硫黄島の戦いについての特番が放送されていた。
平和ボケした国家で温々と育った僕に、
この番組についての感想を述べる資格はない。
戦争というのは、人間を兵士という名の一部品にして
理性や人間性を排除する装置なのか?
番組では日米軍双方の生存者とも、拭えぬ過去として
その重すぎる記憶を背負って生きていた。
子ども向けのアニメである「ガンダム」にさえ、特攻のシーンがある。
ソロモン攻略戦、スレッガー・ロウ中尉が、コア・ブースター(G ファイター)で、
「悲しいけど、これ戦争なのよね」
と言って、ドズル・ザビ中将のビグ・ザムへ突っ込むシーンだ。
富野由悠季監督が特攻シーンを安易に採用するはずはないから、
これには敵機を倒す以上の意味が込められているのとみるのが妥当だろう。
わが国の拭えぬ過去、「特攻」について考えてみる。
片道分の燃料と爆薬だけを装備して若き兵士を出撃させる。
この愚かで恐るべき作戦は、いったい誰の発案だったのか?
耳学問だから、以下のことは思い違いなどあるかもしれない。
海軍として最初の組織的な航空機特攻作戦は、大西瀧治郎海軍中将により提唱された
と、されている。
僕はこの説を採らない。
大西のフィリピン赴任前の時点ですでに「神風(しんぷう)特別攻撃隊」の各隊の名称が決まって
軍令部から現地に指示されていたことや、
大西自ら「特効は統帥の外道である」と発言していたことから察すると、
発案者は軍令部の参謀のだれかだったのではないだろうか?
今となっては、真実は闇の中である。
大西がいっさいを語らず、敗戦を見届けた8月16日に自決してしまったからだ。
大西は発案者じゃなくても発令者だったことにはまちがいがなく、その責任をとったと思われる。
その死は割腹自決だったのだが、
介錯人を敢えてつけず、彼が見送った614人の特攻隊員に詫びつつ、
数時間苦しみながら息を引き取ったという。
後生の僕が軽々しく特攻隊について語るのは気がひけるけど、
特攻兵も発令者も悲しみにあふれていたと思う。
当時の士官や兵士は、原理主義者でもナショナリストでもなく、ふつうの日本国民だった。
ただ、参謀本部や軍令部に悪魔が棲んでいた。
「終戦記念日じゃなくて、敗戦記念日っていうべきだ」
なんていう自虐趣味のひともいるけど、
呼び名などはどうでもよくて、要するに平和を祈る日にしなきゃいけない。
過去を拭えないなら、正面から向き合って教訓とすべきだと思う。
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