。
椿台の山の上にある「瑠璃窯」さん。
おしゃれな玄関口です。中の展示もおしゃれです。
    

和紙「出羽和紙」さん。
和紙でいろんなデザインができるものです。かわいい。
ここ雄和の水に惚れたのがここに工房を構えるきっかけだったとか。
  

次に向かったのは、絵画「アトリエソウマ」さん。
このイベントを取りまとめてくださっているグループリーダー。
入口周辺がおしゃれです。室内に入ってこれまた感動。アトリエを間近に見せてくださっています。
     

さ、次に向かいましょう。
実は、ここからが自転車移動にとっての最難関。
どこまでも続く坂・坂・坂・・・
汗びっしょりになって、ようやく到着。。。
 

陶器「いやしろち」さんです。
レンガで作られたアプローチがとってもかっこいいです。
アトリエに入ると、繊細なデザインの器がたくさんです。
    

そして、「いやしろち」さんのすぐそばにある貼り絵「sanemi」さん。
切り絵です。かわいいのがたくさんです。
デスクマットに飾ろうかと思い、絵葉書を一枚購入させていただきました。
 

「made in Yuwa「秋の工房展(めぐり)」」の5つの工房巡りが終わりました。
汗びっしょりになる場面もありましたが、何といっても心地いい汗で、気分爽快です。
帰り道に見つけた史跡。「椿台城址」。
読みます。
ここ椿台に、慶応四年(明治元年・1868)三月秋田藩十二代藩主佐竹義堯(よしたか)は、江戸住まいの佐竹壱岐守義諶(よしつま)(二万石)に城郭を築かせ、秋田支藩の城下町を建設させた。義諶は八十人余りの家臣とともに移住したといわれる。
しかし、建設なかばにして戊辰戦争が起こり、ここは秋田藩防衛の拠点となり、九月、付近一帯は戦場と化した。戊辰戦争が終結した翌年、義諶が隠居し、義理(よしさと)が城を築いた。
しかしそれもつかのま、義理は雄勝郡岩崎(現湯沢市)に移住して岩崎藩主となり、明治四年七月には廃藩置県を迎える。
椿台城はわずか二年にも満たないうちに、明治三年(1870)廃城の運命となった。
家臣団は藩主に同行し、内町外町約三百戸と伝えられる城下町建設は一朝の夢と化したのである。現在は土塁の一部が残るのみである。
  

そして、戊辰戦争といえばここと思い。
「戊辰戦争糠塚森の決戦」
ここについては、「春の工房展めぐり」で書きましたので、〔こちら〕にお任せします。




2021.5.3 made in Yuwa「春の工房展(めぐり)」へ行ってきた!

2021-05-06 22:44:48 | 日記
2021年5月3日(祝)


秋田市雄和地区で開催されている「made in Yuwa「春の工房展」」を巡ってきました。
この工房展は、秋田市雄和地域に点在する芸術家の皆さんが、各工房をつないで観て回れるイベントを開催しているものです。
春と秋の年2回開催されており、キムカズは今回初めてお伺いすることができました。

車で一気に回るのも楽だしいいのですが、せっかくなので自転車でゆっくりと回ってみようかなと思い、「サイクリングターミナル」で自転車をレンタルしてみました。
1回90分間借りれて410円なので、とってもリーズナブル。しかも、自転車は丁寧なメンテナンスがされているので、快調なサイクリングを楽しむことができました。
今回お借りした自転車がこちら。オレンジ色でこれから始まるサイクリング旅行にワクワク感がわいてきました。
 

早速移動開始。国際教養大学を横目に自転車をこぎ始めます。
ほどなく走ると、「春の工房展」を知らせる看板や「made in Yuwa」の幟が立てられ、予想以上にスムーズに目的地に向かうことができました!
     

