SIDEWALK TALK

This website is brought to you by KIRIBAKO.NET

仕事納め雑感

2013-12-30 11:59:07 | 日記・エッセイ・コラム
Closed表向きの仕事納めは28日の土曜日だったのだけど、
残務処理やら月末月初の資金繰りやらで、
きのう今日と出社している。
ま、毎年のことだし、商売人は忙しい方がいいから、
これでいいのだ!


さて、明日からいよいよ連休に入るわけなんだけど、
さしてこれといったイベントはない。
嫁の実家への里帰りと、お袋をビストロに招待している。
あとは食っちゃ寝食っちゃ寝の寝正月になんるんだろうな。


年頭に、このブログの今年のテーマを「知行合一」と設定した。
陽明学の王陽明が提唱した学説だ。
実際のところ、ブログを書くに当たって念頭からは消え失せていた。
まさに凡人の成せる業。
陽明学の徒にはまだまだなれそうにない。


とりとめなくなってきたので、ここいらでペンを置こうと思う。
今夜はJCの同窓会的飲み会。
さて、年の瀬にひと暴れしてくるか!

先輩後輩

2013-12-23 09:50:47 | 青年会議所
Chiechan夕べの酒は格別だった。
青年会議所(JC)の先輩後輩との飲み事。
気が置けない友人との時間は、何ものにも代えがたい。
僕がJCやっててよかった思うのは、
多くの得がたい友人に出会えたことに尽きる。


JCでは「先輩」「後輩」の上下関係が、いい意味で重要視される。
「今どき?」と揶揄されそうだけど、僕には居心地がいいし、
これこそJCの醍醐味だと思う。
英語圏(キリスト教圏)では、先輩後輩の関係はあまり重要視されず、
これらの単語のニュアンスにぴったり相当する英単語はないらしい。
この先輩後輩という、ある意味、超組織的メンタリティを含んだ関係は、
「若衆宿」の古俗をもつ南太平洋から東アジアにかけてのものだ
と何かの本で読んだ。


以下は論証なしの持論だが、「若衆宿」について少しふれたい。

日本における若衆宿は、
近世以前は南方的要素が濃い地域(近畿・中国・四国・九州地方など)には
当たり前のようにあった習慣(組織)である。
村社会の男子はある年齢(12歳前後か?)になると
地域の慣習として若衆宿という組織に入って、
そこで共同体のルール(ときには夜這いの仕方までも)を学びながら、
大人になった。
また、自警団的な要素も強く、
火事や災害のときの救急隊も若衆宿が請け負っていた。
自然、村の大人たちも若衆宿のリーダーにたいしては、
命令もできないし、むしろ敬って接していたらしい。


維新の元勲である西郷隆盛が、「郷中」とよばれていた
薩摩藩郷士の若衆宿のリーダー(お先師)だったことは有名である。
大久保利通・大山巌・西郷従道・東郷平八郎なども
西郷のいた下加治屋町の郷中の出身で、
少年時代、その郷中のお先師のもとで、さまざまな薫陶を受けた。

  
若衆宿や郷中には非常に厳しい規律がそれぞれに存在しており、
なかでも先輩後輩の長幼の序がもっとも重んじられた。
幕末の薩摩藩士が討幕運動のなかで、
お先師とよばれる郷中の先輩のことばひとつで、
死地に飛び込んでいったことを思えばわかりやすい。


では、どうして若衆宿の先輩の命令に、後輩は従順だったのだろうか?
「それは古俗だから」と断定してしまえば、身も蓋もない。
そこには、自分が所属している組織「若衆宿」にたいするプライドやリスペクト、
また、自分のすべてをかけて後進を指導していかなければいけない
という強烈な責任感があったのではないだろうか。
そうそう単純に比較できないが、
JCには若衆宿に通じる要素がたぶんにあると思う。
僕は JC のそういう雰囲気が、なんとも好きなのだ。


昨夜は二次会でサプライズがあった。
1軒目のお店で噂していたチエちゃんとの邂逅。
3年ぶりくらいの再会だったけど、あいかわらず笑顔がまぶしかった。
親友との楽しい飲み会の最後の最後に、花を添えてくれた笑顔だった。

飽和状態

2013-12-19 17:53:05 | デジタル・インターネット
Saturday今月は、ブログの更新が滞ってる。
仕事が忙しいというのは言い訳に過ぎない。
四六時中、仕事ばかりしてるわけじゃないから、
忙しがってるだけである。
ま、僕のブログが停滞したところで、何の支障もないんだけど。


ありがたいことだが、年末に向けて仕事が立て込んでいる。
すでに飽和状態にちかく、年内にきちんと納入できるか、
じつは戦々恐々として日々を過ごしている。


とくに今年は運送便の受付締切が早く、
関東方面に送る荷物について、
F 社は 12/23 、N 社は 12/24 がリミットと連絡があった。
ということは、ほぼ今週中に完成させなければならない。
今週って...今日もう木曜日やん.....


何だかオッサンの愚痴こぼしエントリーになってしまった。
ブログの更新が滞ってる本当の理由は、
僕自身に瑞々しい感受性がどんどん欠如していってて、
世の中の色んな事象に鈍感になってるからなんだろうな。


なんか、とりとめなくなってきた...
さ、仕事、仕事!


