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終わらない祭り

2015-04-25 08:54:14 | 音楽
Letter尾崎豊の生誕50周年を記念して、
豪華なボックスセットが発売されるらしい。
購入する気はないのだけど、バンダイのガンダム商法みたいで、
このニュースに僕は少し辟易した。
相も変わらず「十代の代弁者」「若者の教祖」として、
オザキを祭り上げていたからだ。


僕はオザキとタメ年だから、リアルタイムで彼の音楽に触れた。
佐野元春や浜田省吾をルーツとする
真っ直ぐな彼のロックンロールには、
同じ音楽を聴いて育った同世代として、
シンパシー以上の何ごとかを感じていた。
けれど僕は、オザキを「カリスマ」とか「教祖」などと崇めたことはない。
むしろ、狂信的に、盲目的に、彼に熱狂する当時のファンを苦々しくみていた。


オザキは、校舎の窓ガラスを壊してまわったりしてないし、
盗んだバイクで走り出したこともない。
これらのリリックは、オザキの、詩人としての、ストーリーテラーとしての、
理由なき若い焦燥感を伝えるための卓越した表現法に他ならない。
これは、彼が優れたソングライターだったことを意味する。
僕は、純粋にオザキのソングライターとしての、パフォーマーとしての才能を愛した。


「もしオザキが今も生きていたなら」と想像することは詮無いことだが、
恐らくろくなことになっていないと思う。
歌うことをやめているか、
少なくともシーンからは消えているんじゃないだろうか?


ティーンエイジャーの焦燥感や苛立ちを歌ったシンガーは、
オザキの他にも幾らでもいる。
オザキの凄みは、当事者の十代でそれについて歌ったことに尽きる。
だから自然、リリックがストレートな表現にならざるを得なかったし、
僕ら同世代の聞き手もすぐに共振できた。


生前のオザキの苦悩は、オザキの死の遠因は、
実像以上に「十代の代弁者」と祭り上げられたことだったと思う。
オザキが亡くなって20年以上の歳月が流れた。
そろそろ尾崎豊というシンガーソングライターを冷静に評価する時期だと思う。
終わらない狂想曲のようなバカ騒ぎは、泉下のオザキも望んでないにちがいない。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
尾崎豊 (存在する音楽)
2015-04-25 10:47:37
ご無沙汰しております。

僕も尾崎豊は「カリスマ」と持ち上げられているのを気持ち悪く感じていました。歌詞も嫌いだなと思っていました。
しかし、10代の苦悩はよく表現できていると感心しましたし、

ライヴで浜田省吾とか佐野元春を聴いて来たんだぜ

というMCや町子寛治のアルバム参加もあって、音楽的な部分は良いなーと思っていました。

先日、『十七歳の地図』を久しぶりに聴いていたら、アルバムにない曲が思い浮かんで、なぜか最近、その尾崎豊の歌を口ずさんだりしてます。

残念ながら亡くなってしまって、今も思うことは、年齢とともに成長して、素敵な音楽を聴かせて欲しかったなと思います。
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こちらこそ、ごぶさたです! (mf)
2015-04-25 12:36:22
ブログの更新頻度がすっかり落ちてしまって、最近は月イチ状態です。
存在する音楽さんのブログは健在で、さすがですね。

過去にも同じようなエントリーを書いたことがあったかと思います。
カリスマ商法は地下の本人も望んでないですよ、たぶん。

たしか「十七歳の地図」のアレンジは西本明で、
スプリングスティーンの「明日なき暴走」っぽくアレンジしたと語ってたような記憶があります。

文中にも書きましたが、
もし生きてても、ろくなことになってないと思います(汗)
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