ということで、最初の工房を訪問。こちらの工房は「アトリエソウマ」さん。
絵画を制作しているアトリエソウマは、相馬大作さんの工房です。(電話:090-6542-6555)
庭から入口にかけてが、もうおしゃれです。
そして、アトリエの中に入らせていただきました。
室内にはたくさんの作品が展示されていたほか、普段創作活動を行っているアトリエも見せていただけるという、なんとも幸せな瞬間を感じることができました。
    

アトリエソウマさんを出ると、上空を飛行機が横切りました。
そうなんです!ここ雄和は「秋田空港」が所在する地区なので、秋田発着の飛行機が方々の都市と秋田とを結んでいる地域でもあるのです。
 

次に向かったのは「出羽和紙」。(いではわし)と読みます。
出羽和紙は、高橋朋子さんの工房で、手漉き和紙の工房です。(電話:018-886-8910)
雄和のきれいな水で漉いた和紙がたくさん陳列されています。
コピー用紙なんかじゃ味わうことのできない、いろんな表情を見せてくれる手漉き和紙たち。この紙でお手紙を書いてみるだけでも、送る側の気持ちまでも届けてくれること間違いなしです。
    

次に伺ったのは「瑠璃窯るりよう」さん。(電話:090-8614-1508)
玄関先からとってもおしゃれな瑠璃窯さんです。
陶器作家の安藤るり子さんがお出迎えくださいました。
日常使いで愛用したくなるような、デザイン、色合い。すごくきれいです。
それから、瑠璃窯さんではろうそくも作っています。
       

さ、次に向かいます。
通りを小路に入っていきましょう。
ここでも道順をきちんの案内してくれるので、心配することなく進むことができました。
   

坂道をほどなく登り切ったころ見えてきた工房が「いやしろち」さんです。
陶器を製作している秋山章子さんの工房です。(電話:090-6455-7668)
煉瓦で敷かれた道を進んだ先に工房があります。
どうです?すごく色合いがかっこよくないですか!デザイン、すごい。
ここの陶器も普段使ってみたいものがたくさんありました。
     

いやしろちさんを出て、すぐ向かいにあったのが「senami」さん。
貼り絵作家の石川実視さんの工房です。(電話:090-4311-1670)
小さな建物でしたが、中に入るとたくさんの貼り絵作品が展示されていました。
どれもこれも可愛らしいデザインで、女の子なんかは間違いなく惚れこむはずです。
   

以上のように、今回5つの工房が参加して行われた「春の工房展」をご紹介しました。
どの工房にもたくさんのお客様がお見えになっていて、作家さんと楽しく会話をされていたのがとっても印象的でした。
時には芸術に触れることで心も豊かになることを実感した一日となりました。

ここからは、その道中での余談です。
工房展の帰り道で見つけた史跡。
「戊辰戦争糠塚森の決戦」
慶応四年(1868)一月、鳥羽・伏見において始まった戊辰戦争は、やがて東北にも波及、七月末には秋田の地も戦火に巻き込まれた。秋田戊辰戦争最後の決戦は、九月十一日から翌日にかけて、ここ椿台の地、糠塚森を中心に行われた。(ここにも「9.11」があったとは。驚)
ここには秋田支藩の椿台城が建設中で、秋田藩防衛の拠点ともされており、秋田・庄内両軍の死闘が重ねられた。結局、薩摩・長州軍に支援された秋田軍が防衛に成功し、庄内軍の猛攻を食いとめた。
雄和地区は薩長軍方の秋田藩と、庄内軍方の亀田藩との領内であったこともあって、ほぼ全域が戦場となり、多くの住居(総戸数の約三十%)が焼失したほか、両軍の兵士の不足を補うため、多くの者が郷夫や使節人夫に徴用された。
明治四年(1871)に廃藩置県となり、十一月に秋田県が成立した。
とあります。
今は頭上を高速道路が通っているこの地で、幕末の戦いが繰り広げられたとのこと。
この地で戦った兵士やそれに駆り出された雄和の住民の多くもここで最後を遂げたと思うと、現代の平和の有難さと共に、その歴史の上にいまの時代があることの時の流れを感じさせられてしまいます。
   