狂想曲

2013-12-14 10:47:05 | テレビ番組
Ozaki_yutaka2今年は尾崎豊がデビューして30周年の節目に当たる年らしい。
デビュー記念日の12月1日、WOWOW で「 THE DAY 」という
オザキの特集番組が放送されていた。


番組を見て、僕は少しウンザリした。
相も変わらず「十代の代弁者」「若者の教祖」として、
オザキを祭り上げていたからだ。
バンダイの「ガンダム商法」と似たり寄ったりだと感じた。


僕はオザキと同年だから、リアルタイムで彼の音楽に触れた。
佐野元春や浜田省吾をルーツとする真っ直ぐな彼のロックンロールには、
同じ音楽を聴いて育った同世代として、シンパシー以上の何ごとかを感じていた。
けど僕は、オザキを「カリスマ」とか「教祖」などと崇めたことはない。
むしろ、狂信的に、盲目的に、彼に熱狂する当時のファンを苦々しくみていた。


デビューして亡くなるまでの9年間にリリースした6枚のアルバムも、
すべてリアルタイムで購入して聴いた。
けれど殊更に待ち望んで買ったわけじゃなく、
当時の僕ら世代の一般教養というか、必須科目みたいな感じだったと思う。


「もしオザキが今も生きていたなら」と想像することは詮無いことだが、
恐らくろくなことになってないと思う。
歌うことをやめているか、
少なくともシーンからは消えているんじゃないだろうか?


ティーンエイジャーの焦燥感や苛立ちを歌ったシンガーは、
オザキの他にも幾らでもいる。
オザキの凄みは、当事者の十代でそれについて歌ったことに尽きる。
だから自然、リリックがストレートな表現にならざるを得なかったし、
僕ら同世代の聞き手もすぐに共鳴できた。


生前のオザキの苦悩は、オザキの死の遠因は、
実像以上に「十代の代弁者」と祭り上げられたことだったと思う。
オザキが亡くなって21年の歳月が流れた。
そろそろ尾崎豊というシンガーソングライターを冷静に評価する時期だと思う。
終わらない狂想曲のようなバカ騒ぎは、泉下のオザキも望んでないにちがいない。


一汁三菜

2013-12-07 12:58:59 | アート・文化
Washokuユネスコ無形文化遺産に
「和食(日本人の伝統的な食文化)」が登録された。
むろん日本人として誇らしく喜ばしいし、
登録に向けた活動に取り組んできた人びとの労をねぎらいたい。
TPP で何かと農産品の間税問題が喧しい昨今、
日本食材の輸出増加という有形の実利もあるかもしれない。


しかし、現代の日本人で(とりわけ自分自身がそうなのだけど)
一汁三菜のスタイルで食事している人などほんの一部にちがいない。
子ども達のみならず、いまや大人でも
ファストフード、ハンバーグ、カレー、パスタを好物にあげる人が多い。


報道によると、ユネスコへの提案書では、
和食を「自然を尊重する日本人の精神を体現した食に関する社会的慣習」と位置づけた上、
(1)正月や田植えなど年中行事との密接な関わり
(2)四季や地理的多様性による新鮮な山海の幸
(3)自然をあらわした美しい盛り付け
などを特色に挙げていた。
いや、これ崩壊してるよね。


そもそも「和食」の定義とは何だろう?
広義に解釈すれば、ラーメンもカレーライスもナポリタンも餃子も和食といえる。
けど、日本側の申請者もユネスコも、これを了としないだろう。


一汁三菜どころか、お膳に料理をのせて食べることさえ稀。
そもそも一般家庭には、そのお膳すらないのでないだろうか?
さらに言えば、お箸をきちんと使える日本人も減っているにちがいない。


クドクドととりとめなく書き連ねてきたけど、
この世界遺産登録は、日本人が和食を見つめ直す契機になれば
さらに意義深いものになると思う。
かく言う僕自身が深く反省すべきだし、
自戒の意味を込めてこのエントリーを綴ってみた。

A's Gift

2013-12-04 09:41:25 | 佐野元春
Somedayことさらに大仰に言えば、
僕の人生の僥倖のひとつは、
多感なころ、16歳のとき、
佐野元春のアルバム『SOMEDAY』に
リアルタイムで出逢えたことである。
若くて粗野でロック音楽の知識もろくになかったけれど、
魂を鷲づかみにされたような感覚は、
いまでも鮮明に覚えている。


今般、M-ON!で「名盤ライブ」という企画がスタート。
往年の名盤をアルバムの曲順どおり、当時のアレンジで全曲再現する。
その第1弾に『SOMEDAY』が選ばれた。
東京と大阪でそれぞれ2公演ずつおこなわれたのだけど、
残念ながら僕は参加できなかった。


名盤ライブの参加者には、引き出物的なグッズが配られたらしい。
アルバム制作のエピソードについて、
当時の関係者の証言や未公開資料どをまとめたDVD映像とブックレット。
まさにファン垂涎もののアイテムだ。


正直、気にかけてもなかったのだけど、
ある日突然、僕の肩に天使が舞い降りた。
この名盤ライブに複数回参加したファン友だち(ジャスミンガール)が、
僕にその引き出物?をプレゼントしてくれたのだ。
エンジェルからの贈りものは素晴らしく、
とくに吉野金次さんと佐野さんの対談には、
ガラにもなく何度もウルッときた。


人間の情熱の量などたかが知れたものだが、
ときに巨大な量を持って生まれざるをえなかった人がいる。
佐野元春が、その一人である。


佐野さんにおける生命の炎というべきものは、
もし彼がアーティストじゃなかったならば、不必要に多量すぎる。
佐野さんは幸いミュージシャンであったために、
その火に灼かれることなく生きつづけることができた。
アルバム『SOMEDAY』の制作はその火を包みこんで発光させた作業であり、
若い佐野元春の白炎のようなその気体が、
オブラートに包みきれることなしに、生の炎として噴きだしている。


映像を見ている間中、当時のメンタリティが瑞々しく甦り、
僕は何度もうなずいた。
僕は、佐野元春というミュージシャンを同時代に得たことに、
誰彼なしに感謝をしたい。