ロマンティック街道の最終地「ホーエンシュヴァンガウ」にある
「ノイシュヴァンシュタイン城」(新白鳥城)は、
ディズニーのシンデレラ城のモデルになった城らしい。
この旅をするまで、そんな城があったこと自体、僕は知らなかった。
以下、城の歴史について、ガイドブックを孫引きする。
1869年、バイエルン国王ルートヴィッヒ2世の命により着工。
中世騎士の城をイメージし、バロック、ゴシック、ルネサンス、ロココなど
あらゆる建築様式をとり入れた絢爛たる城館。
内装もヴァルトイブルク城の歌合戦の間を再現するなど、かずかずの伝説、神話を題材にした壮麗なもの。
ディズニーがシンデレラ城のモデルにしたというのもうなづける。
1886年、謎に満ちた王の死により工事は中止となり、未完になっている。
ノイシュヴァンシュタイン城の主ルートヴィッヒ2世は、
少年時代、この城にほど近いホーエンシュヴァンガウ城で避暑をした。
少年時代は聡明で、勉学にもまじめにだった。
17歳のルートヴィッヒ2世にあった鉄血宰相ビスマルクは、
この王子の将来に期待したという。
ホーエンシュヴァンガウ城は、中世の騎士物語や白鳥にちなむ什器・装飾で充ち満ちていた。
ワーグナーが大好きで、
16歳のとき、父王にたのんで、本人を招いて特別公演をひらいてもらったりした。
そういった影響もあり、政治から逃避し、絵画・音楽・美術などに異常な傾斜をするようになった。
王位には、父王の急逝により、19歳で即位した。
紆余曲折があり、自分の理想の城、このノイシュヴァンシュタイン城を築くこと決意した。
政治をかえりみず巨費を投じたため、王室の財政は借金まみれになった。
このため国王の廃位が謀られ、
ついにルートヴィッヒ2世は精神を病んでいるということで、逮捕軟禁されてしまった。
その後、軟禁先で散歩にでた王は、付き添いの医師とともにシュタンベルク湖で、水死体で見つかった。
その死は謎とされているが、おそらく謀殺されたのだろう。
日本では明治時代初期から中期にあたり、
廃藩置県が実施されたり、西南戦争が勃発した時期になる。
近世になってこんな建造物をたてるなど、ある意味バカげている。
領民はそうとうな搾取にあったにちがいない。
ノイシュヴァンシュタイン城が華麗であればあるほど、
貧窮と飢餓に苦しんだ人びとのことに思いを馳せてしまう。
しかし、この城がディズニーのシンデレラ城のモデルとなり、
現在 世界中の子どもたちに(大人にも)夢をあたえ続けているとすれば、
彼の功罪はイーブンといっていいかもしれない。
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hune
イズミ
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