そして最後にもう一つ。この日のランチ。
サイクリングターミナルに至近で、国際教養大学にも隣接するネパール料理店「ダイニング&ラウンジあえら」さん。
ランチメニューの中から、「ダルカレー」を辛口+大盛りでいただきました。(笑)
豆がたくさん入ったカレーで、好みの辛さだったので、しっかり満腹になることができました。
ここ「あえら」さん、何を食べても美味しいですし、夜はお酒を飲みながらのネパール料理もgoodです。
お薦めの「ダイニング&ラウンジあえら」さん。ぜひ、多くの皆さんに立ち寄っていただきたい一店です!
    

こんな感じで自転車で回った雄和の街。
春の心地良い風を感じながらのサイクリングは最高でした!!



2021.03.11 秋田魁新報より>東日本大震災10年

2021-03-14 11:40:21 | 日記
2021年3月11日(木)
東日本大震災から10年の時が流れました。
秋田魁新報が特集を組んでいたので、備忘録として、今後の備えへの心構えとして残しておきたいと思います。


東日本大震災10年 あきた防災2021
きょうは、次の災害の「前日」かもしれない。


国内の地震としては史上最大規模となるマグニチュード9.0を観測した2011年3月11日の東日本大震災から10年のとなった。
巨大な津波や東京電力福島第1原発事故の映像が脳裏に焼き付いている人も多いだろう。
一方で、発生当初の衝撃が薄れ、恐ろしさの記憶が風化しつつあるとも指摘されている。
10年を経てなお復興途上にある被災地の人々はいま、どんなことを考えているのか。
そして私たちは被災者の思いと体験からどんな教訓を学び、生かすべきなのか。
いまが東日本大震災の「後」であるとともに、いつ起きるともしれない災害の「前日」であるかもしれないことを認識し、あらためて防災・減災について考える機会としたい。


アンケートに見る被災者の歩み年を経て暮らし変化
本県定住の傾向強まる
「医療費助成」が最多
被災地へのエール、防災・減災の誓い・・・
備を日頃から意識/子供に体験聞かせる/福島で医療従事者に


ふるさとの歩み 見守り続ける
「思う」ことが支えになる
希望の光の色、一緒であってほしい
「繰り返さない」が責務
現在進行形の震災10年
つながりが復興の力に


できること 地道に まち再生 私も担う


どこに避難?何を備蓄?いま一度、考えて確かめよう
命つなぐ備えを




「避難指示」に一本化/レベル5で「緊急安全確保」
「分散避難」を重視に
コロナ対策物資も必要
警戒レベル4までに必ず避難!


地震災害時の行動心得10カ条
1 まず落ち着いて!自分の身の安全が最優先
2 火がついていたら、周囲の人に知らせる
3 家具など倒れてくる物から離れ、テーブルの下に潜り込む
4 外出中は、ブロック塀やガラス、看板などの落下物に注意し広場に避難
5 運転中は、左に寄せて停車し、エンジンを切る
6 車を離れるときは、キーをつけたまま、ドアロックしない
7 緊急時はエレベーターを使わず、階段を使って避難する
8 海岸近くにいるときは津波を警戒し、すぐに高台ヘ避難
9 ラジオなどで確実な情報を入手。続報にも注意
10 デマに惑わされず、パニックを起こさない
※県防災学習館による


