むかし、世界博覧会は新世界で行われる前に、大阪にはこじき(今日本橋あたり)がありました。
世界博覧会のために、メイン会場になる、通天閣に日本橋はすごく近くで、ホームレスたちをどうするか困りました。
そこで隣町の、西成の今の三角公園あたりに、ホームレスたちをたくさん引越しさせました。
仕事がいまでこそ、あまりないのですが、昔はあいりん労働センターあたりで日雇いの仕事がたくさんありました。
仕事にありつけたら、そのあたりの安い宿(ドヤ)にとまることができたので、日雇い労働者たちもたくさんあつまりました。
やがて、不景気になり、仕事にあぶれる人々がそのあたりに、たむろしました。
とまるところもなく、昔からのホームレスもあわせて、たくさんのホームレスが三角公園にあつまることになります。
そこで、教会などの団体が、ご飯を無料で提供したりして、寝るところ(シェルター)もあり、そこがくらし安くなりました。
現代では、そのあいりん地区では、すむところ、ご飯などがすべて無料で、こじきでも食べていけるのでいろいろな意味でたくさんあつまります、昔はそのようなところではなかったようです。
仕事がなくなりホームレスがたくさんできて、日本橋のこじきも西成におしやられ、今の日本一のホームレスの町ができあがりました。
西成は、日本一、汚い町でもありますが反対にとてもやさしい町になります。
日本一くらしやすいところになったために、ホームレスがたくさん集まりそしてかれらの憩いのまちになったからです。
日本でここだけです、0円生活ができる素敵な町は。