最近は回数は減って月イチほどになったが、
トータルでは軽く500回以上は萩に足を運んだと思う。
幕末の長州人のイメージは、風貌は痩身で瓜実顔に切れ長の目もと、
性格は怜悧ということで他藩から警戒された。
反面、禁門の変では破れかぶれの暴走集団と化してしまうあたり、
つかみ所がない。
けれど、京都での市井の人気は他藩より高かったようだ。
実際にお目にかかる萩の人びとは怜悧な印象などとはほど遠く、
城下町特有の上品で穏やかな精神をもった人が多いように思う。
長州言葉も、優しく耳に響いて心地よい。
萩で「先生」といえば、もちろん吉田松陰のことをさす。
慶応大学において、「先生」が創立者たる福澤諭吉先生ひとりに限り使われるのと同じである。
松陰という人は、「個」と「公」の区別に厳格な人だった。
たとえば人間(武士、今でいう政治家や役人)は公的にのみ生きている。
体は私物であるが、この私物は挙げて公的なものに使用しなければならない
という、自分の存在そのものを抽象化してしまうほど苛烈だった。
明治以降、内閣総理大臣は山口県(長州)出身者がもっとも多い。
いまの菅総理も、長州人が認めるかどうかは別にして、
広義の意味で山口県出身だそうだ。
彼も長州人の端くれなら、松陰先生の志をわずかでも見習ってほしい。
いまの現状は、「最小不幸社会」どころか、「宰相不幸社会」だ。
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mf >> 長崎市民さん
長崎市民
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