非常持ち出し品チェックリスト
【貴重品類】
 □ 現金(10円玉も)
 □ 預金通帳
 □ 印鑑
 □ 保険証
 □ 免許証
【避難用具】
 □ 懐中電灯
 □ 携帯ラジオ
 □ 予備の乾電池
 □ ヘルメット
【生活用品】
 □ 厚手の手袋
 □ 毛布
 □ 缶切り
 □ ライター・マッチ
 □ ナイフ
 □ 携帯用トイレ
【緊急用具】
 □ 救急箱
 □ 処方箋の控え
 □ 持病の薬など
 □ 生理用品
【非常食品】
 □ 乾パン
 □ 缶詰
 □ 栄養補助食品
 □ あめ・チョコレート
 □ 飲料水
【衣料品】
 □ 下着・靴下
 □ 長袖・長ズボン
 □ 防寒用ジャケット・雨具
【その他】
 □ 携帯用カイロ
 □ モバイルバッテリー


備蓄品チェックリスト
【食料品】
 □ レトルト食品(ご飯・おかゆなど)・アルファ米
 □ インスタントラーメン・カップみそ汁
 □ 飲料水(1日3リットルが目安)
 □ 日持ちする野菜(タマネギ、ジャガイモなど)
 □ 野菜ジュースや果汁ジュース
【生活用品】
 □ 給水用ポリタンク
 □ カセットコンロ・ボンベ
 □ ティッシュペーパー・ウェットティッシュ
 □ ラップフィルム
 □ 紙皿・紙コップ・割り箸
 □ 簡易トイレ
 □ 水のいらないシャンプー
 □ ビニール袋
 □ ロープ
 □ 工具セット
 □ ほうき・ちりとり
 □ ランタン
 □ 長靴
【コロナ感染予防用品】
 □ アルコール消毒液
 □ 固形せっけん
 □ ポリエチレン袋
 □ マスク
 □ 体温計

(消防庁ホームページなどを基に作成)

河辺雄和の偉人「石井露月」の紹介

2020-07-05 11:24:04 | 日記
石井露月(本名祐治)は明治6年(1873)5月17日草深い河辺郡女米木村(現秋田市雄和)に生まれた。
女米木は秋田市中心部から南へ約20数キロ離れた地区で、怪奇な伝説を秘め、眺望のすばらしい高尾山の麓にある山紫水明の地である。
生家(与惣衛門)は代々肝煎(又は長百姓)を務めた家柄であったが、彼が生まれた頃は維新で零落の上、戊辰戦争で焼き討ちにあい辛酸を極めていた。また10歳で父と死別。
明治21年秋田尋常中学校(現在の秋田高校)に入学したものの、脚気を患い3年で中途退学。
明治26年秋、露月21歳の時、青雲の志を抱き文学で身を立てようと上京、やがて正岡子規の知遇を得、その斡旋によって新聞「小日本」に入社。子規のもとで俳句の指導を受け、「ホトトギス」の選者として近代俳句革新運動に加わる。
「子規門四天王」と称されたその偉才は、「明治29年の俳句界」で子規から「露月鬼才」と瞠目されたまさにその時、持病の脚気の悪化に苦しみ、子規と別れ、帰郷して医業に転ずる。

明治33年3月、秋田の地に子規が命名した全国俳誌の三大誌「俳星」露月を盟主として能代の島田五空等と創刊。
こうして地元秋田に日本派の俳風を広める。
地方に在りながら日本有数の俳句王国をなさしめた源流となっている。
一方、故郷では伝染病の猛威に苦しむ無医村の地で農村医療活動に献身した。病む人たちを看まわり、村人に愛され、貧困に疲弊した村で植林や、農村青年の鍛錬や交流の場として「夜学会」、「青年団活動」に取り組み、「女米木文庫」(図書館)を創設するなど、明治、大正、昭和に至る秋田の農村で、村の指導者、青年運動、社会教育のパイオニアとして生涯を捧げた。

代表句に次の一句(大正12年作)がある。
  秋立つか雲の音聞け山の上
露月がこよなく愛した高尾山横長根に昭和52年6月12日露月50回忌記念に句碑として建立されている。
因みに露月の句碑は秋田県内17カ所、県外3か所に建てられている。


出典:秋田市立雄和図書館「秋田市が生んだ俳人 石井露月の紹介」チラシより