戦国期から江戸初期のひとで、
藤堂家家祖であり、伊勢 津藩の初代藩主である。
加藤清正と並んで、築城の名手ということでも知られている。
高虎は、何度も主君を変えた。
権力という魔物に対する嗅覚が、人一倍鋭敏だったのだろう。
秀吉の信を得て近侍していたのだが、秀吉の死後、
次は徳川の世になることをいち早く見抜き、衣替えするように家康に乗り替えた。
そのため変節漢という印象を後世に与えているけど、
家康ほどの老獪な政治家が軽薄な人間の手玉に取られるハズはないから、これはうがった見方だろう。
その証拠に徳川の軍制では、関ヶ原以降、
戦場で最も重要でまた栄誉とされる先陣は譜代の井伊家と外様の藤堂家が務めることになっていて、
幕末の鳥羽伏見の戦いでもこの軍制は守られた(ただし、藤堂家は官軍に寝返ってしまったが…)。
家康や幕府からの信任が厚かったことがうかがえる。
その高虎が縄張りをした津城址、そして町割りをした津城下にいってきた。
おしなべて城下町というのは、上品な雰囲気が漂っている。
これは単に町割りが碁盤状に整備されてるからだけじゃなく、
そこに住んでいる人びとの佇まいによるものだと思う。
商店街にほど近い観音寺という真言宗の古刹の前で、
街行く人びとが一様に寺院に向かって合掌や黙礼をしていたのは印象的だったし、
見ていて清々しい気持ちになった。
そんな津城下を、アテもなくぶらついた。
印象深いトピックは幾つもあるけど、それはまた後日。
なかでも、乾物屋さんが多いのには驚いた。
今どき、乾物屋などそうそうお目にかかれるものじゃない。
津での夜、津在住の音楽家と会食した。
彼女との会話のなかで、津(伊勢)の方言についての話題があった。
「かんぴんたん」
という風変わりな言葉がある、と彼女は言う。
「干からびて、カピカピになってるもの(様)」、という語感らしい。
漢字で表記すると、「乾平反」 or 「干品端」なのか? もしくは、漢字表記などないのか?
高虎(藤堂軍)は文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にも従軍しているから、朝鮮語からの転訛かもしれない。
関係ないと思うけど、似た発音で貧乏を意味する「すかんぴん」は「素寒貧」と漢字表記する。
乾物屋さんと「かんぴんたん」との因果関係はわからないが、おそらく無縁じゃないだろう。
津は海の幸が豊富で、鮮魚の残り物を干物にしていたのだろう。
また、お伊勢参りの宿場町でもあったから、携行食として干物の需要があったかもしれない。
ともかく、江戸時代にも全国の人びとがお伊勢参りの道中、津に立ち寄り、
「かんぴんたん」に加工された干物を食していたと思うとおもしろい。
当時の人びとも、「かんぴんたん」という方言をきいて、おかしがったんじゃないだろうか。
彼女に教わった方言が、今ひとつある。
「びーたん」
という言葉だ。
これは説明できない。
なぜなら、「びーたん」に相当する標準語や英語がないからだ。
かなりのレアケースでしか使用されない言葉だけど、
その意味は、シンガーでもある彼女の美しい声で発音されたことも相まって、
僕にはショッキングなものだった。
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