SIDEWALK TALK

霍去病

Letter以前から司馬遷の『史記』を、
もしくはそれに関わる本を読みたいと思っていた。
けれどかなりの長編だし、
内容も難解な気がして手が出なかった。
今回、ふと思い立って、
北方謙三著の『史記 武帝記』を読みはじめた。


この小説も全7巻という長編で、
まだ1巻の途中までしか読み進んでない。
今のところあんまりおもしろくはないのだけど、
文中に霍去病が登場したのはうれしかった。


10年ほど前、仕事で訪中した際、霍去病の墳墓を訪れた。
漢の武帝から愛と尊敬を受けつつ若く死んだ霍去病は、
武帝の意志によって武帝の陵墓「茂陵」のそばに葬られた。


西安(長安)の郊外を西へでて、
ほどなく渭水の橋を渡ったころから、
天気が悪くなった。
見渡すかぎりの麦畑の上に雲が降りたように雨気が満ちて、
急に寒くなった。
前日、洛陽では暑かった。
気候は日本とさほど変わらないはずなのに、
雨が降ると様子が変わるのかもしれない。


中国に行って驚きを感じつつもあきれてしまうのは、
2千年前の人物の墓が、
2千年前に「史記」に書かれたとおりの姿で、
無造作に野原に遺っていることだ。
霍去病が匈奴を破った祁連山に似せたと思われる人造の山があって、
その頂上に灰色の磚でつくられた祠があった。


霍去病の墓で、いま目を楽しませてくれるものは、
巨石に素朴に刻まれた石人石獣だ。
熊と格闘しているという、お伽話のような造形もある。
また、人があおむけに倒れているような形の石に、
歯をむき出して泣いている人間の顔がユーモラスに彫られている。


「この、倒れて泣いている人は、誰ですか?」
と同行してくれた取引先の陸さんに尋ねると、
奴隷主だと教えてくれた。
霍去病は、こんにちの解釈では奴隷主を倒した。
負けた奴隷主は泣かざるをえない。
しかし実際は匈奴の王かなにかにちがいなく、
顔をみてみると、アーリア人系のように思えた。


匈奴が何人種だったかについては、諸説ある。
紅毛碧眼のアーリア人という説もあるし、
トルコ人だという説もある。
僕は、論証なしに、モンゴル人だったと思っている。


いずれにしても騎射に長けた騎馬民族だったことにはちがいがなく、
この強力な騎兵隊を霍去病が騎馬戦で破ったということに、
今さらながら彼の将才にあらためて感心させられた。


このときは、商用で訪れていたために時間がなかった。
ずっと憧れていた霍去病の墓を訪れたことには満足したけど、
有名な武帝の茂陵には行けず終いだった。
次回、中国に出張するとき、
チャンスがあれば茂陵にもいってみようと思う。

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